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和田秀樹著 『感情的にならない本 : 不機嫌な人は幼稚に見える』

 

 

知能情報学部 4年生 Tさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : 感情的にならない本 : 不機嫌な人は幼稚に見える
著者 : 和田秀樹

出版社:PHP研究所
出版年:2020

本書は、人間関係や社会生活の中で避けることのできない「感情の揺れ」を出発点に、穏やかに生きるための現実的な方法を提示する一冊である。雲が青空に浮かぶさまや、こんこんと湧く水の透明さといった比喩を用いて理想の心の状態を描きながらも、著者はそれが常に保てるものではないことをはじめから認めている。不満や怒り、不安、苛立ちといった感情は、電車に乗り、職場に向かうだけで自然と生じるものであり、それ自体を否定しない姿勢が本書全体を貫いている。

本書の特徴は、感情的になることを単純に「怒りの爆発」として捉えていない点にある。むしろ問題視されるのは、内向きに溜め込まれる怒りや不安、いつまでも頭の中を占拠するもやもやした感情であり、さらにはパニック状態に陥る心の動きまで含めて扱われる。精神医学の専門的な知見が背景にありながらも、語り口は平易で、日常の実感に即しているため、読者は自分自身の心の動きを重ね合わせながら読み進めることができる。

また、精神科医である著者自身が、感情に振り回されてしまう一人の人間であることを隠さず語っている点も印象的だ。専門家であっても感情は乱れるという率直さが、説教臭さを和らげ、むしろ信頼感を生んでいる。提示される方法も、感情を無理に抑え込むのではなく、揺れを前提にどう整えていくかに重点が置かれている。

本書は、感情を制御するためのマニュアルというよりも、感情と付き合うための視点を与える書である。読み終えたとき、心が劇的に変わるわけではないかもしれない。しかし、自分の感情を、少し距離を置いて眺めるきっかけを与え、穏やかな「感情生活」へ向かうための確かな足場を用意してくれる。その静かな効き目こそが、本書の持つ最大の魅力であると感じた。

夢枕獏著 『陰陽師』

 

 

知能情報学部 4年生 Tさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : 陰陽師
著者 : 夢枕獏

出版社:文芸春秋
出版年:1991

本作は、平安という時代を舞台にしながら、歴史書とも怪異譚とも一線を画す独特の空気をまとう物語である。冒頭で語られる安倍晴明の姿は、英雄的な人物像でも、明確な善悪を担う存在でもない。本書内で風に漂う雲に喩えられるように、その輪郭は常に曖昧で、掴もうとした瞬間に形を変えてしまう。読者は晴明を理解したと思った次の頁で、その認識を裏切られることになる。

陰陽師という存在は、書の中では占いや呪術を行う者として一旦説明されるが、本作では単なる異能者ではなく、「見えないもの」を読み解く知性の象徴として描かれる。星の巡り、人の心、方位や気配といった要素が重なり合い、怪異は単なる妖の仕業ではなく、人の情や執着と深く結びついて立ち現れる。そのため物語は恐怖一辺倒にならず、むしろ静かな哀しみや余韻を残す。

対照的に、源博雅朝臣の存在は読者の視点に近く、理屈よりも情を重んじる人間らしさを体現している。晴明の捉えどころのなさは、博雅との対話によって際立ち、二人の関係性そのものが物語の核となる。怪異との対峙は派手な戦いではなく、理解し、受け入れ、あるいは見送り、やむを得ない場合のみ払う行為として描かれる点が印象的だ。

本作の魅力は、平安時代という「闇が闇として存在していた」世界観の再構築にある。妖が信じられていた時代の感覚を、現代の言葉で静かに呼び起こし、人と人ならざるものの境界の曖昧さを描き出す。読み終えた後、晴明という人物像は依然として霧の中にあるが、その不確かさこそが、この物語を忘れがたいものにしている。

ゆえに本作は、怪異や式神を描く物語であると同時に、捉えきれない人の心そのものを映し出す、静かで深い余韻を残すものであった。

東野圭吾著 『流星の絆』

 

