日本全国の模型ファンから熱烈に愛されるホビーショップのオーナー。
年100回以上の人気イベントを開催するタミヤ公認ミニ四駆インストラクター。
大手航空機製造メーカーの斬新なプロモーションをサポートするプランナー。
大木浩行さんは、こんないくつもの顔をもつ甲南大学出身の起業家です。
いくつものビジネスチャンスを発見してきた大木さんの、
ユニークな視点に今回はフォーカスしていきます!
バブル経済。その熱狂の時代を経て起業へ。
KONAN-PLANET 記者
今日はよろしくお願いします。

KONAN-PLANET 記者
大木さんは起業するまで普通に会社員をしていたんですよね。

私が甲南大学を卒業したのは1985年ですが、就職活動では定年まで安定して勤めることのできる会社を選ぶのが当たり前の時代でした。それで親戚のすすめなどもあり三ツ星ベルトに就職したわけです。機械用の伝動ベルトや産業用の搬送ベルトで有名な企業ですが、配属されたのは防水材など建築資材を製造販売する建材事業部でした。ちょうどその頃です、日本がバブル経済に突入したのは。
KONAN-PLANET 記者
地価と株価の高騰によって建築業界をはじめ日本中が好景気にわいた時代ですね。

大木浩行 さん
研修を終えて名古屋営業所に配属されたんですが、もうね、発注とか納期の電話が鳴りっぱなし。
需要と供給のバランスが、まったくとれてないんです。
頭がおかしくなりそうでしたが業績はどんどん拡大し、過去にないほどの売上を記録していきました。

KONAN-PLANET 記者
たしかに、当時の日本は信じられないほどの熱気に包まれていました。

大木浩行 さん
けれどバブル経済が収束すると業績は低下し、会社も経営をスリム化していきます。
営業も経費削減などのすごいギャップが待っていました。
私自身、会社員として今後は事業部長や役員を目指していくのかと考えても、 建材事業以外のことは知らないのでイメージできない。
入社して14年が経っていましたし「もういいかな」と考え、思い切って起業することにしたわけです。

KONAN-PLANET 記者
それでホビーショップガネットをオープンしたと。

大学時代から、定年退職したらホビーショップを開きたいと思っていたんです。親父が模型好きで、私もよくいっしょに模型作りをしていたので。だから、予定を前倒しした感覚です。ただし、コネも資金も経験もない、まったくのゼロスタートでしたけどね。


KONAN-PLANET 記者
バブル経済という激動の時代を営業の最前線で戦い抜いた大木さん。
それが落ち着いたときにもう一度自分自身の将来を見つめ直した結果が、
起業という新たな挑戦への決断に結びついたようですね。

街から消えた模型店。そこにチャンスを発見する。
いまはプラモデルといえばガンプラなどのオリジナルモデルが主流ですが、ガネットは実際の乗り物などを忠実に再現するスケールモデルが中心ですよね。
最初のコンセプトとして若年層ではなく購買力のある40代をターゲットにしたんです。昔ながらの模型店というのは激減していましたが、これは逆に競合の少ないブルーオーシャンなんじゃないかと。ターゲットが求める商品やサービスを徹底して、全国からわざわざ足を運んでもらえるショップになればチャンスはあるかなと。たまたま見つけて覗くようなショップじゃないから繁華街にある必要もなく、あえて夙川という閑静な住宅街にオープンしました。
国内の通常ルートでは満足できなくて、直接海外のメーカーや代理店と交渉しました。インターネットもメールもない時代ですから手紙とFAXでね。アメリカやイギリスとの取引が中心でしたが、仕事時間の半分は海外との仕入れ交渉に使っていましたよ。模型作りには細部を忠実に再現するための写真資料やアフターパーツなども重要なんですが、これらも海外から輸入しています。
模型の愛好家というのは、日本全国にいるわけです。なので、東京などの都市部はもちろん地方のサークルや会合に直接足を運び地道に関係を築いていきました。展示会があれば花を贈ったりもしてね。まあ、こちらも交流を楽しんでいましたけど。そのおかげで地方からもたくさんの注文をいただけるようになりました。開業して24年ですが、当初のコンセプト通りのショップ運営ができたと思います。


模型店のビジネスエリアを「街中」から「日本中」に拡大することで気づいた新たなチャンス。その視点から商品ラインナップやサービス、顧客ネットワークをアップデートしたことが、きっと成功につながったのでしょう!


