甲南学園震災アーカイブ 『学園が震えた日』

「常ニ備ヘヨ」

阪神・淡路大震災から30年、これからの備え #11

職員(当時国際言語文化センター・広域副専攻センター事務室) 谷口 理恵

 30年前の午前5時46分、まだ辺りは暗く、「ゴォー」という何とも言えない音で目が覚めたところに激しい揺れが自宅の2階で寝ていた私達家族を襲った。恐怖とともに、4歳と2歳の子供たちを守らなければと子供の上に覆いかぶさり、揺れが止まるのをじっと待った。「何が起きたのか?」状況をつかめないまま、揺れが収まったのを確認し、階下に降りた。その時に、1本の電話がなり、知人から「阪神高速が倒壊したそうや。大丈夫か?」との連絡があり、未曽有の事態が起きていることを知った。幸いにも、自宅の周辺では大きな被害はなかったが、買い出しに出かけた夫は、帰ってくるなり、「店はレジも壊れて会計できないし、物が売り切れで何もない、2号線周辺では亡くなっている人が横たわっている。」と興奮して話して聞かせた。これ以降長い間、ガス、水道等のライフラインは止まり、電話は不通で連絡ができず、電気だけは早く復旧したのでテレビからの情報が頼りだった。

 仕事に復帰したのは1ケ月ぐらい経過してからだったと思う。実家から1時間半近くかけて車で通勤した。出勤できる職員が必要な部課室にそれぞれ割り当てられ目の前の業務に取り組んだ。私は、電話室で在学生や受験生、保護者からの電話に対応した。震災から2ケ月頃を過ぎると、非常事態であることに多少落ち着いてきたように思う。元々の配属先である事務室に戻り、何日間もかけて部屋の片づけを行った記憶が残っている。その間、甲南大学は地域の方の避難先となり、いろいろな方がボランティアとして尽力された。それは本当に貴重なことだった。

 震災から30年経った2025年もあと、数日で終わろうとしている。この節目の年に改めていろいろ震災について考えることができた。どれだけ多くの人に助けられたことか、感謝してもしきれない。これから先も怠ることなく、災害への備えを忘れず、また、日々感謝して毎日を悔いなく過ごすことが、「常二備ヘヨ」という教えなのではないかと思う。

2025年12月

 

倒壊した阪神高速
倒壊した阪神高速

仮設校舎
仮設校舎

 

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