 

知能情報学部 4年生 Tさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : 流星の絆
著者 : 東野圭吾

出版社:講談社
出版年:2011

「流星の絆」は、両親を失った三兄妹が生き延びるために身につけた処世術と、過去の事件が長い時間をかけて織りなす物語である。事件の真相を追う筋はあるが、作品の中心は推理の速さというより、兄妹が日常をやりくりしながら傷を抱えて生きていく過程に置かれている。そのため、日常の場面や会話が多く、ミステリとして一直線に進むというより、寄り道を重ねながら少しずつ輪郭が見えてくる構成になっている。事件ものとして読むと、核心に近づくまで遠回りに感じる場面もあるが、そこで描かれる兄妹の距離感は印象に残る。

三兄妹の関係は、仲の良さよりも互いを守るために息を合わせる関係であり、軽口の裏に疲れや諦めが混じっているのが生々しい。生きるための小さな詐術が日常に溶け込んでおり、読者も簡単に正しさだけで判断できなくなる。事件が進むにつれて、疑うことと信じたいことが同時に増えていく感覚が強まり、単なる謎解きではない緊張が続く。

後半になると、日常に見えた場面が少しずつ意味を持ち始め、兄妹が何を抱えてきたのかが見えてくる。復讐の話として見れば冷たさもあるが、同時に「家族でいる時間」の話でもある。この二つが作品の強さである。読後は爽快というより、兄妹の選択をどう受け止めるかが残り続ける。事件の解決だけを求めると好みが分かれるかもしれないが、日常の長さごと人の傷を描く作品として読むと、意外にずっしり残る一冊である。

カミュ著 『シーシュポスの神話』

 

 

知能情報学部 4年生 Tさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : シーシュポスの神話
著者 : カミュ著 ; 清水徹訳

出版社:新潮社
出版年:1969

「シーシュポスの神話」は、「世界に意味がないとしても人はどう生きるか」を真正面から扱う本である。人は意味や秩序を求めるのに、世界は沈黙して答えを返さない。そのズレをカミュは「不条理」と呼び、まず自殺という問題を入口に置く。意味がないなら生きる理由もないのでは、という問いを避けずに出してくる点が重い。ただし結論は投げやりではなく、不条理を理解したうえで逃げずに生きる態度、つまり反抗へ向かう。ここで重要なのは、反抗が「希望」や「救い」によって不条理を消すことではなく、消えないまま引き受けることだという点である。象徴として語られるシーシュポスは、岩を押し上げても必ず転げ落ちる罰を背負うが、カミュはその反復にこそ人間の勝ち方を見いだす。転げ落ちると分かっていても押す、という選択が自分の意志になる瞬間に、人は屈していない。

読み味は論理だけで押すというより、たとえ話が混ざり、そこで理解が進む部分もある。だから「完璧に分かった」と言い切るより、腑に落ちた所だけを拾いながら読むほうが合うと感じた。個人的には注釈が多い点が助けになり、哲学書にありがちな置き去り感が少ない。とはいえ、引用や批判の対象(宗教や思想家)を知らないと引っかかる箇所もあり、読みやすさは読者の知識に左右される。

読後に残るのは、意味を探し回って疲れるより、意味がない前提で自分の行為を選び直すという感覚である。やる気を出す本ではないが、「どうせ無意味だから」と投げる癖を止めるブレーキになる。現代は成果や正解を急かされやすいが、この本は「正解がない」状況での姿勢を問い直すことができる。今あることを深く考え、不条理と向き合うきっかけを与える一冊であった。

越尾圭著 『なりすまし』

 

 

知能情報学部 4年生 Mさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : なりすまし
著者 : 越尾圭

