
─甲南高等学校第一回卒業証書授与式式辞(1926年4月11日)
─甲南高等学校尋常科入学式式辞(1934年3月22日)
─『平生釟三郎述 私は斯う思ふ』(1936年)
─中学校調査会における演説(1928年11月)
学生・生徒を正しく導いて行くには、何よりも先ず先生の質をよくすること、先生の心掛けを根本的に矯正することが必要になつて来る。先生の方でただ月給を取つて、教へるだけのことを教へればいい、なまじつか余計な事まで手を出せば馬鹿にされるだけだから、まあ障らぬ神に祟りなしといふ消極的な態度。──かう云う傾向は高等学校、中等学校などでは殊更甚だしい。
これでは学生を導かうといふ熱意は永久に現れないであらう。
殊に教育家の資格として、第一に挙ぐべきは公平無私な人格である。
私は甲南学園で先生方によく次のやうなことを云ふ。
「一体先生は学校に何をしに行つてゐるのですか。一体、あなた方が生徒を教へるのに、生徒が何をしに来てゐるか、と云ふことなどを考へてお教へ下さるかどうか。」
どうも今日の学校で、生徒が何をしに来てゐるかと云ふことを考へて、教へてゐる人は少いやうである。
学校は先生の為に作つてあるのではない。生徒の為に作つてあるのである。だから先生には生徒の為になることは、何でもしてもらはなければならぬ。
生徒がその先生の前に出れば、ひとりでに頭が下る、文句が云へない、といふ様な強い所を持つてをると同時に、何とはなしに親しみを感じ、慕はずにはゐられないと云ふやうな先生でなければならない。
鉄は最も強く熱し、その熱してゐる中に叩いて、良質の鉄に鍛え上げる。教育の真理もこれと同様である。教育者は先づ教へ子に対して、強い信念と至誠と愛情とを以て、燃ゆるやうな若い彼等の心境に点火し、彼等をして、積極的に進んで向学に精進する熱情を持たしめながら、導いて行くのがほんたうの教育者の態度である。その熱情と、信念が、根底になくして、ただ形式的にどんな科学的態度をとらうが、そんなものには何の効果もないのだ。
─『平生釟三郎述 私は斯う思ふ』(1936年)
我日本に於ける教育は智育偏重、智育万能である。智育偏重、それは「教授」ではあつても、決して、「教育」ではない。
その智育すらも、今まで言つた様に、画一注入主義で、人間天賦の独創力を引出さずにただ無闇に画一的な知識を詰め込む。元来人間といふものは、中には何にもない一種の空瓶だと考へている。だから外部から詰込む外はないと云ふ事になる。空瓶の中に葡萄酒を一様に詰込むやうに、人間という空の器に、一定の「教授」をやつて智恵の瓶詰をこしらへるのであるから、出来上がつたものは皆同じにならざるを得ない。
そして同じものを一本道に追ひ出して、互ひに第一番に目的地に着くことを競争させる。それでは、他人を突きのけ、押し飛ばして行くの外はあるまいではないか。
「凡ての人は天才であり、その天才を発揮させて行くと云ふことが、人間を作ることの本義でなければならぬ。ただ各人の天分がそれぞれ完全に引出されるならば、それは完全な人である。」
「人間の魂が人間を作る。人間は人間の魂の力に依らなければ、作れるものではないと、私は信じてゐる。」
「人生は長い長いマラソン競走である。この長い競走に堪へ得る人を造り上げるのが教育の目的である。その選手が練習中に倒れるやうでは、練習の意味をなさぬことになる。ただ入学ということのみを目的として、現在の教育がなされつつあるといふことは、非常に悲しいことだ。」
「立派な人間をつくるには、まずその人間をつくる立派な先生をつくるのが、先決問題である。科学的な知識は、書物の上でも独習ができるが、真の人間教育は、人格の触れあいによってでなくては、完全は期せられない。」
─『平生釟三郎述 私は斯う思ふ』(1936年)