「教える」という行為は、日常生活のいろんな場面に見られます。例えば、「このフルーツは何というのか教えて」、「一番近いバス停はどこか教えてください」,などと言われたら、適切な情報を相手に教える事になります。こうした場合の「教える」とは、「伝える」という意味合いです。
これに対して、「教育」という行為はどうでしょうか。なるほど、自分の持っている知識を相手に伝えるという行為は確かに教育と言えそうですが、これで教育が完結したとは言えないでしょう。
ちなみに手許にある辞典をひもといてみますと、教育は次のように定義されています。「ある人間を望ましい姿に変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること。知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養などを図り、その人のもつ能力を伸ばそうと試みること。」
そうです、教育とは児童や生徒の才能を見いだし、いろんな意味で成熟した人間を作り出す事です。甲南学園創立者、平生釟三郎の言葉を借りるなら、「天賦の才の引き出してやる」という行為なのです。この行為は、単なる「教える」という事より遥かに次元の高い、崇高なものです。そして、教員とはこの行為を実行できる専門家でなくてはならないのです。
教員を目指す皆さんは、上に述べた事を遂行できる教員像をしっかりイメージしてください。そのイメージを具現するために自分は何をしなければならないのかを、常に自分に問いかけてください。おそらくやるべき事は山積みでしょう。それを1つ1つ片付けていくために、甲南大学教職教育センターの教職員は皆さんへのバックアップを惜しみません。どうか一人でも多くの教員志望学生が、その夢を実現してくれる事を願っています。
2024年4月1日
教職教育センター所長
文学部教授 福島彰利