
海外で活躍する卒業生インタビューリレー⑧
タイ・バンコク編
タイ・バンコク編
世界各国に拠点を持つ甲南大学同窓会の「海外甲南会」。今回は、タイ・バンコクで飲食店を経営する浅本 亮さんにインタビュー。2003年に経営学部を卒業後、日本企業での仕事を経て2008年に飲食店のスタッフとしてタイのバンコクに移住。現在は、日本人はもちろん、現地の人々にも人気の飲食店を12店舗も展開しています。これまでのストーリーと、タイから見た日本について伺いました。
Contents
・ すでに起業していた学生時代
・ バンコクに渡り飲食店を経営
・ 日本の安さは非常識!?
・ 世界を知るには英語が必要
すでに起業していた学生時代
KONAN-PLANET 記者
学生時代から起業されていたそうですね!
浅本 亮さん
浅本さん:そうなんです。在学中に起業していたので、あまり学校にも行けない状態で、5年かけて卒業しました。ベンチャービジネス論の授業で、先生に「君が今やっているビジネスを前で講義してくれ」と頼まれたことを覚えています。
-どんな事業をされていたのでしょう。
浅本さん:インターネットで無料の懸賞サイトをやっていました。スマホもない時代、メルマガとサイトを連動させて、60万人くらい会員がいました。どういう事業かというと、例えば女性に「化粧品のサンプルがタダでもらえる」と伝える。メーカーは20代の女性にサンプルを配って感想を聞きたい。お客さんは使ってみたい。それをマッチングさせることで成果報酬をもらう。今でいうアフィリエイトの走りですね。
-大学卒業から現在までの経緯について教えてください。
「将来、タイに住んでなんかやりたいんです」
浅本さん:メルマガのサービスは順調に伸びていましたが、一緒にやっていたもう1人の仲間に売却して就職しました。会社を勤めたことがない人間は会社を経営できないと思ったので。最初は、IT会社に就職しましたが、オーナー社長のやり方がひどくて、半年で辞めました。その後、今度は大きな会社に行こうと思い、「一部上場企業」で検索し、株式会社アプラスという信販会社に入社しました。本社のクレジットカード事業部で仕事をするなかで、レストラングループの社長と仲良くなって、「将来タイに住んで、なんかやりたいんです」という話をしたんです。一緒にタイに行ったら社長も気に入って「この国、面白いな。レストラン出したるから、お前がまず立ち上げていけ」といわれ、会社を辞めてタイに移住しました。
バンコクに渡り飲食店を経営
KONAN-PLANET 記者
なぜ、タイだったのでしょうか
浅本さん:20歳の時に、商材を探しに初めてバンコクを訪れて、「この国楽しいな、いつかこの国で住みたいな」と思うようになりました。その頃から「俺はいつかタイに移住する」と周りに言っていましたね。タイに渡ったのは、28歳のとき。独身だったので、30歳までにうまくいかなければ日本に帰ってやり直そうと思っていました。
ーそれが、思いのほかうまくいったと・・・
浅本さん:まあ、そうですが、かなりいろんなこともありましたよ。軍事政権の衝突だとか、空港の閉鎖や洪水騒ぎだとか、特にコロナの時は厳しかったですね。こちらの戒厳令は、日本の自粛要請のレベルじゃない。店を閉めなさいという命令が出て、支援金も一切なし。こっそり営業したら逮捕でした。
ーバンコクには日本人が多く住んでいるそうですね
駐在員だけで5万人!「東京24区」と呼ばれるバンコク
浅本さん:特に「スクンビット」というエリアに日本人が集中していて「日本人街」といわれています。バンコクには日本にあるものはほとんど何でもあります。ドンキホーテやスシロー、ダイソーも30店舗ぐらいあるし、定食が食べたかったら大戸屋ややよい軒もある。日本人が何不自由なく暮らせる環境が整っています。バンコクの日本人学校も、ピーク時には生徒が3,000人ほど在籍していて、入れない状況になるほどでした。
ー浅本さんは、まず、そこにお店を出したのですか?
浅本さん:いえいえ、最初は少し離れたショッピングセンターにタイ人向けの和風スパゲッティの専門店を出しました。そこにも日本人の駐在ファミリーがよく食べに来てくれたので、だったら日本人エリアにも日本人をターゲットにした店も作ろうか、という順番です。バンコクだと駐在員だけで5万人、旅行客を入れたら10万人ほどの日本人が常時いると言われていましたから、需要はあります。現在、グループとして12店舗を展開しています。コロナの頃は日本人ターゲットのお店中心に6店舗でしたが、現在は、タイ人ターゲットの居酒屋なども増え、12店舗になりました。
ー12店舗も!それぞれ違うのでしょうか
12店舗それぞれに、異なるコンセプトとターゲット
浅本さん:「焼肉きらび」本店のお客さんは90%タイ人で、中でも芸能人などハイエンドな人が多いです。二号店は全室個室で日本人とタイが半々くらい。入場料を払って、あらゆるものが原価で安く食べられる「原価酒場」という居酒屋は9割がタイ人と外国人の観光客です。「隠れ家 「離れ」「雫」」は、個室中心の居酒屋で、 こちらは9割が日本人の駐在員。接待の時に使ってもらうお店、仲間内の飲み会で使ってもらうお店など、いろいろあります。
ーここまで展開できた秘訣を知りたいです!
