海外で活躍する卒業生インタビューリレー⑤
アメリカ・アイオワ州編

NEWS!『甲南人』の活躍 > カルチャー
2024.1.19
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甲南大学同窓会の「海外甲南会」はロスアンゼルス、テキサス、シンガポール、バンコク、シドニー、インドネシア、フィリピンの7か国・都市にあります。 海外で活躍する先輩たちに海外へ渡った経緯などをリレー形式でご紹介する企画、第5弾は「ロスアンゼルス甲南会」の小出芳照さんにインタビュー。 小出さんは1990年(平成2)に経済学部を卒業後、アメリカの大学院に進学しMBAを取得。一旦日本で就職するも、単身でアメリカに渡りアイオワ州で乳酸菌製造の会社を創業。卒業後から現在に至る激動のストーリーをお聞きしました。

 

 

 

経歴について

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

小出さん、本日はよろしくお願いします! アイオワ州とは、どのような地域なのでしょうか。

 

 

 

小出さん

 

ほんとうに田舎ですよ(笑)。トウモロコシ畑が果てしなく広がっていて、人間よりもブタの方が多いというほど、農業と養豚がさかんです。古いアメリカの価値観が残っている地域だと思いますね。アメリカ合衆国大統領選挙の前哨戦である大統領候補指名党員選挙が、一番初めに行われる州としても知られています。

 

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

トウモロコシとブタですか!のどかそうですね。 そもそも、小出さんがアメリカに渡ることになった きっかけは何だったのでしょうか。

 

 

 

これからは英語が必要と、アメリカの大学院へ

甲南大学を卒業後、この先は英語が必要になると考え、アメリカのテネシー州立大学の大学院に進学しました。2年半で経営学を学びMBAを取得。卒業後は住友銀行から内定をもらったのですが、在米中に運良く永住権を手に入れていたのでアメリカに残りたいと会社に言って、ニューヨークにある子会社のファイナンス会社で研修することになりました。当時は「そんなことをいう新入社員はおらん」と面白がられましたね。2年の研修の最終日が、会社のあったワールドトレードセンターがテロに遭った日で、私はたまたま上司からお使いを頼まれてビルの外にいて助かったんです。まるで映画のような悲惨な光景は、今も鮮明に目に焼き付いています。

 

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

なんと!そんなことがあったとは・・・ 小出さんは、強運の持ち主ですね。

 

 

銀行を辞め、30歳でロスアンゼルスへ乗り込む

 

それから日本に帰国して、1993年の春から住友銀行の銀座支店勤務となりました。いわゆるエリートの道を順調に進んでいたのですが、アメリカに戻りたいという気持ちがどうしても消えず、アメリカ支社に転勤させて欲しいと上司に直談判したのですが受け入れてもらえなかった。それなら銀行を辞めて、アメリカで自分でビジネスを始めようと、単身でロスアンゼルスに渡ったんです。1996年、私が30歳の時でした。

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

誰か知り合いがいたとか、人づてがあったのですか?

 

 

小出さん

 

いえいえ、何もありませんよ(笑)。ただ、銀行で情報開発部に勤務していたときに海外不動産情報を知ることがあり、アメリカでの不動産業に可能性を感じていたんです。でも、渡米してすぐ会社を立ち上げられるわけもなく、状況を探るためにスポーツグッズやアメリカの特注モデルのバイヤーなど、いろいろなことをやりましたね。それから少しずつ、海外不動産に投資するようになり、ビジネスとして成り立つようになっていきました。けれども、不動産って「待ち」の事業なんですよね。ビルを持っていてもテナントが入ってくるのを待たなければいけない。そこで、何か新しいベンチャーの会社をやりたいとマーケットを探りだしたんです。

 

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

そこから、乳酸菌にたどり着くわけですね。

 

 

 

アメリカで未開拓の「ライフサイエンス」に着目

 

はい、いろいろリサーチしていて「ライフサイエンスが面白い」となったんです。日本では昔から乳酸菌飲料があるなど、乳酸菌が腸の調子をよくするという概念が浸透していましたが、アメリカではそういう考えすらありませんでした。そこで、大学の先生と共同で乳酸菌の研究をしたところ面白い菌が見つかって、それが腸にいいことも実証され、1999年に菌の特許を取得しました。 肉中心の食生活から食物繊維が不足しているアメリカ人にとっては、乳酸菌によっておなかの調子が劇的によくなるし、肉食外社との共同兼研究でブタなど家畜にも有効性があることがわかった。人間にも動物にも使えるしこれは売れる!と思ったのですが、時代が早すぎたんですね。アメリカ人からはクレイジーだと言われました。

 

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

そこで諦めようとは思わなかったのですか?

