あけましておめでとうございます。新年早々の撮影実習は堺市の湾岸エリア、大浜公園一帯です。南海電鉄・堺駅に11時集合。就職も決まった学生2人を含む5人が集まりました。
まず環濠クルーズの発着所前から撮影開始、鉄道好きのメンバーは、すかさずレンガ造りの古い鉄道橋脚の残骸を見つけて撮影、ここから臨海に沿って、大浜公園にむかいます。マンションに埋もれるようにたたずむ神社、その裏手には古い飲み屋街、かつて新地と呼ばれた堺旧港周辺にあたります。
幕末には堺事件発生や天誅組が上陸した地であり、土佐藩士たちの事件の舞台となった場所です。海のかなたの土佐がにわかに近づき、海でつながっていることが実感されます。
天誅組上陸の碑・・・近代的な駅ビルやホテル群、すぐ横に数々の史跡がそれとなく保存されている。
現在、市民の憩いの場である大浜公園には、日本一低い蘇鉄山やラジオ塔、安政地震の碑など、足を運ばなければなかなか気づくことのない「名所」「史跡」が配置されています。
現在の堺港の景色・・・手前は堺の伝説的貿易商、呂宋助左衛門の像、対岸は龍女神像、埋め立て前は高速道路の向こうが海だった。現在は工業地帯が遙か彼方まで続いている。
蘇鉄山は近代地図作成の基準点として一等三角点が設定された山としては、日本一低い山で、標高6.97mとのこと、昭和になって近くの御蔭山から移設されたものです。元あった御蔭山は大阪の天保山と同様、船の水路確保のため、港と川の浚渫によって生まれる土砂を積み上げ造られた人工の山でした。
ラジオ塔・・・これは電波発信のための施設ではなく、かつてラジオが貴重品だった時代に人の集まる場所に設置された「街頭ラジオ」で、上段にラジオとスピーカーが据え付けられて決まった時刻に放送されたのである。この塔は天王寺公園に設置された塔を移築したものである。
大浜公園は、近代には関西有数の海浜リゾート地であり、海水浴はもちろん、潮湯や少女歌劇、水族館もあったといいます。
公園から高速道路の下をくぐりぬけて、旧堺灯台へ。国の史跡に指定されているレトロな雰囲気の灯台で、対岸は白煙たなびく工場が汀を埋めています。このコントラストが印象的です。
現存する日本最古の木製灯台で、改修はされているものの当時の建物のままである。基礎の石組みは当時のままで、ここが突堤の先端であった。
駅周辺にて長い休憩、昼食をとりながら就職活動のことや、将来の夢について歓談しました。
休憩後さらに対岸の龍女神像の場所をめざします。遠目にも目立つ、比較的新しいのに、現代風でない不思議な風景、足元にいってみてその理由の一端がわかりました。なんでもこの龍女神像は、明治36年(1903)開催の第五回内国勧業博覧会の堺会場となった、さきほど訪れた大浜公園の水族館に設置されていたもので、乙姫さんの愛称で親しまれていたとのこと。1970年代には老朽化により撤去されていたのを、1999年市制110周年を迎えるにあたり、市のシンボルとして復元設置したようです。
龍を模したモニュメントの先に女神像はある。港湾の整備はまだ道半ばで堺市の工業都市から文化歴史の町をめざす計画もこれからの充実を期待したい。
この付近一帯は、工場街近接の住宅地のようです。一方ヨットハーバーがあり、観光遊覧を試みた痕跡や観光地化をめざして整備した時期があったことも風景から伺えます。工場街には倉庫を改装した新しいカフェがあり、新たに護岸整備するなど再び観光地化をめざしているようでもあります。路傍の祠、掘りだされた石碑など、なにげなく見ていた町に、新旧いりまじる魅力をいくつも発見した一日でした。
呂宋助左衛門像のまわりで思い思いの写真を撮る。
次回は2月17日(日)午後1時から甲南大学にて、出口まさと先生による合評会です。どうぞお楽しみに。今年度のフィールド写真展は、3月24日(日)午後3時~4月7日(日)12時まで甲南大学ギャルリーパンセで開催します。どうぞ足をお運びください。