海外で活躍する卒業生インタビューリレー①
アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン編

NEWS!『甲南人』の活躍 > カルチャー
2022.1.21
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甲南には海外で活躍する卒業生が多くいます。

大学同窓会には、ロスアンゼルス、テキサス、シンガポール、バンコク、シドニー、インドネシア、フィリピンの7ヵ国・都市に海外甲南会があります。

そこで、各国で活躍する卒業生たちに、海外に渡った経緯や海外ライフ、おすすめの現地グルメ・観光スポットをインタビュー!リレー形式でつないでいく新企画、スタートです!

 

 


 

今回ご登場いただくのは、「テキサス甲南会」の松村会長です。昭和48年に経済学部卒業後、仕事で海外を飛び回り、現在はヒューストンにお住まいです。

 

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

松村会長、本日はよろしくお願いします。

現在はヒューストンで生活をされているとのことですが、

まずヒューストンはどのような都市でしょうか?

 

 

 

松村 博夫さん

 

ヒューストンはアメリカ南部テキサス州に位置する都市で、

人口は全米4位の約230万人です(グレーターヒューストンでは約700万人)。

 

綿花の集積場・輸出拠点として発展し、油田の発見で石油産業が集まり、

今やアメリカのエネルギー及び石油化学産業の拠点となっています。

また、NASAのジョンソン宇宙センターに代表される

宇宙産業や医療分野でも世界トップクラスを誇ります

 

 

 

 

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

ありがとうございます!学生時代から海外に興味があったのでしょうか?

 

 

松村 博夫さん

 

中学、高校と父の仕事の関係で海外生活をしていました。甲南大学では英語研究部のプレスセクションに所属し、英字新聞The Kohnanの編集に携わっていました。大学1年の夏休みには、船で横浜からカナダのバンクーバーまで行き、そこからグレーハウンドのバスで2か月間カナダ・アメリカを横断一周しました。その時のことを「Discover America」と題して英字新聞The Kohnanに連載させてもらいました。顧問の山本先生の添削で真っ赤だった原稿を思い出します。

 

 

 

日本とアメリカを行き来する20代~30代

 

元々オートバイが好きで、卒業後は川崎重工業株式会社に入社し、希望通りオートバイ部門に配属されました。工場実習を終えた8月には、オートバイのアメリカ工場(リンカーン)の設立プロジェクトにカバン持ちとして参加することになり渡米。何回かの出張を経て、1978年にロスに2年駐在し帰国。その数年後に再度ロス駐在となり、結婚してロスで新婚生活をスタートしました。約8年間の駐在中はロスアンゼルス甲南会にお世話になりました。

 

 

 

 

世界を飛び回って最終的にヒューストン

1990年に帰国後は、販促、広告宣伝の仕事に携わり日本から世界を見る立場になりました。いろいろな国を飛び回りモーターショー出展準備をしたり視察したり、新製品の発表会や試乗会などを世界中のジャーナリストを集め世界各地で開催しました。ある時はヨーロッパから成田空港に着いて、そのまま幕張の東京モーターショー会場に行って開催直前の最終確認に行った事もありました。大変だったけど楽しかったですね。

 

その後、オートバイ部門からガスタービン(発電機)部門に移り、ガスタービンの会社をアメリカで設立するためにニューヨークのマンハッタンに赴任。そこで事業計画等を作り込む予定でしたがトップの一声で1年後にはミシガン州グランドラピッズで会社を立ち上げることになりました。2006年に本社をヒューストンに移したのを機に我が家もヒューストンへ。2014年に仕事をリタイアしましたがそのままヒューストンに住んでいます。

 

現役時代のお写真(2008年)

 

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

ヒューストンの写真を見てびっくりしました・・・!

すごく都会ですね!利便性を考えてお引っ越しされたのですか?