 

 

 

今はまだ早いだけ、これからマーケットは大きくなると予想していたので、諦めることはありませんでしたね。製品化するには培養してくれる会社が必要なのですが、それもアイオワ州にあるスウェーデンの食品メーカーが引き受けてくれて、少しずつ量産できるようにもなりました。ラッキーなことに、大手ヨーグルトメーカーが「プロバイオテクスが大事」という広告を大々的に展開して、そのおかげでようやくアメリカ人の間でも浸透。時代の流れに乗ることができ、今は自社ビルも建ち35人の従業員を抱える会社になっています。

https://www.probioferm.com/

 

 

また、食品業界の間でよりナチュラルにという流れが出てきて、畜産の世界でも抗生物質を減らそうという動きが高まっています。抗生物質は家畜の病気を防ぎますが二次的に人間にも影響を及ぼすため問題とされてきました。抗生物質を乳酸菌に置き換えることで、安全に良質な家畜を育てることができます。現在、アメリカ4番手の鶏肉生産会社と取り引きがあり、我が社の乳酸菌で育ったチキンがアメリカ全土に流通しています。乳酸菌の製造と平行して不動産業も継続しており、現在はショッピングモール施設や住宅、農場などを所有しています。

 

 

 

 

成功の秘訣について

 

KONAN-PLANET 記者

 

まさにアメリカン・ドリームですね! ビジネスにおいて、小出さんが大事にされていることは何ですか?

 

 

 

 

小出さん

 

まず一つは、自分なりの座標軸を持つことです。そして、時代の潮流を読むこと。これからどうなるか、どの業界が良くなるか、先を読み見極める力が必要です。そうは言っても、うまくいかないこともある。そういうとき、自分の信念がないと簡単に折れてしまいます。だから、自分の軸が大切なんです。私の場合は「アメリカに根を下ろすんや」という気持ちで渡米しました。来たからには悔いなくやろうと、今まで常にベストを考え、ベストを尽くしてきた。絶対に諦めない強い気持ちが必要だと思います。

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

失敗したらどうしようと、どうしても考えてしまいます。

 

 

 

 

 

小出さん

 

ダメならしょうがない、という割り切りも必要です。それに、失敗したらお金は失うかもしれませんが、命がなくなるわけではない。自分ができることは全てやる、その気迫があったから、ここまで来られたのだと思いますね。

 

 

 

現地での生活について

 

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

アメリカでの暮らしについても聞かせてください。

 

 

 

農業と畜産がさかんな、のどかな田舎街

 

アイオワ州で妻と子ども2人で暮らしています。アイオワ州は、アメリカ合衆国中西部にあって「アメリカのハートランド(中心地)」と呼ばれています。農業と畜産がさかんで、マーケットに行けば多種多様な採れたての野菜が並んでいますよ。アメリカ有数の豚肉の産地でもあるので、豚を使った料理が多いですね。食生活は地産地消で豊かですが、アメリカの食事はとにかくバリエーションが少ない。食に関していうと、やはり日本は他の国の追随を許しません。日本の食がどこよりも美味しい。年に一度、実家のある大阪に帰省しますが、美味しいものが食べられるのが何よりうれしいですね。

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

ここは見るべき!という観光名所があれば教えて欲しいのですが。

 

 

 

小出さん

 

クリントイーストウッドとメリルストリープの主演で話題になった映画『マディソン郡の橋』の舞台になったことでも知られていて、映画を象徴するマディソン郡にある屋根付き橋は観光名所になっています。ケヴィン・コスナー主演の映画『フィールド・オブ・ドリームス』で描かれた野球場もアイオワ州にあるんですよ。甲南会のあるロスアンゼルスまでは、飛行機を使えば5、6時間というところです。

 

 

 

 

海外甲南会の活動について

 

KONAN-PLANET 記者

 

ロスアンゼルス甲南会では、 どのような活動をされているのですか?

 

 

小出さん

 

歴史のある同窓会で、現在は20名ほど会員がいます。企業の駐在員として来られている人や、私のように事業を興している人などさまざまで、年に一度は総会を開くなど交流もさかんです。最近は少子化のせいか、若い人が入ってこないことが残念でなりません。甲南生のみなさんには、ぜひロスアンゼルスに来て、経験豊富な先輩たちと話をしてもらいたいですね。いろいろな考えを知ることで、「自分もアメリカでやってみたい」という思いが生まれることもありますから。

 

 

 

今日は楽しいお話をありがとうございました。 最後に、読者の方々へメッセージをお願いします。

 

 

 

小出さん

 

 

住友銀行時代の上司に言われて今でも覚えているのが、「アピールできるものを見つけて生きていくことが大事」という言葉です。優秀な人たちの中で戦うには、自分の得意なことで戦うしかありませんでした。人と差別化できる、自分だけのユニークさを見つけることが重要です。Book Smartよりは、Street Smartの方がいい。世相や世の中の風の読み方、社会での生き方がうまい方が、人生うまくいくのではないかと思います。 どんな時代にも柔軟に対応する力も、これからますます求められるでしょう。そしてぜひ、海外にも目を向けてください。めげない強い心を持って、日本だけに留まることなく海外に飛び出してください。みなさんがアメリカに来て活躍してくれることを、心待ちにしています。

 


 

 

1990年経済学部卒業。卒業後はテネシー州立大学大学院に進学し、1992年に卒業(MBA取得)。大学院在籍中に偶然応募したグリーンカード(永住権)抽選に当選。大学院卒業後は住友銀行に入社し、最初の1年間は引き続きアメリカで勤務。その後、銀座支店勤務を経て本店情報開発部でM&A関連業務に従事。

「アメリカに戻りたい」という気持ちから1996年、30歳で退職を決意し、ロサンゼルスに移住。不動産事業を展開するとともに、現地の食生活の様子からライフサイエンス事業に可能性を見出し、乳酸菌の研究・製造・販売を開始。現在は、同乳酸菌で育ったチキンがアメリカ全土に流通するまでに拡大。不動産事業ではショッピングモールや農場、住宅などを所有・展開している。

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