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神戸新聞2014年10月7日掲載広告

ひょうご歴史紀行 4

 山陽電車「人丸前」駅周辺には、歌人の柿本人麻呂を祀る柿本神社や、夏目 漱石がこけら落としの記念講演に訪れた中崎公会堂、源平合戦で非業の最期を 遂げた平忠度ゆかりの史跡など、歴史を感じさせるスポットが点在する。
 この地の一角に建つ、風格あるたたずまいの「人丸花壇」は、1950(昭 和25)年創業の料亭旅館である。現在の女将は松平家の子孫にあたり、皇族 方もご来店された由緒ある老舗だ。
人丸花壇」に残る松本清張直筆の芳名帳 かつて、松本清張氏が取材のために明石を訪れたとき、「人丸花壇」に滞在している。後に完成させた推理小説「Dの複合」には、「人丸花壇」が実名で登場する。いまも旅館には、松本清張氏直筆の芳名帳が残っている。当時のことについて「人丸花壇」の会長である小谷泰朗氏は、「後に初代文化庁長官に なられた今日出海氏と二人で訪れ、一週間ぐらい滞在された。私の母に地元の事をいろいろ聞いていたのを憶えている」と語る。
 また、浅見光彦シリーズで人気の内田康夫氏も取材で「人丸花壇」を訪れて いる。発刊された「『須磨明石』殺人事件」がテレビドラマ化された時には、 「人丸花壇」がロケーションで使われたため、ご覧になった方も多いのではな かろうか。また、同氏はこの単行本の自作解説に明石で食べた「タコづくし懐石」が忘れられないと書いている。この「タコづくし懐石」は小谷会長が発案、創作したもので、明石のタコを有名にした功績は大きい。
 いま、神戸日仏協会の理事も務める小谷会長は、眠っていた明石の歴史に光を当てようとしている。きっかけは、古書展で偶然見つけた「明石遊行篇」という書物だった。これは、大正12年に神戸日仏協会の会長はじめ、会員達が神戸駐在のフランス領事、副領事、神戸港に停泊中のフランス軍艦の3人の士官を招いて、明石に一日行楽会を催した記録だ。小谷会長は、90年以上前に発行された「明石遊行篇」の文章を、現代の言葉に改め、再び世に送り出そうとしている。この「明石遊行篇」には、当時の明石が生き生きと描かれ、写真も掲載されており興味深い。更に明石には古くから焼き物(陶器)の文化があったことも記載されている。小谷会長に聞くと、古くは弥生時代の蛸壺も発見されているが、江戸時代から近代まで多くの陶器を生産していた。京焼の祖、野々村仁清が教えに来明したと云う説もあり、古清水と見紛う名品も残されているという。
 明石には、まだまだ多くの人に知られていない歴史のストーリーが散りばめられているのかもしれない。

協力:料亭旅館「人丸花壇」