【嘘をつかず、ひたむき】
人気ラーメン店オーナー高田景敏さん(1992年 法卒)
インタビュー ※KONAN TODAY 再編

NEWS!『甲南人』の活躍 > トピックス
2021.5.12
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修理工場の骨組みを生かした店内には、スタイリッシュな音楽が流れる。毎日、4時間を費やして磨き上げるという調理台やテーブルは、鏡のように輝き、一点の曇りもない。趣味の自転車やグッズが飾られたインテリアが、多くのラーメン店とは一線を画する個性的なセンスと存在感を放つ人気のラーメン屋「ぶたのほし」オーナー、高田景敏さんにお話を聞きました!

 

KONAN-PLANET 記者
KONAN-PLANET 記者
今日はお願いします!
早速ですが高田さんは学生時代、バックパッカーとしてアメリカ大陸を何度も旅をされたそうですが、どんなことを考えながら旅をされていたんですか?

 

『金持ちになりたい!』、それしか考えてなかったですね(笑)
在学中から友人と始めていた販売会社が軌道に乗り始めていたんです。大手企業から内定ももらっていましたが、それも辞退しました。
高田さん
高田さん

 

KONAN-PLANET 記者
KONAN-PLANET 記者
学生起業家だったんですね~。その事業はその後も順調だったんですか?

 

一時は同世代の何倍もの収入を得ていましたが、程なく撤退しました。今思うと未熟でしたね。その後は京都のアパレル企業に就職し、企画から新規出店まで手掛けました。営業職でしたが、幅広く仕事を任せてもらい、成果も出しました。収入も上がって、順調でしたね。
高田さん
高田さん

 

 

アパレル企業から独立。次なるチャレンジは?>

 

KONAN-PLANET 記者
KONAN-PLANET 記者
仕事は順風満帆だったんですね。次の転機はいつ頃だったんでしょうか?

 

34歳の時です。投資コンサルタントとして独立しました。
高田さん
高田さん

 

KONAN-PLANET 記者
KONAN-PLANET 記者
投資コンサルタント!?また全く違う世界ですね。

 

株への投資には経験も自信もありましたから(笑)
でもトレーディングに集中する日々はリスキーでありながら、単調で退屈でもありました。少しずつ限界を感じ始めたころに、リーマンショックに襲われたのです。未曾有の経済危機で、一気に資産の9割を失いました。呆然としましたが、こうも思ったんですよね。「ようやく、この仕事から抜け出せる···」
高田さん
高田さん

<40歳、「無鉄砲」のラーメンに見つけた自分の原点>

 

KONAN-PLANET 記者
KONAN-PLANET 記者
ほっと一息というところですね。その後はどうされたんですか?

 

自問自答の日々を過ごしてましたね。「金は稼いだ。ぜいたくもした。好きな車にも乗った。これから、何をする?」…繰り返し、自分に問いかけるが答えは見つからない。海外を旅しても、情熱を傾けられる何かを見つけることはできなくて、大袈裟なようですが「死ぬ」ことも含めて、あらゆる選択肢を考えました。
高田さん
高田さん

 

KONAN-PLANET 記者
KONAN-PLANET 記者
とても悩まれたんですね…

 

そうですね。そんな日々を送るなかで、ある時に気づいたんです。『無鉄砲』のラーメンに対する気持ちだけは変わらないと。多い時に2日に一度のペースで通い詰めていたあのラーメンをもう一度食べてみようと、そう思って店に行ってみたんです。
高田さん
高田さん

 

KONAN-PLANET 記者
KONAN-PLANET 記者
あらためて無鉄砲のラーメンを食べてみて、どうでしたか?