出版社:角川春樹事務所
出版年:2025

戸籍という“国家の台帳”が、ここまで人の生を左右するのかと衝撃を受けた作品。ブックカフェ店主・和泉浩次郎は、出勤した朝に妻エリカの惨殺体を見つける。捜査で明かされるのは、妻が戸籍を偽って生きていた事実。しかも和泉自身も別人の戸籍を買って生きる「なりすまし」で、警察に深入りされれば自分も崩れる。この二重の地雷が、冒頭から読者の呼吸を奪う。赤い表紙の不穏さの通り、平穏な家庭が制度の穴に呑まれていく過程が容赦ない。

物語は、戸籍売買、無戸籍児、加害者家族といった現実の暗部を、単なる設定で終わらせず「なぜそうせざるを得なかったのか」という事情と感情に落とし込む。脇役の刑事やブローカー的存在が“制度の綻び”を別角度から照らし、善悪が単純に割れないところが後味を深くする。“身分証明”が崩れた瞬間、人は誰からも救われなくなるという恐怖が、事件の血よりも冷たい。胸に深く長く残る。一方で、人物と名前(戸籍)の入れ替わりが重なり、途中から「整理しないとこんがらがる」「ご都合主義に見える瞬間がある」という指摘も散見される。けれど、その“混線”こそ、名前を失い、誰にも証明されない人生を生きる息苦しさの再現でもあるのだろう。

社会派の硬さよりも、サスペンスの疾走感が前に出ているので、重いテーマが苦手でも読みやすい。ただ、伏線の回収は“意外性”に振れやすく、論理パズルの端正さを求める読者には好みが分かれるかもしれない。とはいえ、身分とは何か、家族とは何かを突きつけるラストの余韻は強い。時間を取って一気に読み、途中で人物相関をメモすると、痛みと興奮の両方がより鮮明になる。

現代の“ID社会”に住む私たちへ、静かな警告として響くような思いがくる。実際に起こっている問題でもあるから、ただのフィクションとは感じられない。私達の隣り合わせのことだと考えると、より一層に深く読める。

冲方丁著 『十二人の死にたい子どもたち』

 

 

知能情報学部 4年生 Mさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : 十二人の死にたい子どもたち
著者 : 冲方丁

出版社:文藝春秋
出版年:2016

廃病院に集まった十二人の少年少女が、同意のうえで「安楽死」を実行する――はずだった。ところが“集いの場”のベッドには、想定外の十三人目の遺体。ここから物語は、密室の恐怖を煽るよりも「議論」と「推理」で転がりはじめる。書籍レビューで目立つのは、とにかく“止まらない”“一気読みした”という読了速度への言及だ。会話の応酬で状況と過去がほどけ、票決やルールが緊張を生む構図が、読み手を輪の中へ引きずり込む、と評価されている。

舞台がほぼ一室に絞られるため、台詞のテンポと論点の切り返しが読み味を決める。そこで好意的な読者は「討論劇として面白い」「推理と議論を楽しむミステリ」と捉え、人物の観察がそのまま謎解きになる快感を推す。

一方、登場人物が多いぶん序盤は番号と名前の対応に戸惑う、説明が続いてだれる、という指摘もある。それでも、各人の役割がくっきりしてくると一気に読みやすくなった、キャラクター分けが明確で後半はスラスラ読めた、という声が続く。議論が進むほど「死にたい理由」が多層化し、誰かを救うことは正しいのか、他者の選択に介入できるのか、という問いが浮上する点が刺さった、という反応も多い。私の思いとしては、誰もが抱える「悩み」から「死にたい理由」と深堀りしていくうえで、救いがある事を気付かせる展開はすごく好みである。

ただし賛否を分けるのもまた“言葉の濃度”だ。議論が回りくどく疲れる、語りが達観しすぎて現実味が薄い、結末が想像の範囲内だった、文章運びが好みに合わない――と辛口も少なくない。それでも本作が強いのは、死をセンセーショナルに消費せず、匿名の場でしか吐き出せなかった痛みを、対話の場に引き上げるところだろう。人物関係をメモしつつ読むと、賛否の分かれ目も含めて“議論に参加した感覚”が増す。読後に残るのは解決の爽快感というより、他者の生を想像し続ける手触りである。重い題材であっても推進力は強い。会話型ミステリ好きに勧めたい。