湊かなえ著 『人間標本 』

 

 

知能情報学部 4年生 Mさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : 人間標本 
著者 : 湊かなえ著
出版社:KADOKAWA
出版年:2025

湊かなえの『人間標本』は、人間関係の中に潜む無意識の残酷さや、他者を見る視線の冷たさを、「標本」という言葉を通して描いた作品である。標本とは本来、命のないものを観察する対象だが、本作ではそれが生きた人間に向けられる。その発想自体が強い違和感を生み、人を人として扱わない態度の怖さを印象づけている。

物語を通して描かれるのは、人が他人を理解しようとする行為の危うさである。登場人物たちは、相手を思って行動しているつもりであり、明確な悪意を持っているわけではない。しかし、その善意は次第に、相手を一方的に観察し、評価し、決めつける視線へと変わっていく。そこには対等な関係はなく、「見る側」と「見られる側」という立場の差が生まれてしまう。その変化が日常の延長として描かれている点に、現実味と恐ろしさを感じた。

湊かなえ作品らしく、本作でも語りや視点によって印象が揺れ動き、正しさや善意が決して一つではないことが示されている。誰かにとっての親切が、別の誰かにとっては深い傷になるという構図が、静かな文章の中で浮かび上がる。その淡々とした描写が、かえって人間関係の冷たさを際立たせている。

特に印象に残ったのは、「理解しているつもり」になることの怖さである。相手を分かった気になった瞬間、人は相手の声に耳を傾けなくなり、自分の見たい姿だけを見るようになる。その結果、相手は一人の人間ではなく、都合よく整理された「標本」として扱われてしまう。本作は、その危うさを静かに読者へ突きつけてくる。

「人間標本」は、派手な事件や衝撃的な展開がある作品ではない。しかし、読み終えたあとに残る違和感や不安は強く、長く心に残る。他人を見る自分の視線は本当に対等なのか、善意という名のもとに誰かを傷つけていないか。本作はそうした問いを通して、人間の怖さと弱さを静かに考えさせる一作である。