 

慣れ親しんだカウンターに腰掛け、熱いスープと麺をすすりながら、「これだ。僕には、この道しかない」と悟りましたね。その日の夜には社長に思いの丈をぶつける手紙を書きました。
高田さん
高田さん

 

 

<ラーメンは、社会との接点。嘘をつかず、誠実に>

 

KONAN-PLANET 記者
KONAN-PLANET 記者
そこからラーメンの世界に入られるわけですね。40歳にして、人生を変える大きな挑戦ですね。

 

無鉄砲では9年間修行しました。想像をはるかに超えるほど苦しかったですよ(苦笑)
でも完全に体得するには、それだけの時間が必要でした。
高田さん
高田さん

 

KONAN-PLANET 記者
KONAN-PLANET 記者
辛い修行を乗り越えられて、2018年に満を持して「ぶたのほし」をオープンされるわけですね!瞬く間に行列ができる人気店に成長されたそうですが。

 

お客さんの中には、遠方から来てくださったり、忙しい仕事の合間を縫ってきてくださったりと、さまざまな方がいます。その思いに応えられるラーメンを提供できているか、感動を与えられているか常に自問自答する日々。いまだに薄氷を踏む思いでラーメン作りに向き合っています。
高田さん
高田さん

 

KONAN-PLANET 記者
KONAN-PLANET 記者
お店でラーメンを提供されるのあたり気を遣っている点はありますか?

 

ラーメンの味はもちろんのこと、店全体の雰囲気、音楽、接客…すべての要素が100点になって初めて「ぶたのほし」のラーメンだと思っています。
高田さん
高田さん

 

KONAN-PLANET 記者
KONAN-PLANET 記者
すごいこだわりですね!そんなに高田さんを夢中にさせるラーメンの魅力はなんでしょうか?

 

嘘をつかなくていいところです。むしろ嘘をついてはいけない。『無鉄砲』の大将は、よくこう言いました。『ラーメンの出来に自信がない日は、素直に謝れ。そうすればお客さんは信頼してくれる』。そのとおりだと思います。ラーメンは、僕と社会の接点。嘘をつかず、自分のすべてを注いでお客さんに感動を与えたいですね
高田さん
高田さん

 

KONAN-PLANET 記者
KONAN-PLANET 記者
お店を始めたことで、嬉しい再会もあったとか?

 

そうなんです!阪神·淡路大震災以降、連絡がとれなかった友人がふらりと店に現れたのです。声をかけたら驚いていました(笑)。実は、ラーメンの魅力を教えてくれたのも大学時代の親友·角ちゃんです。彼が『京都に、うまいラーメンがある』と誘ってくれたのがきっかけです。振り返ると僕の根っこのすべては、甲南にありますね。
高田さん
高田さん


オリジナルグッズの売上は、子どもの福祉へ

 

 

 

KONAN-PLANET 記者
KONAN-PLANET 記者
黒い星の中央に「B」の文字が印象的なグッズは、すベて高田さん自身がデザインされていると聞きました。

 

そうなんです。すべて自分でデザインしていて、その売上は寄付しています。昔から、子どもの福祉に役立ちたいと考えていて、おかげさまで店の経営が軌道に乗り始めたころから、尼崎市内の児童養護施設に寄付しているんです。これからも続けるつもりです。
高田さん
高田さん

 

KONAN-PLANET 記者
KONAN-PLANET 記者
波瀾万丈な人生を、持ち前のあくなき探究心と行動力で切り開いてこられた、そんな印象を持ちました!最後に今後の目標を聞かせてください。

 

より多くの人に味わっていただけるよう店舗数を増やします。その後ですか?60歳になったら沖縄で数少ないお客さんを相手に『あぐーぶたのほし』という店をやりたいですね。僕とお客さんが一杯のラーメンを通じて会話を深める。そんな時間が過ごせたら最高です。
高田さん
高田さん

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

413日に全国のファミリーマート限定で「ぶたのほし」カップ麺第二弾「さかなとんこつ」が販売されました。(在庫がなくなり次第終了)カップ麺販売で「ぶたのほし」が得るインセンティブ収入は全額を尼崎市の児童福祉施設に寄付されるそうです。

 

 

 

 

 

<プロフィール>

高田景敏

1992年、法学部卒業。アパレル企業勤務、会社経営などを経て40歳でラーメンの世界へ。アンディ·ウォーホルとデヴィッド·ボウイを敬愛。特に後者の生き方に大きな影響を受けた。店のシンボルマークも、ボウイのアルバム「ブラックスター」へのオマージュだ。

 

【ぶたのほし】

店舗情報

【 住所 】兵庫県尼崎市長洲西通1丁目16-7

【営業時間】 11:00~15:00

【定休日】 火曜日

【アクセス】 JR尼崎駅より徒歩約10分

──── 公式サイト ────

https://butanohoshi.com/

 

 

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