
海外で活躍する卒業生インタビューリレー⑦
フィリピン・マニラ編
フィリピン・マニラ編
世界各国に拠点を持つ甲南大学同窓会の「海外甲南会」。その7番目として2021年に設立されたのが「フィリピン甲南会」です。そこで今回は、会長の中矢健太朗さんにインタビュー。2015年に経営学部を卒業後、地方銀行に就職。その後マニラに移住し、コロナ禍を経て現地で不動産事業を立ち上げた中矢さん。みずからの夢に向かって、少しずつ、着実に夢を掴んでいったストーリーを伺いました。
Contents
・ 移住のきっかけは不動産投資
・ 30歳でマニラに完全移住
・ 幸福度が高いマニラの人々
・ 常に挑戦し夢を追い求めよう
移住のきっかけは不動産投資
KONAN-PLANET 記者
大学卒業から現在までの経緯について教えてください。
中矢さん
我が家は両親と祖父が銀行員の銀行一家で、それを受け継ぎたいという想いもあり、大学卒業後は地方銀行に就職しました。当時、地方銀行の業界再編が始まった頃で給料も少なく、上がる見込みもなかった。ステップアップしたいと、3年ほどで銀行を辞めて保険の総合代理店に転職しました。ところが、かなり過酷な労働環境でメンタルも体もやられてしまい、半年で退職。ちょうどその頃に、銀行時代の知り合いからフィリピンの不動産を薦められたんです。
KONAN-PLANET 記者
それは不動産投資として、ですか?
中矢さん
そうです。学生の頃から投資をしていて、社会人になったら不動産に投資したいなと思っていました。NISAや保険の積み立てのような感覚で、毎月3万円ぐらいから積み立てて不動産に投資することができます。それなら、ということでフィリピンのマンション2部屋を購入。その後、フィリピンに初めて旅行に行ったのですが、ものすごく衝撃を受けたんです。
KONAN-PLANET 記者
どんなことが衝撃だったのでしょう
中矢さん
マニラの空港に到着したのが深夜だったんですが、すごい人で。昼間の大阪駅くらい、いやそれよりも多い。フィリピンの人口が増えて経済が発展しているというのは知っていましたが、思ったよりも賑わっていて、しかも若い人ばかり。町に出ると大阪や東京よりも発展しているようなエリアもあってエネルギーを感じました。
将来、ここで仕事をしたら面白いかも!
こんなに発展している国が東南アジアにあるのかということが衝撃で、将来ここで仕事をしたら面白いんじゃないかなと、その時に漠然と思ったんです。当時、フィリピンは建設ラッシュで、日本人を含め多くの外国人がフィリピンの不動産を購入していました。不動産をこれから運用していくためにもっと勉強したいと思い、日本の不動産会社のプロパティ管理部門に就職しました。
仕事をしながらも2、3ヵ月に一回はマニラに通っていて、そうしているうちにフィリピンで現地の不動産を扱っている日本人にたまたま出会ったんです。その方が「中矢さん、フィリピンが合いそうな気がするので、よかったらフィリピンに来て仕事しませんか?」と。
KONAN-PLANET 記者
飛び込んでくるんですね。そういう話って。
中矢さん
そうですね。“引き寄せた”のかもしれません。ちょうど30歳を前に「日本でのサラリーマン人生も限界かな」と思っていたので、思いきってフィリピンのマニラに完全移住しました。
30歳でマニラに完全移住
KONAN-PLANET 記者
実際に移住してみて、いかがでしたか?
中矢さん
就職したのは現地のデベロッパーで、社員の99%がフィリピン人。僕は日本人のマーケット担当で、給料は日本円で12,3万円くらいでした。ローカルの人と同じような暮らしをしていたので生活は大変でしたね。移動手段のバスは暑いのにクーラーもない。めっちゃ狭いし、暑いし、臭い(笑)。金銭的に余裕がなかったのもありますが、これからフィリピンでやっていくなら現地の人の感覚を知らないと、という思いはありました。それでも、きつかったですね。
コロナ禍のピンチでチャンスを掴む
移住してちょうど一年後、コロナで街がロックダウンに。僕は日本人のお客さんに町や物件の案内をしていたので、ほぼ仕事がなくなって。暇すぎるのでYouTubeで物件を紹介する動画の配信を始めたら、3億円売り上げたんです。
KONAN-PLANET 記者
それはすごい! コロナを逆手に取ったんですね。
中矢さん
でも、このまま会社にいては自社の物件しか紹介できません。いろいろな物件を紹介してほしいというニーズもあり、コロナが落ち着いた頃に独立して不動産事業を始めました。それまで地道に地元のデベロッパーや不動産の人脈を作ってきたこともあり、今は十社以上の現地企業と提携しています。
KONAN-PLANET 記者
うまく波に乗ってこられたんですね・・・
その秘訣を知りたいです。
中矢さん
とりあえずやってみる、挑戦してみる。
運が良かったのもありますが、常に挑戦してきた、というのはありますね。僕が一番大事にしているのは「とりあえずやってみる」ということです。もちろん、いいことだけじゃなくて、辛いこともいっぱいあります。騙されてお金を取られたこともあるし、裏切られたことも山ほどある。でも、騙されるのは、それを見極められなかった自分が悪い。そういう意味で、人間を見極める力は上がりましたね。
KONAN-PLANET 記者
現地の人とうまく
コミュニケーションをとるコツはありますか?
