マネジメント創造学部 准教授 榎木 美樹 × マネジメント創造学部 髙橋 和花
はじめに、先生が行っている今の研究の概要について教えてもらいたいです。

今やっている研究は主に3つあります。すべて研究費を取って行っているプロジェクトです。
一つ目は、インドに住んでいるチベット人、つまりチベット難民がどのようにコミュニティを再建していくかという、「チベット難民の社会統合」を研究しています。
二つ目は、インドにおける女性の仏教宗教者(尼僧/比丘尼)に関する研究です。インドでは女性が抑圧されているという背景がある中で、宗教者としてどのように主体性を確立しているかを他大学の先生と共同で研究しています。
三つ目は、宗教と政治に関わるテーマです。インドにいるチベット系の仏教徒における「聖と俗」の関係、つまり宗教者と社会がどのような関係性があるのか、チベット人がチベットにいた時の仏教の形(文化や伝統)と、インドでの仏教実践がどのように違うのかを研究しています。
インド、女性、マイノリティといったキーワードで研究されていると思っていたのですが、今はインドの中でもチベット人について研究されているのですか?

そうですね。チベット人の研究も、難民という脆弱な立場の人びと、つまりマイノリティ研究と思っています。
もともとの研究は、インドの「不可触民」というカースト制度にも入らない人々について、その人たちが差別されながらも、どのように自分たちで政治的・経済的地位を向上させ、権利を回復していくか、という社会運動を調べていました。そして、その「不可触民」が生活するエリアの近くにチベット人が多いことに気づきました。インド居住のチベット人は難民で、インド政府に難民キャンプ(定住地)を与えられて住んでいましたが、そこは農業に適していなかったり、井戸水が出なかったり、電気が通っていないといった、インド人があまり好んで住まないような場所で、「不可触民」の人たちの暮らす村にも近かったのです。難民も「不可触民」も、不利な状況で生活を再建しているというつながりに気づき、チベット難民のことも調べ始めました。「不可触民」はカースト制度による 差別から抜けるためにヒンドゥー教から仏教に改宗することが多いですが、チベット人も大多数は仏教徒なので、「不可触民」とチベット人の交流が始まりつつあります。「不可触民」とチベット人の関係についての研究を経て、今の3つの研究につながっています。
面白いですね。興味が一気に高まりました!


私の中では、インドのマイノリティ研究という大きなテーマの中で、これまでの「不可触民」の運動、仏教への改宗、チベット難民の生活再建、そして宗教者の主体性という要素が、すべてつながっています。

先生のご経歴を調べた際に、インドに留学されていたと知りました。インドに留学されたきっかけは何だったのですか?

もともとは文学部で哲学を含むインド学を学んでいたので、インドという国にはすでに馴染みはありましたが、文学で社会問題、特に差別の問題を解決するのは難しいと感じて、修士課程では経済学へ進みました。
そのとき受け入れてくれたのが中村尚司先生 という、もともとアジア経済研究所の職員で、スリランカ水利研究の専門家です。私がインドで差別問題を研究したいと言ったとき、他の先生は「それ、経済学じゃないのでは?」という反応でしたが、中村先生だけが「やりたいならやっていいよ」と受け入れてくれました。
そしてある時、大学院の授業のプレゼンで「私はこういう『不可触民』問題解決に向けた研究をしたい」と発表すると、中村先生に「あなたみたいな頭でっかちな差別論者は、現実の社会を見てきなさい。あなたは現実のインドを見ずに頭だけで考えている。即座にインドに行きなさい」と言われました。
その時は、「私は差別をなくしたいと思っているのに、なぜ“差別論者”と言われなければいけないのか」とショックを受けましたが、実際にインド社会で暮らすうちに、私は「この人はバラモン*だから差別する人」「この人は『不可触民』だから差別される人」というふうに、人を属性でみるという、調査者として一番やってはいけない偏見や決めつけを行っているということを先生は言いたかったのだと気づきました。
インドには国費留学生として修士課程の2年、別の奨学金で博士課程として2年の合計4年間を学生として滞在しました。
当時は女子寮で約300人のインド人女子学生たちと共同生活をしていました。ルームメイトにはバラモンの女性もいて、学びの多い環境でした。
例えば、インドではトイレ掃除は「不可触民」の人たちがやる仕事で、バラモンの子たちは自分の部屋の掃除はしません。だから、掃除をしてくれる「不可触民」の人たちと良好な関係を築いていないと、トイレも部屋も掃除をしてもらえず日常生活に支障が出ます。そういった関係性を見ていると、バラモンだからといって「不可触民」を理念的かつ直接的に差別している人はあまりいないのでは、と感じました。今までは書籍を通してしか、加えて普段付き合いのある「不可触民」側の視点でしか物事をみていませんでしたが、「不可触民」ではないルームメイトやクラスメイトに話を聞いたり、寝食を共にすることで、ハイカーストの人びとがこの問題にどう対処しているのか、または対処していないのか、という書籍を通してでは見えてこなかったグレーで複雑な関係が、日々の生活の中で見えてきました。
*バラモン: ヒンドゥー階層社会における第一位カースト (リドル J.・ジョーシ R.著、重松伸司監訳、『インドのジェンダー・カースト・階級』明石書店、p.508)
理屈ではないということを留学で学んだ後、今につながっている思考の変化はありますか?