 

 

 

 

松村 博夫さん

 

ミシガンに会社があった時は中南米への出張時には国際線との乗り継ぎが不便で、

ホテルに一泊したり移動時間が無駄になる事が多くありました。

そこで直通で移動できるヒューストンに支社を作ったのですが、

その後利便性と効率を考えて本社をヒューストンに移転しました。

 

 

ヒューストンは先ほども申し上げたように全米で4番目の大都市ですが、

石油ガス産業のメッカという事もあり世界中から人が集まっていて、

 

 

アメリカの中で一番の「メルティングポット」

と言われるくらい人種が多様な街です。

 

ちなみに我が家の左隣はナイジェリア人、その向こうはアラブ人、

その隣はイスラエル人、右隣はアメリカ系中国人でその隣はアメリカ人といった感じです。

 

 

家族との思い出のあるミシガンに愛着もありましたので

引退したらミシガンに戻るつもりでしたが、

年を重ねると氷点下20度にもなるミシガンの冬は厳しく、

夏が長く温暖なヒューストンに住むことに決めました。

年中好きなゴルフやテニスを妻と一緒にして充実した毎日を過ごしています。

 

 

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

仕事をリタイアされ日本に帰ることは考えなかったのでしょうか?

 

 

 

 

松村 博夫さん

 

子供達が皆アメリカにいて結婚し、孫たちも増え、

日本に帰る理由がなくなったというところでしょうか。

年1~2回 日本に一時帰国して温泉に行ったり、

美味しい食べ物を食べに行ったり、

友人に会ったりで十分かなと考えています。

 

 

それに、テキサス州はアメリカの中でも特に人があたたかく

ホスピタリティが高いのも気に入っています。

 

 

コンペティティブなので市内のレベルが高く、

スポーツをしていた息子の成長を実感できたことも、もう一つの理由です。

 

コンペティティブ:競争によって決まるさま。また、競争力。

 

 

 

ヒューストンでの生活

左上:通訳ボランティア 左下:日本人会イベント 右:ご自宅の様子

 

仕事をリタイアしてからは様々なボランティア活動をしています。長期滞在する駐在員、メディカルセンターに研究や研修で派遣されるお医者さん、宇宙飛行士等、日本人の交流支援組織「グレーターヒューストン日本人会」の会長を頼まれ2年間務め、今は副会長をしています。また来場者2万人を超えるヒューストンの人気祭りの1つ「Japan Festival」の会長を3年間務めました。その会場となるHermann Park内にある日本庭園の管理委員会の委員も現在務めています。また、医療通訳として心臓移植等難易度の高い手術のために渡米される日本人の患者さんや、駐在員のご家族でサポートが必要な方達のお手伝いをしています。ボランティア活動を通じてテキサスの他都市にいる方達と接する機会があったり、日本やアメリカで活躍するエンターテイナーをイベントに招待したりいろいろな方と繋がれるのも楽しいですね。日本人宇宙飛行士の方達とも交流があり、日本人会の色々なイベントにも参加して下さいます。

 

 

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

なんと!宇宙飛行士の方と交流があるんですか!?

 

 

 

 

松村 博夫さん

 

ご承知のようにヒューストンにはNASA(アメリカ航空宇宙局)

がありますので日本人宇宙飛行士もおられます。

 

野口さん、星出さんが最近宇宙から戻られましたが今年は若田さんが、

来年は古川さんが宇宙に長期滞在される予定です。

 

宇宙飛行士との交流(上:金井さんが宇宙へ行く前の総領事主催の壮行会、左下:金井さんと若田さんと一緒に、右下:野口さんが宇宙から戻ってこられた際のイベント) 

 

宇宙の世界を体感できる博物館「ヒューストン宇宙センター」は

観光スポットとしても有名ですよ。

 

ヒューストン宇宙センター

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

NASAに行けるってすごい・・・!科学技術の象徴が近くにあるなんて!

他にも、ヒューストンのおすすめはありますか?

