図書館報『藤棚ONLINE』 (特別寄稿)
文学部・ファヨル入江 容子先生より
7月に入りましたが、雨降りの日々、みなさんいかがお過ごしでしょうか。曇り空に憂鬱な気分になっている方もいらっしゃるかもしれません。こんなときは、図書館に足を運び、読書に耽ってみてはどうでしょうか。運が良ければ、心に晴れ間が射すかもしれません。ある書物との奇跡的な出会いが、これまで見ていた「世界」をまるっきり変えてくれることもあるからです。雲の切れ間から日の光が差し込むように、視界が開け、暗く閉ざされた世界が、実はさまざまな色彩に満ちた多様な世界だったことに気づかされることになるのです。そのような転換、目の覚めるような出来事が読書経験には秘められています。
今回、ご紹介するのは、私にそのような気づきをもたらし、翻訳に至った書物、フランスの哲学者エルザ・ドルラン〔Elsa Dorlin:1974-〕『人種の母胎――性と植民地問題からみるフランスにおけるナシオンの系譜』(人文書院、2024年)です。
著者のドルラン氏はフランス国立トゥールーズ・ジャン・ジョレス大学教授として、現代政治哲学を講じ、性(セックス)/ジェンダー/セクシュアリティ、「人種」および階級の交差的課題、身体論、暴力論を主な研究領域として、精力的に執筆・研究活動を続けています。
本書では、17・18世紀におけるフランスを中心としたヨーロッパの医学文献・資料を丹念に読み解くことにより、現代に続く性差別および人種差別を正当化する支配原理の淵源に鋭く切り込んでいます。
女性の身体は、いかにして、病理化、つまり「病」に苛まれる身体として規定されることを通じ、その劣等性が徴づけられ、男女間のヒエラルキーが正当化されるに至ったのか。さらには、女性間の身体もまた「病」によって、ブルジョワあるいは貴族階級の白人女性と、客体化された例外的女性たち(庶民階級の女性、農村女性、女性同性愛者、黒人女性、先住民女性)として区別されるに至ったのか。また、このような「女性」の身体と同様の問題設定において、植民地における「原住民」およびアフリカ大陸から強制移送されたアフリカ人の身体は、どのように病理化されたのか、また、この医療的操作よって、「健康」である「白人」の優位性が徴づけられ、「人種」をめぐる権力関係がいかに正当化されていったのか。これらの問いに応答しつつ、植民地が、「フランス国民(ナシオン)」を胚胎するための「実験場」であったということが明らかにされていきます。
エルザ ドルラン 〔Elsa Dorlin〕 著,ファヨル入江 容子 訳
『人種の母胎 ― 性と植民地問題からみるフランスにおけるナシオンの系譜 』
人文書院, 2024/06
ISBN: 9784409041277
原書タイトル:La Matrice de la race. Généalogie sexuelle et coloniale de la Nation française, Édition la découverte
甲南大学で本年5月に行われた翻訳刊行記念講演会では、「性」と「人種」はそれぞれ別個のカテゴリーをなしているわけではなく、前者が後者の「モデル」を提供しているというよりは、分かち難く、より複雑に結びついていることが強調されていました。原著出版から現在まで、人種差別と性差別をめぐる状況はあまり変わったとはいえないとおっしゃっていたことも印象的でした。
ドルラン氏は、岡本キャンパスを散策の折には、なんぼーくんと記念写真を撮るなど、彼女の研究内容からは全く想像がつきませんが、日本の「かわいい」ものがお好きなようでした。なお、KAWAIIは国際語です。講演会後に、討論者を務めてくださった鵜飼哲先生(一橋大学名誉教授)と三人で訪れた元町のバーでは、おすすめした灘のお酒――中でもすっきりとした飲み心地のもの――をとても気に入ってくださり、たった1日半という短いご滞在でしたが、神戸を満喫されたようでした。また甲南大学に来てくださるといいですね。