30年前の阪神・淡路大震災によって、甲南大学は大学院生・学生16名の尊い命を喪いました。前途洋々たる未来に向かってひた走っていたであろう途が突然閉ざされた無念さを思うと、ただただ残念でなりません。またご遺族や関係の方々の悲しみを思うと、胸が痛みます。心からお悔やみ申し上げます。
あの朝、あの瞬間、私は神戸市垂水区の生家にいました。突き上げるような縦揺れの瞬間、てっきり隣接するマンションのガス爆発だと思い、両親に逃げようと叫んだのですが、続く揺れに立つことも布団から這い出すこともできず、大声で何かを喚き続けていたのを覚えています。
昭和2年に建築された家は、大屋根が小屋根を壊し、外側の杉皮は剥がれ落ち、室内の土壁が崩れて中から昭和1,2年の新聞が大量に出てくるありさまでした。素人でできる限りの応急措置を済ませたのちはひたすら当時の新聞を読んで過ごしたものです。
10日ほど経った頃、当時勤めていた京都の研究所から同僚が支援物資を届けに神戸の西の端まで来てくれると連絡が入り(その情報がどうやって届いたかは今も不明です)、土やら埃やらをかぶって真っ黒になっていた私は、ようやく出た水を風呂にためて丹念に頭の先から足の先まで洗いました。ガスも電気もいまだ復旧しない中で冬の水はとても冷たかったはずですが、若かったのかアドレナリンが出ていたからか、ちっとも寒いとか冷たいとか感じませんでした。
その時届けてくれた大量の支援物資は本当にありがたく、そこから数週間の自宅での生活を可能にしてくれるものでしたが、意外にもその中に入っていた宝石のように美しいチョコレートの小箱の嬉しかったこと。余裕もなくギスギスしていた心を溶かしてくれる優しさでした。
被災したり困難を抱えたりしている人を支援するとは、物質的なニーズに応えるだけではなくその人の立場に立って心に寄り添うことであることを、あの震災は私に教えてくれました。「常二備ヘヨ」の教えに込められた心の持ち方や人への思いやりの大切さも、しっかりと語り継いでいきたいと思っています。
2025年1月