「タミヤ公認 ミニ四駆インストラクター」という肩書をお持ちということですが、これはどういう称号なのでしょう。
オープン時のターゲットである40代が、20年経ったらどうなるんだろうと考えたんです。60歳で定年退職すれば購買力も落ちてきますよね。そこで思いついたテーマが「ミニ四駆」でした。家族ぐるみで手軽なミニ四駆に触れてもらい、それが子どもたちのプラモデル入門になれば良いなと。そこで20年前からミニ四駆教室を続け、4年前から本格的に「親子ミニ四駆工作教室」を各地で開催。コロナ禍までの2年で120回、延べ6,000人もの家族を動員しました。

ところがイベントでタミヤのロゴマークを使わせてほしいと、ずっとお願いしてたんですけど、どうしても許可がおりないんですよ。これだけミニ四駆の普及に尽力しているのに何故だと思い、とうとうタミヤの田宮俊作会長に直談判することにしました。

ええ。アポイントをとって直接お会いし、これまでの実績を説明したんです。すると「どうしてもっと早く言わないんだ」と驚かれ「公式エージェントとして認めるからどんどん活動してくれ」とお墨付きをもらえた。その肩書が「タミヤ公認 ミニ四駆インストラクター」なんです。これを名乗れるのは日本というか世界で私一人ですね。
「親子ミニ四駆工作教室」ではネッツトヨタ神戸とも協力していますよね。
私たちはプラモデル入門としてミニ四駆を普及しているわけですが、ネッツトヨタ神戸が期待しているのは車好きの子どもたちを増やす入口になることです。だから「親子ミニ四駆工作教室」にも積極的に参加してくれました。タミヤ会長とお会いしたときに「なにか必要なものはないか」と聞かれたので、ガネット、タミヤ、ネッツトヨタ神戸の三者で車を共同購入。これが「ミニ四駆ドリームカー」で、イベントに必要な機材一式を積み込んでおけるため、いままでよりずっと活動範囲が広がりました。

まだ起業したばかりのタイミングから、 すでに20年先の課題を考えている先見性には驚きです。
しかも解決のためのアクション を後回しにせず、地道に、
かつ大胆に継続していくバイタリティにも感心します。


学生よ妄想せよ!言い続ければ、いつか道は拓ける。
いまやショップやイベント以外にも、幅広く活動しているそうですが。
模型に関する私たちのノウハウを活用して、企業にノベルティグッズの開発をアプローチしています。最初は航空機製造メーカーが開発した水陸両用飛行艇で、工場に直接出向いて交渉しました。それから航空自衛隊輸送機、これらを静岡の模型メーカーで製品化したんです。すると各々の社内外でものすごく好評なんですよね。企業の広報活動をお手伝いする広告代理店のようなビジネスですが、新しい事業の柱にしようと考えています。
直談判といい、直接交渉といい、すごい行動力ですね。 キャンパス生活でなにか想い出はありますか。
大学4年間はとにかく楽しい毎日でした。大学に通うのが大好きでしたから、授業もすごく真面目に出席してましたよ。いまの妻も同級生でしたし。広大なキャンパスではないので、授業が終わって“一本松”のところに居れば、いつでもだれか友人に会える。帰りは岡本で遊んだり、三宮に飲みにいったり。めいっぱい遊んで勉強しましたね。そのせいで大学時代はほとんど模型作りをしてないんです。
最後に甲南大学の後輩たちに、先輩としてなにかアドバイスお願いします。


たとえば食事のときとか、妻と「こんなことしたら」「こんな風になったら」ということをよく話します。現実的でなくても、それがモチベーションになる。しかも不思議なことに、いつのまにか誰かに伝わり「こんなこと言ってたよな?それなら!」と実現する方向に進んだりするんです。大学時代なんて現実ばかり見ていても面白くないでしょ。Dreams come true !!ですよ。
なるほど!今日は楽しい話をたくさんありがとうございました。
未来をイメージするとき「夢」とか「希望」だと 「かなえたい」という気持ちから現実的になりがち。
けれど「妄想」とわりきれば 「かなわなくても仕方ない」と
大胆な発想が生まれそうです。
常識の殻を破るには良い思考トレーニングかもしれませんね。
今回はいろいろな気づきのあるインタビューでした。

ホビーショップガネット代表
大木 浩行さん
1985年、甲南大学経営学部卒業。三ツ星ベルト株式会社を退社後、1998年にホビーショップガネットを起業。模型ファンの間で全国的な知名度をもつショップへと成長させる。日本で唯一人の「タミヤ公認 ミニ四駆インストラクター」という肩書をもち、年100回以上「親子ミニ四駆工作教室」という人気イベントを各地で開催。また大手航空機メーカーのノベルティグッズ企画・販売やプロモーション活動サポートなどもおこなっている。