2015年度卒業論文・坂上方哉(東谷ゼミ):長州奇兵隊の役割と組織体制-『奇兵隊日記』の分析から-

幕末長州藩の部隊である奇兵隊は、身分に関係なく「志」があれば入隊できたという画期的な部隊であった。この特徴をもって「奇兵隊は四民平等観に基づいた近代的組織である」というような評価がなされることも多い。しかし実際には、身分ごとに服装規定が設けられるなど、四民平等とはかけ離れた側面も存在していた。奇兵隊は、どのような組織であったのか。本稿は『奇兵隊日記』を基本史料とし、それが明治維新後に編纂されたという史料的制約を考慮に入れつつ、創設者である高杉晋作の動向や、総管・赤禰武人らの人的ネットワークの変遷などを基に、隊組織の再検討を行ったものである。

画像:奇兵隊三代目総管・赤禰武人(1838~1866)

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2015年度卒業論文・南菜摘(佐藤泰ゼミ):平安時代の婚姻儀礼―正妻の決定

平安時代の一夫多妻制において、正妻がどのようにして決まるのかという疑問を持ち、それをテーマにしました。まず婚姻について詳細に知るために、当時の日記などを用いて婚姻儀礼の移り変わり、儀礼の構成要素について調べました。そして、それを踏まえて物語の描写から正妻がどのようにして決定されているのかについて考察しました。その結果、正妻の決定には親の後見の有無と周囲の認識が大きく関わっているのではないかということが分かりました。

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2015年度卒業論文・丸尾愛(佐藤泰ゼミ):小山評定の検討

小山評定とは、慶長5年(1600)7月25日、関ヶ原合戦の直前に下野国小山で開かれたと言われる軍議である。徳川家康を中心とする東軍が形作られるために不可欠といえる小山評定であるが、近年になって存在しなかったのではないかという新たな問題提起がなされるようになってきている。小山評定は実在した出来事であったのか。本稿では徳川家康が諸将へ宛てた書状や『慶長年中卜斎記』などの史料を検討することにより、小山評定の実態を探った。

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