中矢さん
フィリピン人はプライベートではタガログ語を、ビジネスでは英語を話します。英語も勉強しましたが、独立したタイミングでタガログ語の勉強を始めました。英語に比べると単語数も少なく、意外と簡単なんです。ちょうどフィリピン人の彼女と一緒に暮らしていたので、マンツーマンで教えてもらって一年である程度習得できました。 タガログ語が話せることでフィリピン人の気持ちがだいぶわかるようになり、ビジネスパートナーも見つかって、今は不動産の他に飲食店や中古車の売買、コンクリートの輸送事業なども経営しています。
幸福度が高いマニラの人々
KONAN-PLANET 記者
現地での生活についても教えてください。
中矢さん
フィリピンはスペイン領だったので、スペイン料理やイタリアンなど、ヨーロッパ系のお料理がめちゃめちゃ美味しいです。欧米のファースフードや日本料理も美味しくて、食には困りません。
KONAN-PLANET 記者
現地のお料理は何が有名ですか?
中矢さん
「シニガンスープ」という酸っぱいスープがあって、これが飲めるか飲めないかで、フィリピン料理が楽しめるかが決まります。ちなみに僕はオッケーでした。豚の角煮を細かく刻んだ「アドボ」はビールのおつまみにぴったりです。
KONAN-PLANET 記者
おすすめの観光スポットは?
中矢さん
僕はフィリピンには神様が与えてくれたものが二つあると思っています。一つは綺麗な海、もう一つは果物。スイカやメロン、ドラゴンフルーツ、オレンジなどが、年中美味しく食べられます。
海はエメラルドグリーンで透き通っていて、もうめちゃめちゃキレイです。セブ島やボラカイ島が有名ですが、フィリピンには島が7000ぐらいあって、ウミガメやジンベエザメと一緒に泳ぐこともできる。きれいな海で泳いだり、夕日を見たりするだけでも幸福度が上がりますよね。
KONAN-PLANET 記者
文化の違いを感じることはありますか?
中矢さん
フィリピンの人は基本的に時間は守りません。なぜ遅れたのか聞くと「今日は雨が降っていて、足元も悪いから危ないと思ったから」というような答えが返ってくる。でも、よく考えたら理論的ですよね。また、いい意味で全てにおいてポジティブに捉えるからか、フィリピン人は幸福度が高いんですよ。自殺も世界でトップクラスに少ないそうです。
KONAN-PLANET 記者
それは知りませんでした。 なぜなのでしょう。
中矢さん
フィリピンに住んでいる人たちの月収は4、5万円ぐらいで決して裕福ではないんですが、「まあなんとかなる、しょうながい」とポジティブに考えるんですよね。そして、家族の絆が強くてファミリー愛がとにかく強い。そういうことも、幸福度につながっているのかもしれません。
常に挑戦し夢を追い求めよう
KONAN-PLANET 記者
フィリピン甲南会は一番新しいそうですね。
中矢さん
はい、2021年3月にコロナ禍の中で設立したばかりで、今は貧困地区のクリスマス会で子どもたちにプレゼントをしようと企画中です。僕は仕事面でも言葉も文化も、デートのノウハウも、フィリピンで大きく成長させてもらいました。少しでもフィリピンの人たちに恩返しをしていきたいと思っています。
KONAN-PLANET 記者
最後に後輩たちにメッセージをお願いします。
中矢さん
夢に向かって、常に行動してきた。
計画して、目標を立てて、それに対して動いていく。僕はそうやって決めたことを、地道にやってきました。その一つひとつの積み重ねがあるからこそ、今の自分があります。失敗してもいいんです、そこで修正したらいいだけなんで。夢に向かって常に行動し、挑戦し続ければ、道は開けていきますよ。
KONAN-PLANET 記者
では、中矢さんの今の目標は?
中矢さん
それが、ないんですよね。ほとんどの夢を叶えてしまったので。海外に住みたい、海外で仕事したい、海外の彼女を作りたい、日本人の彼女と結婚したいなと思っていたら、婚約することもできた。次は何をしたらええんやろ…(笑)。 ただ、今35歳になったので、40歳に向けてこの五年間をどういうふうにしていこうかなというのは考えています。むしろ、大学生の方に刺激をもらいたいです。今までの生活が刺激がありすぎて、最近ちょっと刺激が足りないので(笑)。
2015年経営学部卒業。卒業後は地方銀行に約3年勤務し、保険の総合代理店に転職。フィリピン不動産に投資したことをきっかけに現地を訪問し、発展のエネルギーを体感し移住を考えるように。その後、不動産会社のプロパティ部門での勤務を経て、30歳でフィリピン・マニラに移住。現地でのディベロッパーでの経験を活かして、2023年に独立。不動産事業の他に飲食店を複数店舗経営。2021年3月には現地で偶然接点をもったメンバーとともに、フィリピン甲南会を設立。フィリピンへの恩返しという想いから、貧困地区でのクリスマスプレゼント企画を検討中。