普遍文法について,一般の人が誤解しがちなこと,YouTubeにからめて
中谷 健太郎 (12.22.2021)
勢いで松浦さんの言語学アドベント・カレンダーに登録してしまって,まだまだ先のことかと思っていたら意外に早く順番が回ってきそうなので慌ててネタを書きます。
ちょっとまえに,SNSで流れてきたYouTube動画に,論文YouTuberさんという方の対談動画「【言語学】チョムスキー,生成文法,認知言語学・・・あなたの知らない言語をめぐる研究がここにある!?」というのがありまして,これが見事なまでに「普遍文法」に対する一般的な誤解が見られる動画だったんですね。で,まあ,生成文法をちゃんと勉強した人ならば,何が間違っているのか,あまりに明らかなのでここでわざわざ指摘するまでもなく,よってこの駄文を読む必要もないのですが,このアドベントカレンダーは,言語学研究者でない読者もいらっしゃるのではないかと思い,ならば指摘するのも言語学者の務めかと思い,このエントリーを書くことにしました。
この動画は2019年5月にアップロードされた古いものなので,今さら取り上げるのもフェアじゃないかもしれませんが,ぼくは決してこの動画を腐そうとしているわけではなく,むしろ,一般の方にさまざまな専門領域を分かりやすい形で提示するこの論文YouTuberのような方の活動には頭が下がる思いです。
でもま,それはそれ,ということで。
ちなみに,ぼくは生成文法の教育を受け,自分の研究の作業仮説として生成文法を受け入れている部分はありますが,ぼく自身は生成文法家というわけではなく,むしろ生成文法の考え方には間違っているところもいろいろあるとさえ思っています。その思いの一部分は,近刊された中村浩一郎先生(編)『統語論と言語学諸分野とのインター-フェイス』というテキスト本に収録の拙著「第4章 統語論と言語運用のインターフェイス」にも少し書きましたので,ご笑覧ください。
前置きが長くなりました。
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*実は,11月21日にオンラインで開かれた日本言語学会第163回大会における福井直樹先生(上智大学)の会長就任講演でも,端的にこの「一般にありがちな誤解」に触れられていたので(注:上記YouTube動画に言及したわけではなく,一般論としてちょこっと述べられた),それの文字起こしして終わりにしようかとも思ったのですが,ぼやぼやしているうちに講演の録画視聴期間が終わってしまったので,それも成りませんでした。
さて,問題の箇所は,以下の箇所です。
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司会「生成文法は何かって言いますと,もう人間には普遍的な言語をしゃべる能力の基盤が,もう既にあると。で,それぞれの個別の言語を学んでいくんだっていう」
ゲスト「まあユニバーサル・グラマー,UGっていうのが,私たちのですね,脳の中にある。言語を司る部分がこの脳の中にあるっていう風に考えるわけですね。でまあ,鳥が飛べるのと同じように,人間にも言語を話すようになれる能力がどこかに備わってるっていう風に考えて,でそれは個別の言語って色々変わりはするけれども共通の能力みたいなのがあるんだって,考える」
ここまでは生成文法の考え方として完全に正しいです。間違ってないです。
動画では,続いて司会の方のソシュールへの怪しげな言及があって,そこはスルーすることにしまして,次の問題の箇所です。
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司会「この認知言語学というのはそのチョムスキーのアンチということで」
ゲスト「そうですね,UG,なかなか見つからない訳ですよ。全ての言語に当てはまるものっていうのが見つからないと。いわゆるヨーロッパの言語だったらうまくいっていたその理論っていうのも,他の言語に当てはめるとなかなかうまくいかないと。やっぱりこれ無理があるんじゃないかなと。説明できないものが多すぎるんじゃないかなと思って。それに対して認知言語学っていうのはそういうなんか曖昧なものを認める,みたいななるほどそういった学問」
この「UGがなかなか見つからない」というのけっこうなパワーフレーズで,正直聴いてひっくり返りそうになりましたが,いやいや,ひっくり返っている場合じゃない,アドベント・カレンダーに参加して何か書かないと,と思い立ったわけです。
端的に言って,UGは「見つけるもの」じゃない。いろいろな言語の共通項をあぶりだすものでもない。福井先生が言語学会会長講演で「一般の方で普遍文法を世界の言語から帰納するもの(グリーンバーグの言語学的普遍性のようなもの)だと誤解されている方がいらっしゃるけれども,それは違う」と言うようなことをさらっとおっしゃっていましたが(正確な文言は覚えていません),これがまさにこのポイントですね。「見つける」というのは「帰納」を念頭においた考えな訳ですが,UGは類型論的に帰納して炙り出すものじゃない。
ではUGとは何なのかというと,「プラトンの問題」と言われる問題を解決するための「仮説」なのであります。
プラトンの『メノン』には,教育のないメノンの召使いが幾何学的問題を解くことができるかどうか,ソクラテスがメノンに問う場面があって(注:プラトンの著作はソクラテスが他者と対話する形をとります),結局は,「簡単な手ほどき」を与えれば,教育のない召使でも幾何学の問題を解けるということが示され,その問題解決能力は後天的なものではなく,先天的に備わって眠っているものが「想起」されるのだという考えが示されます。
チョムスキーは,子どもが母語を学習するとき,「簡単な手ほどき」により生まれてから短期間(4〜6年)で母語の文法をほぼ完全に学習することを,この『メノン』の想起の逸話になぞらえて,第一言語獲得の問題を「プラトンの問題」として設定し,言語学の究極の目的は,この「プラトンの問題」の解決にあるとしたわけです(Chomsky, N. 1986. Knowledge of Language: Its Nature, Origin, and Use, p.7)。
