甲南学園震災アーカイブ 『学園が震えた日』

「常ニ備ヘヨ」

阪神・淡路大震災から30年、これからの備え #4

甲南大学名誉教授 (前理事長) 𠮷沢 英成

「常ニ備ヘヨ」の心構え

 阪神・淡路大震災の起こる1年半ほど前の甲南学園の理事会のことである。

 協議事項として2号館(いまとなっては旧2号館)のエレベーターをどのように増強すべきかというテーマがとりあげられていた。(旧2号館は1995年1月17日の地震で全壊として認定され、現在の1号館として再生した建物である。)

 その2号館には4階~7階に大中の講義室が10室あって、全収容人数は優に2千名を超えるものだった。ところがエレベーターは2基しかなく、スピードも遅いため、講義開始前は混雑が甚だしく、何台も待たなければ乗り込めない。特に6階、7階の受講生は階段を上るのもなかなかのことであった。

 この混雑を解消するために、エレベーターを少し大きくし性能の高いものに取り換えるというのが一案。もうひとつは2号館の側面に沿ってエレベーター用のスペースを増築しエレベーター2基を追加増設するという案。両案とも構造的にいろいろ制約はあったが、学生と教員の利便性を考えた提案であった。

 両案を比較しての発言が何人かの理事からあり、しばらく議論が続くなか、一人の学部長理事から次のような意見が開陳された。 「私は2号館の講義室を使用するたびに思うのですが、もし2号館で講義時間中に火災でも発生したら、エレベーターがどうのこうのというより、階段が急で狭くて暗いので、慌てて退避しようとする学生たちで大混乱となり、大惨事になるのではないでしょうか。2号館の問題の本質は不便なエレべーターにあるというより、階段の持つ弱点と北側についた非常階段(スロープ)の脆弱さにあると思います。2号館の全体の建て直しを考えるのが急務ではないでしょうか。」

 この意見が出されてから、議長がどうまとめたか、調査・検討を継続するとなったと思うが、この学部長理事の発言にハッと目を覚まされたのは私だけではなかっただろう。この発言は「常ニ備ヘヨ」の心構えそのものだった。

 これには、さらに後日談がある。

 その当時、理事会の議事録は出席理事全員の署名捺印が必要であった。書き上げられた議事録がこの学部長理事のところに回ってきた。目を通した学部長理事は自分が発言した内容が一言も含まれていなかったので、「これでは議事録に署名できません。加筆してください。」と、議長との間に何度かの遣り取りがあり、正確には覚えていないが、「エレベーターの不便さより2号館の階段に構造上の問題があると指摘する意見もあった。」が付け加えられ、出席理事全員の署名捺印が得られた。平生の「常ニ備へヨ」の精神が理事会議事録に留められた。

 30年前の大震災。もし発生が3~4時間遅かったら、期末試験中の2号館はあの発言のような大惨事に陥っていたかもしれない。午前5時46分に発生しても、あれだけの大災害であったのだ。

2025年1月

 

北側スロープの壁が落下した2号館
北側スロープの壁が落下した2号館

 

𠮷沢英成 経歴
1941年生
1972年- 甲南大学経済学部 教員
1987年-1988年 学長補佐
1989年-1990年, 1991年-1992年 経済学部長
1994年-1998年 甲南大学副学長
1998年-2004年 甲南大学学長
2005年-2006年 副理事長
2006年-2020年 学校法人甲南学園理事長

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