統合ニューロバイオロジー研究所
神戸新聞2014年9月23日掲載広告

ひょうご歴史紀行 3

 昭和13(1938)年7月5日、神戸・阪神間に降った豪雨は河川を決壊させ、山津波と呼ばれた大規模な土石流が街をのみ込んだ。死者は600人を超え、8万戸以上が被災した「阪神大水害」である。7月3日から降り始めた雨は、5日までの3日間で400ミリを超えた。これは、神戸市の年間総降水量の約3分の1に相当する豪雨であった。 未曾有の大災害でありながら、全国にこの惨禍を知る人は少なかった。日本が日中戦争に突入した影響により、報道管制が敷かれていたためである。これにより、新聞記事や写真撮影は制限される結果となった。住吉川の惨状(「阪神地方水害記念帳」より)
 この自然の脅威を伝えた数少ない記録として、谷崎潤一郎の小説「細雪」がある。谷崎は4姉妹の一人が九死に一生を得る様子を詳細に描いた。当時、住吉川右岸の住吉村に住んでいた谷崎は、水害を目撃しているが被害にはあっていない。後に「細雪」の生々しい描写は、甲南高等学校校友会編纂「阪神地方水害記念帳」を参考にしたことを明かしている。
 「阪神地方水害記念帳」は、甲南高等学校の教授と生徒らが「阪神大水害」を記録としてまとめた冊子である。被害状況と復旧の過程が詳細につづられており、被害状況地図や写真の数々も収められ、水害の惨禍を生々しく物語っている。谷崎が「細雪」で参考にしたのは、この冊子に収められた子どもたちの作文である。「阪神地方水害記念帳」は貴重な記録として扱われ、その後の防災計画で参照される資料となった。甲南大学に建立された石碑「常ニ備ヘヨ
 また、記録については「阪神大水害」を銘記する碑が六甲山周辺に存在しているが、甲南小学校に「常ニ備ヘヨ」と刻まれた石碑が建立されている。これは甲南学園創立者の平生釟三郎が、「阪神大水害」を機に、未曾有の自然災害に警鐘を鳴らすために残した言葉である。約60年後の平成7(1995)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災でも、平生の言葉はあらためて人々に想起されることになった。この大震災を機に、大きな被害を受けた甲南大学と甲南高等学校・中学校の構内にも、平生の言葉が刻まれた石碑が建立された。
 「阪神大水害」の発生から、すでに70年以上の年月が経過した。しかし、兵庫県内には六甲山一帯をはじめ、今も土砂災害への危険性が解消されていない区域が存在する。われわれは、過去の災害からの教訓を学び伝えるとともに、「常ニ備ヘヨ」との言葉が示すとおり、防災意識を高めていくことが必要であろう。

参考文献:「阪神地方水害記念帳」
「甲南学園byAERA」