この問題を解決するための仮説として,生得的・生物学的形質であるUGが設定されました。
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"The language faculty has an initial state, genetically determined; in the normal course of development it passes through a series of states in early childhood, reaching a relatively stable steady state ... [W]e call the theory of the state attained its grammar and the theory of the initial state Universal Grammar (UG) ." (Chomsky and Lasnik, in Chomsky, 1995, The Minimalist Program, p.14)
「言語機能には初期状態があり,それは遺伝的に決定されている。通常の発達の過程においては,それは子ども時代にいくつかの状態を経て,比較的安定した状態に至る...我々は獲得された状態に関する理論をそのgrammarと呼び,初期状態の理論をUniversal Grammar (UG)と呼ぶ」
また別の箇所ではチョムスキーはUGを「言語獲得装置」という動的な装置として定義しています。
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"One may think of this faculty [=UG] as a 'language acquisition device,' an innate component of the human mind that yields a particular language through interaction with presented experience, a device that converts experience into a system of knowledge attained: knowledge of one or another language." (Chomsky, 1986, p.3)
「この機能[=UG]を『言語獲得装置』と考えることもできるかもしれない。すなわち,提供された経験との相互作用を通して特定言語を生み出すヒトのこころの生得的部門,[換言すれば]経験を,獲得知識体系(=特定言語の知識)に変換する装置と考えられるかもしれない」
チョムスキーが現在もこのような動的な装置としてUGを考えているかは分かりませんが,少なくとも生成文法のUGというものが,「各種言語の共通項」として定義されているわけではないことは分かっていただけるでしょう(1965年の段階ではややそう受け取られかねないような書き方もみられるのも事実ですけど)。
「各種言語から帰納的にあぶりだす普遍的な特性」がUGなのではなく,むしろ考え方の方向が逆で,「素地があって,経験を通して各言語が獲得されるのではないか」という演繹的な「考え方」あるいは作業仮説がUGなのであります。
ただし,この「言語獲得装置」の正体はいったい何なのか,それは静的な「知識」なのか,動的な「学習メカニズム」なのか,その組み合わせなのか,また,その「知識」なり「動的メカニズム」は言語に特化した領域固有的なものなのか,それとも汎用的な認知機能の一部にすぎないのか,これらの点に関して,大きな議論がなされているというのがここ20年の潮流だと思います。
もちろんチョムスキーはゴリゴリの生得論者なので,上記の問いに対し,「言語領域に特有」の「静的な形質」を非常に強く主張しています。いっぽう,コネクショニズム/ニューラルネットワーク・モデルの台頭(Elman et al. 1996. Rethinking Innateness など)や,近年のAI研究,モデリング研究の隆盛によって,前提無しにデータだけからどこまで文法が学習できるのかがさかんに検証され,「プラトンの問題」の問題設定の仕方自体が批判にさらされているのも事実です。
しかし,上記のUGを「言語獲得装置」として捉える考え方を文字通りとれば,その基本部分がニューラルネットワーク的な考え方と真っ向から対立しているわけでは必ずしもないことは明らかでしょう。チョムスキーやチョムスキアンたちが主張する「各論」と,UGや言語獲得装置といった「総論」をごっちゃにすると,「各論で説明できないことが多い→UGはない」といったズレた結論になりかねないかと思います。
個人的には,UG(のようなもの)やLAD(のようなもの)を完全に否定することは難しいと思っています。ヒトの言語は,動物の言語とはまったく違います。いくら小鳥のさえずりのパターンが複雑だとしても,いくらハチのコミュニケーションやイルカのコミュニケーションが「高度」だとしても,動物界で1週間前にあった出来事や将来やりたいことを他の個体に伝える語り合う個体群はヒト以外にはいないでしょう。しかし,ヒトにはそれが簡単にできる。だからこそ,ヒトだけに世代を超えた知識の伝達が可能になり,狩猟や農耕が可能になり,そしてヒトだけが乗り物を作って乗る唯一の動物になっているわけです。
ですから,「言語特有の素地なんてない,一般的な認知機能からすべてを学習できる」と主張するのは良いですが,それならそれで,「ではなぜヒトの学習機能が特殊な言語知識を獲得できて,他の動物にはそれができないのか」という問いに答えなければなりません。UGが無いならば,何があるのか。それを考える必要があります。