あります。やはり現場主義になりました。
書籍に書いてあることはもちろん大事ですが、それが必ず正しいとは限りません。何十年・何百年前はそうだったかもしれないけど現在は状況が変わっている、ということもあるので、「本で書かれていること」と「今現場で起きていること」の両方を常に見つめる視点を持ちたいと思うようになりました。
大学院では経済学研究科の民際学研究コースに入りましたが、最初は「民際学」という学問の意味をよく分かっていませんでした。民際学は、国を単位にした国際関係の捉え方に異議を唱えます。チベット人や日本人といった「国」の枠組みでは、常にマジョリティやマイノリティ、権力の有無といった問題が関係します。しかし、人を中心に見ると、「もともとチベットにいたチベット人が今インドにいる」という、状況に応じて生活拠点が変わることは、普通に生じること、とも考えられます。このように、民際学は人を中心に柔軟な視点で考えていきます。また、農民や漁民といった第一次産業に携わる人々の知恵や技術は、学歴や言語能力とは違ったかたちの「賢さ」や「身体技法」であり、対等に尊重されるべきだというのが民際学の立場です。民際学は、フェアトレードやSDGsとも親和性があり、国ではなく人のつながりを重視しています。大切な要素は「関係性の創出」そして「多様性の展開」、「循環性の永続」です。これが、私の研究の中でも大事にしている考え方です。
一方、私は統計調査の現場にも身を置いた経験があります。日本の量的調査実施機関に関わりましたが、数字の裏側にあるバイアスや限界を実感しました。インドの国勢調査を例に挙げると、インドでは読み書きができない人が多く、代わりに地域の有力者が回答してしまうこともあり、事実と齟齬のある回答が記録されることを見てきました。そうした経験から、統計はあくまで参考に留め、「不可触民」や難民といった「見えにくい人々」の声を直接聞く質的調査の重要性を再認識しました。
量的調査ではなくて、質的調査で生きていきたいという気持ちが固まったのは量的調査を行う機関で働いたからこそです。
やはり、やりたくないことを知るとやりたいことが分かるんですね。


それはあると思います。一度やってみて「これが好き」と思うこともあれば、「向いていないな」と思うこともあります。ただ、やる前に頭だけで考えても分からないです。できそうに見えることもあるし、器用な人ほど実際できてしまうこともあるので。でもそれと「好きかどうか」は別の話です。探しながら動いて、やりながら考える。そうやって、好きなことを見つけて選ぶ姿勢が大事だと思います。
インドの女性やマイノリティの中で生きる女性と、日本の女性では、環境や宗教が全く異なると思いますが、代表的な違いや、逆に女性だからこその共通点はありますか?

前提としての違いは多々ありますが、共通点としては、どこの国の女性も「痛みに強く、愛が深い」と思います。だからこそ闘うときは本当に強いです。
違いで言えば、インドでは家族や親戚とのつながりが非常に強いです。3〜5親等までを含んだ血族・姻族との関係が日常的で、特に女性はそのつながりの中で生きています。宗教に関係なく、家族の意見を重視する文化が根づいています。
例えば結婚の際は、日本よりもお見合い結婚をすることに抵抗がありません。家族の祝福があってこそ幸せという考え方で、「みんなで幸せになる」ための選択です。これは日本が忘れつつある感覚かもしれません。
先生が外務省やNGOで働かれていた時、具体的にどんなお仕事をされていたのでしょうか。そうした場所で働こうと思った目的や、そこで何を得ようとされていたのか、ぜひ教えていただきたいです。

キャリアを考えてそうしてきたように見えるかもしれませんが、当時は全然考えていなくて、その時できる仕事をやってきただけでした。私はもともと先生という職業に就きたくて、小学校の時に先生に憧れて、大学では社会の教員免許を取って中学校教員になるつもりでした。しかし、大学2年次にインドへスタディツアーに行って考えが変わりました。自分の考えを共有しながら、その時代を生きる学生と一緒に学んでいきたいと思い、大学の教員になりたいと思うようになりました。とはいえ、教員の公募にはなかなか通らず、大学院の奨学金の返済もあり、どう生きていこうかと思っていたときに、指導教員の中村先生に外務省の専門調査員の仕事を紹介され、応募しました。その結果、バングラデシュの日本大使館で勤務し、その後もJICA(国際協力機構)やNGOなどで働きながら、大学教員への応募を続け、博士号取得後9年目で名古屋市立大学に採用され、2024年度から甲南大学で勤務しています。

