甲南大学地域連携センター

KONAN INFINITY
23.10.18

えん罪救済プロジェクト:名古屋市市政資料館(旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎)レポート

えん罪救済プロジェクトの名古屋研修合宿では、様々な刑事司法の現場に触れることができました。今回は、メンバーによる、名古屋市市政資料館のレポートを掲載します!

 

            

 

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 名古屋研修に行き、様々な司法に関わる施設を訪れました。その中でも、名古屋市市政資料館は特に興味深い施設でした。

 この建物は大正11年に名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所として建設され、東海地方の司法の中心として60年近い歴史を積み重ねました。ネオ・バロック様式の外観は華やかで美しいものでした。こうした歴史的背景と建築美を貴重な文化遺産として残すために、平成元年に名古屋市市政資料館として整備されたそうです。昔の裁判所がどのようなものだったかを知ることが出来たことが良い経験になったと感じています。

 当時の裁判所は現在とはかなり異なっていました。

 まず驚いたのはこの建物の構造です。建物に入ってすぐに見える中央階段室には広々とした吹き抜けがあり、映画に出てくるような綺麗な大階段がありました。その階段を登った先には罪と罰がつり合うことを意味する、天秤をモチーフとした綺麗なステンドグラスがありました。この部屋だけでなく、会議室や法廷もかなり豪華に見える作りで、部屋の扉や壁は重厚感があり、天井にはシャンデリアが吊るされているなど、現在の裁判所とかなり違う雰囲気でした。

 また、当時の法廷の様子も現在とは違いました。この施設には明治憲法下の法廷が再現されていました。当時の裁判所では法壇の中央に3人の判事、その左側に検事、右側に裁判所書記が着席していました。そしてその法壇から少し下がった位置の右側に弁護人が座っていました。

 現在の裁判所では法壇から少し下がって片側に弁護人が居ることは同じですが、検察官も法壇から少し下がり、弁護人と対面する形で逆側に居ます。この構造から、現在では物理的にも検察官と弁護人が対等であることが認識できます。しかし、当時の裁判所では、検事が被告人・弁護人より高い位置にいて、判事の隣にいたことから、被告人・弁護人は圧を感じ、検事は裁判官側に寄っているのではないかと考えられ、不平等な構造になっていると思いました。

 私はこの施設を訪れ、当時の裁判所の様子や現在との違いを学ぶことが出来ました。それはとても興味深いものでした。まだまだ知らないことが多いので、これからも司法の現場について関心を持ち、もっと理解を深めて行きたいと思いました。

[法学部2回生・栗岡周平]

 

        

 

 名古屋研修2日目に旧控訴院に訪れました。到着して建物が西洋風の壮大なデザインであったことに衝撃を受けました。内装も西洋の豪華な装飾が施されており、内装外装共にコンクリートでシンプルな現代の裁判所とのギャップに驚きました。

 明治憲法下の法廷を再現した展示エリアを見学しました。現代の法廷と違う点が2つありました。1つ目は服装です。判事、書記だけでなく検事と弁護人も法冠と法服を着用していました。法服の胸元には唐草模様があり、判事は紫、検事は赤、弁護人は白、書記は襟だけに緑が施されていて誰がどの職業かわかりやすかったです。現在は判事と書記だけが模様のない黒い法服を着用しています。黒はどんな色にも染まらないことから裁判が公正であることを意味しています。調べてみると検事と弁護人が法服を着なくなったのは当事者主義が関係していることがわかりました。当事者である検事と被告人・弁護人が争い、裁判官が公正に判断するという当事者主義を服装にも反映したと考えられます。

 2つ目は着席位置です。法壇上に左から検事、判事、書記が着席し、法壇から一段下がったところの右側に弁護人と被告人が着席していました。現代は検事も法壇から降り弁護人と同じ高さで着席しています。こちらも服装と同様に当事者主義が反映されたものだと考えられます。

 これらから目で権力の差を感じることができ、当事者である被告人の心理にも影響が生じるのではと考えました。裁判官は公正に裁くために被告人より一段高いところにいるのは納得できますが、検事が被告人より高いところにいるのは重圧を感じるはずです。

 旧控訴院では裁判制度の変化を学ぶことができ、これから私たちが学ぶ法学にも大きく関わっており、更に理解を深めたいと感じました。

[法学部1回生・藤尾幸樹]

    

 

 

 名古屋研修2日目に名古屋市市政資料館を訪れました。文化遺産と認められるほどの華美な外観に、最初は言葉も出ませんでした。名古屋市市政資料館は、現存する最古の控訴院建築で、文面の説明だけでなく、目でその当時の法廷を見ることが出来、当時の裁判所の雰囲気を感じることができる空間となっていました。

 明治憲法下の法廷を再現した法廷で、現在の法廷との違いを見ることができました。明治憲法下の法廷では、職権主義という、審判の手続の主導権を審判官に認める考え方を採用していたため、裁判官と検事の地位が弁護士よりも上でした。その為、法壇上に左から検事、判事、書記の順に着席し、法壇から一段下がった場所の右側に弁護人と被告人が着席していました。現在は、裁判官のみが法壇の上に立ち、検事と書記は法壇から下り、弁護士と同じ地位の目線から対等に裁判を行っています。これは、事案の解明や証拠の提出に関する主導権を当事者に委ねる原則である当事者主義をとることになった日本の司法体制の変化を感じる所でした。

 戦前・戦中には、特定の刑事事件の第一審公判に、一般人から抽選等で選ばれた12名の陪審員が列席して、犯罪事実の有無を評議して答申するという陪審制が採用されていたそうです。裁判所は答申を不当と認めるときは、他の階審に付すことができ、相当と認めるときには判決を宣告するという光景を見ることもできました。様々な理由があり、陪審制度は施行停止したのですが、現在でも法律には残っています。「階審裁判には控訴ができなかった」という説明がありました。冤罪が表立って目に見えてきた現在では、控訴することで判決が覆り、冤罪から晴れる裁判もあります。国民が司法に深く関わる制度ですので、この制度を用いる国があることそれ自体は否定はできません。ただ、日本は、未だに冤罪に苦しむ人がいるにも関わらず、司法制度改革ができていないこともあり、控訴ができないというこの制度を復活することには危険性もあるのかな、などと考えました。

 名古屋市市政資料館にて、過去と現在の法廷の違いを目で見ることができました。当時、なぜこの制度を用いたのかを理解するために、さらに法学の知識を深めていきたいと感じました。

[法学部1回生・吉田彩恵]