 

 

 

 

松村 博夫さん

 

BBQも有名ですが私はやっぱりオイスター(牡蠣)がおすすめですね。

 

 

ミシシッピー川の水が滋養に富んでいるのかメキシコ湾沿岸で獲れる牡蠣は11月頃が旬でとても美味しいです。カクテルソース、レモンと西洋ワサビをつけて生で食べます。ドライマティーニを飲みながら39個食べたのが自分の最高記録です。お腹をこわしましたが(笑)

 

 

 

 

ヒューストンではないのですがI-10フリーウェーを西に2~3時間走ったサンアントニオにあるデイビー クロケットで有名な「アラモの砦」も観光の名所です。テキサスは昔メキシコ領であったため、テキサス独立の為メキシコと戦った戦場跡がヒューストンも含めいろいろな所にあります。

 

アラモの砦

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

生牡蠣とても美味しそうです・・・!

歴史ある建物も多く、とても興味深い街ですね!

 

 

 

 

松村 博夫さん

 

歴史というと、明治時代に日本人がテキサスに渡り大規模なコメ作り農場をメキシコ湾岸沿いでスタートさせ大成功されたそうです。

NASAの近くにあるKobayashi Roadは小林さんという果樹園に関係した人の名前だそうです。

 

余談ですが、連合艦隊司令長官だった山本五十六がワシントン駐在武官時代に、石油事情調査のついでに当地に住む長岡出身の日本人の家を訪ねられたという話を子孫の方から伺いました

 

ヒューストンの「小林通り」

 

 

また、第二次世界大戦中にフランス北部ボージュの森でテキサスの部隊が敵に囲まれ孤立した時に救助に向かったのが日系人の442部隊でした。一週間の激しい戦闘の末、442部隊はテキサス部隊の211名を救出しましたが、442部隊は216名が戦死し600名以上が重傷を負ったそうです。そういった過去から日系人に恩義を感じている年配の方も沢山いらっしゃいます。

 

 

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

意外なところで、日本とゆかりがあるのですね。

なかなか旅行ができない今、海外の風景にとても癒されました。

最後に日本の学生・生徒に向けて、メッセージをお願いします!

 

 

 

 

松村 博夫さん

 

家族で日本からニューヨークに移り住むことになった時、

日本の小学校に通っていた息子達はアメリカ生まれでしたが、英語が喋れませんでした。

現地の学校に入学してアメリカ人の中に入って何が一番助かったかというと、

空手、スキー、水泳などが出来た事や、計算が少し早かった事で

すぐに仲間に入れてもらえた事でした。

 

アメリカの子供達は何か一つでも人より

秀でているものがあると

言葉が分からなくても相手をリスペクトし、

すぐに仲間に入れてくれたようです。

 

同じ人間として個性を

認め合う環境があるようで、

子供たちにいろいろな事を

やらせておいて良かったな

と思いました。

 

 

人間は人種や肌の色、育った環境は違っても根本的には同じだと思います。

悪い人もいれば良い人もいる。だからこそ先入観にとらわれず、

お互い心を開いて個性を理解し認め合う事がとても大切だと思います

 

 

学生のみなさんも、

何か好きな事、得意なことを

もっともっと伸ばしてみて下さい。

どこで役に立つか分かりません。

 

 

そして「自分は日本人である」という自覚を強く持ってほしいと思います。

Global化の始まりは自分の国の事を良く知る事が第一ステップだと思います。

外から見る日本と日本から見る世界は別物です。

 

当たり前が当たり前でない世の中ですから、

学生の皆さん、小さな世界にとどまらず、大きく視野を広げ自分を研き、

自分の価値を高めるようにチャレンジして下さい。

シナトラの歌じゃないですがI did it my way と言えるように。

 

 

 

KONAN-PLANET 記者
KONAN-PLANET 記者
ありがとうございました!インタビューリレー第2弾にむけて、どなたか海外で活躍される甲南出身者をご紹介いただけないでしょうか。

 

松村 博夫さん
松村 博夫さん
はい、知り合いの甲南卒業生を紹介させていただきます。楽しみにしていてくださいね。

 

 

 


 

 

 

昭和48年 甲南大学経済学部卒業。在学中は英語研究部プレスセクションに所属し、英字新聞の編集に携わる。本山ゼミ。卒業後は川崎重工業株式会社に勤務。オートバイ部門、ガスタービン部門で多くの海外事業に携わる。趣味はゴルフ、テニス。2017年からテキサス甲南会会長。

 

※甲南大学同窓会のホームページはこちらから

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