唐代藩鎮体制の分析を通して帝国維持のしくみと滅亡の過程を探る。文学部 歴史文化学科 講師 新見 まどか(中国史)

中国史の専門家で、唐・五代期を研究している新見まどか講師にお話しを伺いました。

About Me ( NIIMI Madoka )

文学部、歴史文化学科に所属しています。専門は中国史です。

現在の中華人民共和国は漢語を公用語とし、漢族が圧倒的多数を占めます。しかしこの姿は、歴史の現実とは必ずしも一致しません。実は中国史は漢族だけの歴史ではなく、また漢字だけですべてを理解できる世界でもありません。中国の歴史においては、非漢族、特に北方の遊牧民たちが、漢族と同等かそれ以上に重要な役割を果たしました。高校世界史でも、北魏や隋・唐、遼や金、元や清など、非漢族が建国した王朝をたくさん習うはずです。遊牧民は中国にときどき現れる侵入者ではなく、中国史を動かすもう一人の主役だったのです。

漢族の国、漢字文化圏の中心というステレオタイプな中国像を払拭し、多民族・多言語・他宗教がまじりあう、躍動感あふれる中国史を描き出す。目から鱗が落ちるような大学の学びを、提供できればと思っています。

Research

History of the Late Tang Dynasty

私はこれまで、中国、唐王朝の後半期(8世紀半ば~10世紀初頭)の歴史を研究してきました。この時代の中国は、教科書でもほとんど扱われない、マイナーな時代。不人気といっても良いくらいです。

その理由はおそらく、当時の唐が我々日本人の理想とはかけ離れているからです。はじめて本格的に中国の制度や文化を導入した奈良・平安期の日本人が目にしたのは、皇帝を頂点とし、整然とした秩序に支えられ、中国のみならず中央アジアまで支配下に収めた、堂々たる「世界帝国」としての唐王朝の姿でした。ですが、これは唐という王朝の前半期の姿にすぎません。

では私の研究している後半期はといえば、領域はぐっと縮小し、とても「世界帝国」の威容はありません(〔地図〕参照)。それどころか、全国に「藩鎮」という地方軍閥(「節度使」という武将に率いられた自律性の高い軍事勢力)が割拠していました。日本史で例えるなら、戦国時代か江戸時代、各地に戦国大名ないし藩が存在した状況に近いかもしれません。中国史においては、皇帝が全国各地の人民と土地を直接統治する体制こそが理想とされがちなのですが、後半期の唐はそうではなく、皇帝と人民・土地との間に藩鎮が介在していたのです(〔図1〕参照)。それは、日本がモデルとした唐の姿とはまったく異なっていました。 

藩鎮について、みなさんが手にする教科書や概説書、各種インターネットサイトでは、唐を弱体化させ滅亡に導いたというネガティブ・イメージが主流です。しかし近年の研究の進展によって、藩鎮による地方統治体制――藩鎮体制こそが、唐を長期にわたって存続させた要因であることがわかってきました。藩鎮は、弱体化した朝廷に代わって地方の軍事・行政・財政を担い、王朝の統合維持に貢献してきたのです。ごくおおざっぱにいえば、西方から北方に位置した藩鎮はウイグルなどの遊牧勢力に対する防衛を、東方から南方に位置した藩鎮はそれに対する財源を提供するという役割分担がありました。

そこで私が注目したのは、この藩鎮同士の横のつながりと、それを敷衍した唐国外への人脈の広がりです。さきほど、藩鎮は戦国大名に似ていると述べましたが、戦国大名の場合、大名同士の関係(仲がいいのか悪いのか、婚姻や同盟があるのかどうかなど)を抑えておくのは常識ですし、実際多くの研究があります。ところが、私が研究を始めた2000年代半ば、唐の藩鎮についてそのような視点はほぼ全く存在しませんでした。そこで私は、約150年間にわたり、200人以上の節度使たちをめぐる人間関係を整理し、人物相関図を作り、分析を行いました。

[地図]唐の領域とその変化
[図1]唐後半期の地方支配概念図

一連の分析の結果、藩鎮の活動が唐国内だけでなく、モンゴル高原などの遊牧世界や、朝鮮半島・日本にまで及ぶ海域世界の影響を受けていたことが明らかとなりました(〔図2〕参照)。さらに、塩の密売商人が起こした黄巣の乱――すなわち国内の社会・経済的問題――によると通説的にいわれてきた唐の滅亡についても、遊牧世界との連動のうえで描き直すことが可能となりました。先ほど「About Me」でも述べたように、中国史はたとえ国内史であっても、当時の国際情勢への目配りと、非漢族への理解が欠かせないのです。以上の成果は、2022年に『唐帝国の滅亡と東部ユーラシア――藩鎮体制の通史的研究』(思文閣出版)という本にまとめて出版しました。甲南大学の図書館にも入っているので、もし興味があれば手に取ってみてください。

[図2]藩鎮と遊牧世界・海賊世界とのかかわり

現在、私は研究の視野を唐滅亡後の五代十国期(10世紀)に広げ、唐滅亡後の国際関係史にも取り組んでいます。ここまで研究を続ける原動力となったのは、やはり史料を読む面白さ。読み込むうちに登場人物一人一人が肉付けされ、漫画や小説などのフィクションを上回るワクワクやゾクゾクを与えてくれます。想像力が暴走しないよう注意しつつ、有名無名の人々が作り上げてきた歴史の営みを、生々しく拾い上げることが理想です。

KONAN’s Value

甲南大学、特に歴史文化学科の学問は、専門的な知識と横断的な知識、その二つを組み合わせた思考力の養成を目指しています。

専門的な知識とは、自身の興味・関心のある領域に特化した、深く鋭い学びです。この学びを実現するためには、専門書や史料を読解し、他の人にまねできない自分だけの得意分野を見出だす必要があります。

ただし、特定の分野だけ見ていては、偏見や誤解が生じるおそれがあります。そこで必要なのが、横断的な知識です。本学の歴史文化学科には、日本史・西洋史・アジア史に加え、人文地理学と民俗学が併設されており、1年生のときからこれらを総合的に学びます。そうすることによって、価値観の相対化や広い視野での考察が可能となります。

実際に、私の中国史の授業では「日本の伝統だと思ってたものが、実は中国発祥だと知って驚いた」「中国的だと思っていた文化が、実は遊牧民由来だとは知らなかった」といった感想を学生からもらうことがあります。これらは、専門的な知識と横断的な知識が組み合わさって初めて得られる知見です。

甲南大学だからこそできる学びを、ぜひ一緒に体感できればと思います。

Private

趣味は洋裁、特に双子の娘のための子供服づくりです(〔図3〕は最近作ったもの)。お気に入りの生地屋さんは、芦屋と三宮に店舗がある「check&stripe」。綿(コットン)や麻(リネン)、絹(シルク)や毛(ウール)など、仕立て映えする天然繊維の生地が豊富です。

実は、繊維産業は世界史を考えるうえでも大事なもの。古来シルクロードを行きかった主要商品は中国の絹ですし、イギリスの産業革命は綿織物業から始まりました。「たかが生地では?」と侮るなかれ。触って縫って着てみれば、それらが世界の覇権を左右した理由を実感できます。最近は娘たちも大きくなり、既製品の服を購入することが増えましたが、もうしばらく作り続けたいです。

[図3]趣味は洋裁

Profile

文学部 歴史文化学科 講師

新見 まどか

NIIMI Madoka

専門領域
中国史、唐・五代期の政治・軍事・国際関係史

キャリア
日本学術振興会   特別研究員(RPD)
大阪大学 大学院 人文研究科 助教