榎木先生ご自身の視点でインドの評価を教えてください。

インドは「多様性の中の統一」を国是とし、特に90年代からは「We are Indians」という統合したアイデンティティを掲げています。宗教や言語、身分の違いを超えて、インド人としての共通の価値観を持つことが重視されています。ヒンドゥー教徒はヒンドゥー教として、イスラム教徒はムスリムとして、それぞれ宗教の教えを通して「善いインド人」であろうと努力し、他者の違いも当たり前として受け入れています。日本のような「内と外」の感覚とは異なる形で、外の人に対しても「そういう人もいるよね」と受け流す部分があります。
ただ、社会にはカースト制度に基づく差別や格差が非常にあからさまで、道端で死にかけている人を放置し、助けようとしない無関心な現実もあります。私はそうした現実を見てショックを受けましたが、一方で家族を大切にし、思いやりの深い人も多く、身内には優しいという側面もあります。
人口の多さもあり、M.K.ガーンディーのような突出したカリスマやリーダーが多く生まれるのも特徴です。インド人はエネルギッシュで、コミュニケーションが活発で、世代を越えた交流も盛んです。一方で、社会問題には無関心な面もあり、多面性や多元性が強い国でもあります。
甲南大学マネジメント創造学部のホームページ(https://www.konan-cube.com/professor)に掲載されている榎木先生の紹介文に、「ビジネスを通じた国際交流」にも注目されているとありました。どのようなビジネスや国際交流なのか教えてください。


業界やビジネスの種類に限らず、関係性を続けていけば何でも交流になるので、何の商売でもいいと思いますが、現実問題としてあまりうまくいっている例を私は知らないです。やはり究極的にはお互いあまり信用してないのだと思います。インド人同士でも、実はあまり相手を信用していないし、日本人もインド人をすごく信用しているかというとそうでもないです。だから、結局「違う人」と思ってお互い生きている感じですね。
ただ、ビジネスパートナーとしてはうまくやっていけると思っています。インド人は物おじせず前に出る力、日本人はきっちり固める力があるので、うまく組めば良いビジネスパートナーになると思います。ただ逆に考えるとインド人はいい加減でルーズ、日本人はルールに厳しく上司に相談しないと決断しない、というような特性もあるので、お互いフラストレーションも溜まりやすいように見受けられます。しかし、私はJICAインド事務所で勤務している際に、日本の中小企業がインドのNGOと提携するオーガニックコットン事業を支援して、うまく事業実施に繋げることができたという経験をしました。橋渡しは単なる言葉の通訳ではありません。日印それぞれの文脈、加えて同じ日本語でもJICAと企業では「プロジェクト」「事業」の意味合いも異なります。ですから、通訳ではなく、日印双方および異なる論理で動く組織体の思いを汲み取って伝える調整役に徹しました。そういうコーディネーションは得意だと感じたので、もし別の仕事に就くなら 、私はインドに行って、日本企業とインド人をつなげるような商売、架け橋のようなことをやりたいなぁと思っています。
インタビューの感想
今回の準備段階からインタビューの実施に至るまでの過程を通して知ることができたのは、榎木先生のこれまでの実績や仕事内容だけでなく、その背後にある人生のストーリーでした。実際にお話を伺う中で、研究への向き合い方が先生そのものを映し出しているようだと感じ、まったく新しい視点で先生を理解できたように思います。最も共感したのは、統計や数値にとらわれるのではなく、マイノリティに焦点を当て、「個人の声」を丁寧にすくい取るという姿勢です。将来、人の心に寄り添う仕事がしたいと考えている私も、社会を見つめる上で大事にするべきだと感じました。
特に印象に残ったのは、前職でのお仕事や、マネジメント創造学部で教員をされるまでの歩みについてのお話です。さまざまなお仕事を経験されてきた先生ですが、すべての経験の先には、一貫して「大学教員になりたい」という明確な目標がありました。大学教員になるまでの間、様々な仕事にも取り組み、その中で得た知見やスキルは将来への糧になるということを、実体験を通して伝えてくださいました。夢を追い続けることの大切さと、たとえ遠回りに思える経験であっても後にそれが力になるということを心に留めて、これからのキャリアを考えていきたいです。