浅本さん:「人に任せる」ということに尽きます。任せられる人材を目利きするのが僕の仕事だと思っていますから。日本のレストランで「この人はすごいな」という人材を見つけたら、何回も通って打診します。そもそも、日本のシェフは十分なお給料をもらえていない。正当に評価されていないなと思いますね。
日本の安さは非常識!?
KONAN-PLANET 記者
浅本さんは、ふだんどんな生活を?
浅本さん:僕は旅行が好きなので1年間の1/3は旅行ですね。実は明日からヘルシンキとストックホルムに遊びに行く予定です。先々週はハワイに行っていました。日本にも行きますよ。仕入れもあるし、レストランで食事してトレンドをキャッチするのも仕事ですから。
日本の「安くて美味しい」は世界から見れば「異常」
浅本さん:日本はなんでも安くて美味しいですが、まずその「安さ」がおかしい。ちょっと異常です。大手飲食店チェーンが値上げしないと宣言したりしますが、僕が従業員だったら「え?ということは給与上がらないってことだね」と絶望すると思う。それなら、「すみませんが50円値上げさせてください。ただし、利益は従業員に還元します」と言った方が企業として価値が上がるのではないでしょうか。
企業努力はもちろん必要ですが、ここまで安いのに美味しいというのは、おかしいです。朝ごはん290円で、お茶もタダで冷暖房完備の衛生的な空間で食べられるというのは、どういうカラクリなんだ?って思っちゃいますよね。
このままでは、日本の経済が疲弊する
浅本さん:それでも日本の企業は、安い方へと行く。安さを求める日本のお客さんにも問題がある。だからもうしんどいんですよ、日本経済は疲弊するばかりだと思います。
ー確かに安すぎる気がします。 その点、タイは違うんですか?
浅本さん:どんどん物価が上がっています。値段が上がるのは当たり前で、最低賃金もどんどん上がっている。かつてのような「タイは安い」というイメージとは全く違いますね。タイでも競争はありますし、潰れる店もたくさんありますが、タイではやることをちゃんとやっていれば、日本よりは正当な対価をもらえると感じます。例えば、ダイソーの商品は110円じゃなくて250円。スシローも一皿170円はする。それでも売れているのは、タイの人は正当な対価を払うということです。
世界を知るには英語が必要
KONAN-PLANET 記者
タイでの暮らしはいかがですか?
浅本さん:最近は物価がどんどん上がってきて、さらに円安で、当時の何倍もお金がかかるようになりました。1バーツ2.5円だったのが、今は4.5円くらいで、それに元の値段も上がっているため、昔に比べるとほぼ倍近くなっています。今は安くて美味しい日本に、一年の半分くらい滞在したい気分です。
ータイのお国柄に特徴はありますか?
浅本さん:あまり明日の事を考えない人が多いですね(笑)。貯金はできない国民性です。でもそれも悪くないのかもしれません。もらった分、使っちゃった方が経済も回ります。あと、暑い国に共通している気がしますが、女性のほうがよく働く印象がありますね。
ータイの甲南会の活動について教えてください
浅本さん:定期的に集まるようにしていて、毎回十人ぐらいは参加しています。僕の他にもレストランを経営されている方がいるので、うちの店やその方の店で集まることが多いです。ほとんどが駐在の方なので入れ替わりも多いですが、会長の小谷さんはタイで50年近くも自分でビジネスをされていますし、居酒屋の店員をやっている若い卒業生もいますよ。
ー最後に、大学生に向けてメッセージをお願いします!
若いうちに海外の経験を! そのためには英語が必須!
浅本さん:僕はこれまで中学から何年も英語を勉強してきたのに、タイ語の方がはるかに上手なんですよ。それは、タイという環境に身を置いたからなんです。だから、みなさんも英語を喋る環境に突っ込んでいってほしい。日本にもそういう環境があると思うんですよ、観光客も多いし、うまくコミュニティを作って、喋れなくてもいいから突っ込んでいってください。 タイやアジアの大学生は、普通に英語が喋れます。やはり、世界に出るには、世界を知るためには、最低限の英語が必要です。もちろん大学の英語の授業も、一生懸命やってくださいね。
甲南大学経営学部を2003年に卒業。在学中から懸賞サイトの運営などWebマーケティング事業を手がけ、卒業後は日本企業での勤務を経て、2008年にタイ・バンコクへ移住。現在は、日本人やタイ人を中心とした幅広い層に向けて、飲食店を12店舗展開している。