甲南大学は開学70周年。
開学当時の1951年はどんな時代?

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2021.4.21
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2021年、甲南大学は開学70周年を迎えました。甲南大学が誕生した70年前の1951年は一体どんな時代だったのか?どのような社会のなかで甲南大学は生まれたのか?

そんな視点で、甲南大学の歴史と当時の様子を見ていきましょう!

 

 

旧制高等学校を発展継承し、新制大学として「甲南大学」を開学。

甲南大学の創設は、幼稚園の創設に発しています。平生釟三郎をはじめとする関西で活躍する11人の実業家たちは、神戸に私立の幼稚園と小学校をつくろうと、1911(明治44)年に幼稚園を、翌年に小学校を創設。1919(大正8)年には現在の甲南大学岡本キャンパス(神戸市東灘区岡本)の地に、甲南中学校を開校しました。

その後、甲南中学校は西日本唯一の私立旧制七年制高等学校へと発展。それを継承する形で、1951(昭和26)年に新制大学として甲南大学が開学されます。入学生158人、文理学部1学部2学科からスタートした甲南大学は70年の時を経て、入学者数2,101人、学生数8,581人に(2021年度)。人文・社会科学、自然科学など、多様な分野に渡る8学部14学科を備えた総合大学へと発展しました。

 

 

昔の1号館と現在。阪神・淡路大震災で建て替えられてはいるが、当時の趣を残す。

 

 

岡本キャンパスの全景で比較。 まだ校舎の数がまばらな印象。

 

 

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

甲南大学は関西の政財界メンバーがつくった大学。

開学時の入学生は158人だったんですね。

 

 

正門からのアーチ道。 ここは今も変わらない風景。

 

 

 

では、1951(昭和26)年はどんな時代だったのか

 

 

平和条約の締結で国際社会に復帰。お米5キロが108円の時代。

まだまだ戦争の傷跡が色濃く残る頃、1951年はようやく人々が立ち直ろうと動き出した年といえます。9月、第3次吉田内閣はサンフランシスコで第二次世界大戦終結の平和条約を締結。日本と連合国側48カ国が署名し、日本は主権を取り戻し国際社会への復帰を果たします。甲南大学が開学された1951年は、日本の政治面における大きな変革の年だったのです。

 

戦争で焼かれた町にも新しい建物が立ち並ぶようになり、職業安定所は仕事を求める人たちであふれ、朝鮮戦争以後の物価の上昇に主婦たちは頭を悩ませたといいます。では、物価はどうだったかというと、うるち米は5kgで108円、当時は配達が主だった牛乳は180ml入りの瓶が1本13円でした。郵便はがきは1通5円、新聞代は1ヵ月220円。ちなみに、当時の公務員の初任給は5,500円だったそうです。

 

 

大学生は珍しかった?

現在日本には約800もの大学がありますが、甲南大学開学当時は約200校。大学生の人数も現在は約290万人ですが、当時は約30万人程度しかいませんでした。
今は大学に通うこと自体は珍しいことはではありませんが、70年前はごく少数の方々が通うものでした。

 

 

紅白歌合戦、プロレス、プロ野球・・・エンターテイメント創世記。

この頃の人々の楽しみを紐解いてみましょう。力道山がデビューした1951年は日本の“プロレス元年”。力道山が外国人レスラーを痛快になぎ倒す様子に人々は熱狂し、プロ野球、大相撲と並び国民的な人気を集めました。プロ野球では初のオールスターゲームが開催され、記念すべき第一戦は2対1でセントラルリーグが勝利。巨人の川上哲治選手がMVPに選ばれています。

9月には日本初の民放ラジオ局が開局。年末にはNHKが公開番組として「第1回NHK紅白歌合戦」をラジオで放送。今も続く日本の年末の風物詩は、この年に生まれました。さらに日本航空株式会社の設立など、1951年は戦後から高度成長期へと移り変わる、時代のうねりのまっただ中だったといえるでしょう。

 

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

まさに変革の時代。
これからの未来を担う若者を養成する甲南大学の開学は、
人々の希望だったのではないでしょうか。

 

 

 

開学から70年後の今と、今から70年後の日本の未来。

そんな時代から70年後の2021年。インターネットの急激な進化により、リモートワークや遠隔でのコミュニケーションが可能になるなど情報化社会が発達しました。そして、少子高齢化による人口減少や環境問題が深刻化。私たちが生きる現代社会は、おそらく70年前の人々には全く予測できなかったでしょう。

では、70年後の2091年はどのような社会になっているでしょうか。2030年までに出生率が2.1に回復した場合、日本の人口減少が2090年頃に安定するといわれています。森林の減少、洪水被害、砂浜消失、熱中症リスクなど、地球温暖化による経済損失は計り知れず、海水温上昇で日本近海の天然コンブ11種が2090年代までに消滅するという予測も。一方でこれから生まれるであろう新たな技術や発明により想像もつかないような輝かしい時代を迎えているかもしれません。

 

 

 

KONAN-PLANET 記者

 

70年後には私たちの予測できない未来が待っている!
甲南大学は、そして卒業生たちは
70年後の日本に、世界に、どんな貢献ができるのか!?
大いに期待したいと思います!

 

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