動物のコミュニケーションにはないヒトの言語の特徴はたくさんあり,チョムスキーがさかんに主張するMergeなんかも面白いと思いますが(これも議論が分かれているところですが),圧倒的にすごいのは機能語(機能形態素)の存在だと思っています。法助動詞とか,時制を表す接辞とか,前置詞とか接続詞とか。機能語によってヒトは眼前のできごとでないこと(過去のこと,未来のこと,仮定のこと,はるか遠方のこと)を語ることができるようになりました。
さらに,最近興味深いなと思うのは,ヒトの言語はdenotation(指示的な意味)を基本としているところです。動物のコミュニケーションって,多くは動的な「呼びかけ」です。危険が迫っているぞとか,威嚇とか,求愛とか。犬を言葉によって訓練するとき,それは特定の音声(「お手!」など)を特定の行動のトリガーとして覚えさせるでしょう。それはことばが高度な「呼びかけ」として機能していることに他なりません。しかし,ヒトの幼児が言葉を覚えるとき,もちろん動的な呼びかけ語も覚えるのですが,数から言えば,一語期に覚える単語は圧倒的に名詞が多い。名詞を覚えるというのは,音声と指示対象を結びつける行為に他ならないわけで,これがソシュール的な「言語の恣意性」につながっているわけですが,なんでヒトだけが「指示対象を持つ音声記号」を生後数ヶ月から積極的に学習するんだろうかと思います。
生まれた時からそのへんのこと(音声は指示対象を持ちうるという知識)があらかじめ脳内に織り込み済みなのでは…… と考えてもさほどおかしな話とは思えません。みなさまにおかれましてはどう思われるでしょうか?
【補記】話はこれだけにしようと思っていたのですが,上記動画でどーーーーーーーーーーしても気になるところがあったので,もう一つだけ。
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ゲスト「有名な文,John sent a book to Mary というのと,John sent Mary a book というふうに,この2つがあると思って,1個は John sent Mary a book というのは多分第4文型とかっていう習うと思って,でもう1個それを変形して John sent a book to Mary っていうやつ。生成文法ではまあ変形,形を変えるっていう風に考えるのに対して,認知文法では形が変われば意味も変わると考える。意味と文法っていうのは関わってるって考えるので。生成文法は,意味と文法っていうのは切り離して考えるものであるって考えるのに対して,僕ら[認知文法? 構文文法?]はくっついてると,切っても切り離せないものだっていう風に考えれば,この2つの文だと焦点が違うって,僕ら考えるので,sent Mary a book っていうと Mary が所有してるっていうところに焦点がある。それに対して,sent a book to Mary っていうのは Mary にこの book が移動していく,というのをイメージ,そういうのに焦点が当たってる。そういった違いがあったりしますね」
これについては長くなるので,別ページで→ 興味ある方はこちらをごらんください
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Courses | Credits per semester |
Seminar Ia-IVb | 2 |
Phonetics I, II | 2 |
Phonology I, II | 2 |
Syntax I, II | 2 |
Semantics I, II | 2 |
Psycholinguistics I, II | 2 |
Academic Writing Ia-IIb | 1 |
32 credits, of which 8 should be from Seminars, are required toward the degree.
Doctoral program
Our doctoral program is a 3-year program where doctoral candidates with master's degrees take at least 8-credit worth of seminar courses with their advisors and write up a doctoral thesis.
Tuition and fees
Tuition and fees are as follows. Entrance fee is applied for the first year only.
Entrance fee (One-time fee) | 300,000 JPY |
Tuition | 617,000 JPY |
There will also be possibilities of research assistanceship and teaching assistantship. A merit-based scholarship in the amount of 200,000 JPY or 100,000 JPY is also conditionally available.
After two years of the program, if a student stays in the program with no course work, the tuition will be reduced to a quarter of 617,000 JPY.
関心のある方は,中谷(Mail Form)か,目当ての教員に連絡を取ってみてください。
出願期間は1月12-19日(消印有効)です。(願書などはこちらをご覧ください)