甲南大学 人間科学研究所

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論考「愛と暴力——赦しのキリスト教化とその残余」港道隆

甲南大学人間科学研究所叢書『心の危機と臨床の知』第12巻、『〈戦争の子ども〉を考える』に私は、「喪、赦し、祈り——数ある例の一つではない」という一文を寄せた。それは数年来、本研究所の研究テーマの一系列をなす「和解と赦し」のささやかな成果の一端である。そこで私が展開しようとしたのは、和解と赦しの差異であり、それと同時に暴力からの「解放」過程だと言われる和解プロセスからこぼれ落ちる、赦し得ぬ残余の問いであった。それは、比類なき歴史的試みであった南アフリカ共和国における「真実和解委員会」の動向に問いかける形をとった。この一文末尾で私は、グローバリゼーションの中における紛争解決のキリスト教化の一過程として、ウィリアム・シェイクスピアの『ヴェニスの商人』に言及した[1]。実際上の長さの限界からそこでは、本質的な論点のみを言葉にしたのであったが、読解の根拠はほとんど示すことはできなかった。その不十分さを補うため、本稿では『ヴェニスの商人』に焦点を絞って論点を別の形で浮き彫りにしてみたい。以下は従って、私の小論の末尾にある一節に付した長い注である。

「愛と暴力——赦しのキリスト教化とその残余」 港道 隆

[1]  拙論「喪、赦し、祈り——数ある例の一つではない」、森茂起・港道隆編『〈戦争の子ども〉を考える』、平凡社、2012年、p. 312ページ以下。

関連論文として、次の論考もご参照ください。

2009年10月5日(月)「和解から赦しへ」 港道 隆

論考「和解から赦しへ」港道隆

「和解と赦し」とのタイトルをもった本研究プロジェクトを私は、両者の差異を追求することで、現在まで様々に展開されてきた議論とは異なる次元を開きうるとの予測から進めてきた。ところが、これまで班会議に参加し発表し、質疑応答を交えてきた方々の議論が、そのつど非常に興味深いものであったのに反し、その興味深さがかえって問題設定の曖昧さを招いてきたように思われる。それは責任者としての私の怠慢に由来するものと反省している。そこで私は、現時点で問題を整理し、論点を可能な限り明確化することによって、今後の展開に寄与できればと思う。そして以下の文章を人間科学研究所のホームページに公開し、参加していただいている方々からの助言を期待し、今年度後半からの新たな展開を準備したい。

2009年10月5日(月) 「和解から赦しへ」 港道 隆

*2009年に開催された以下の班会議を踏まえ、今後の班会議での討議ポイントに関して述べた論考です。

第4回班会議(公開型)
日時:2009年3月6日(金)16:30~
場所:甲南大学18号館 3階 講演室
提言者:下河辺美智子(成蹊大学/精神分析批評、アメリカ文学・文化研究)