高野清弘先生(法学部)「教養小説あるいは「憧れ」のすすめ」

☆新入生向けの図書案内

著者: ゲーテ
タイトル: ヴィルヘルム・マイスターの修業時代 (ゲーテ全集 第5巻)
出版者: 人文書院
出版年: 1960
配置場所: 図書館 3階書庫一般
請求記号: 948.6/5/3

数年前、還暦を迎える頃、ふとしたはずみで、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』を読み返した。驚いたことに、たちまちのうちに、私は少年の日に戻ってしまった。ヘッセやカロッサなどの教養小説に読みふけった日々、あの十五・六の頃のときめきを六十歳を間近にした私が確かに感じたのである。
教養小説は、辞典的な定義だと、教養= 自己形成小説ということになる。一人の少年が青年に至る過程で、友人との交歓と対立、美しい異性への憧れと恋の挫折、向上を求めるひたむきな格闘を経験し、傷つきながら成長していく。これが教養小説の典型だといえるだろう。ところで、人は知らず、私の場合、なぜ教養小説に惹かれたかといえば、そこに必ずといっていいほど出てくる異性への憧れのせいだったと思う。現代ではないのである。住み着いた猫も雄猫だけといううわさのカトリックの男子校。姉妹校の女子校との共同礼拝の時、聖堂のステンドグラスを通して光が斜めに差し込んでくる中、浮かび出るような、跪く美少女の横顔を見たことはある。だが、ただそれだけのことなのである。教養小説は、私にとっていわばロールプレイングゲームであった。教養小説の恋愛はたいていかなえられない。その主人公に自らを擬して、憧れを楽しんでいたのだ。
近頃、教養教育の重要性が叫ばれている。だが、私に教養を教える自信はない。自分に教養を教えるだけの力があるなど思うならば、ニーチェによって「教養俗物」とからかわれた一九世紀のドイツの教授たちに申し訳ない。しかし、教養を教えられない教師として、私は教養小説を読んでいただきたいと切に願う。教養小説は読者の心に憧れを生み出す。その憧れは一切の学問の出発点としての知的好奇心とつながっていると信じるからである。
甲南大学図書館報 藤棚(Vol.29 2012) より