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[藤棚ONLINE] 経営学部・北居 明 先生推薦本『ティール組織 : マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』

図書館報『藤棚ONLINE』
北居 明 先生(経営学部) 推薦

 「我々が『マネジメント』と呼んでいるものは、その大半が人々を働きにくくさせる要素で成り立っている」と述べたのは、近代経営学の父と呼ばれるピーター・ドラッカーです。たしかに、権限命令関係をはっきりさせるための階層は、人々の自主性を阻害することも多いです。計画どおり活動を進めるためのPDCAサイクルは、そのサイクルを回すこと自体が目的化し、仕事を増やす結果になることもしばしばです。「だって多くの会社が実際にそうやってるじゃないか」とか、「教科書にはそう書いてあるじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、メンバーが自主性と創造性を最大限発揮し、互いがもっと協働できる経営のかたちは、他にもあるかもしれません。
 今回ご紹介する「ティール組織」は、これまでの経営の在り方を覆すような、様々な具体例が示されています。著者のフレデリック・ラルーは、コンサルティング会社勤務後、2年半にわたって新しい組織モデルの調査を行い、先進的な経営を行っている12社を抽出し、それらの経営の在り方を「進化型(ティール)組織」と名付けました。ティール組織では、管理職はいませんし、公式の組織図もありません。勤務時間を管理するためのタイムカードもない会社もあります。ティール組織の特徴は、徹底した自主管理、全体性、そして存在目的です。それぞれについてごく簡単に説明すると、自主管理は、プロジェクト型の組織で進められ、新たな人の採用も、人事部ではなく、このプロジェクト組織の裁量で決定します。もっと言えば、給料や転勤も自主申告で決めることができます(ただし、助言システムを通す必要があります)。全体性は、人々が職場でもっと「自分らしさ」を発揮することです。存在目的は、エゴにとらわれず、「何のための人生なのか」、「組織や仕事の本当の意味は何なのか」を常に考え続けることです。したがって、ティール組織では、普通の企業が重視する利益、成長、ライバルに対する勝利は目的ではなく、副産物であると明確に位置づけられています。そのため、経営戦略論でしばしば教えられているSWOT(自社の強みと弱み、環境の機会と脅威)分析なども行われないと言われています。このような組織で働くことができれば、私たちはもっと自分らしく、仕事に生きがいをもって打ち込むことができるかもしれません(現在の『働き方改革』は、仕事は労苦であると暗黙の裡に仮定しているようなところがあるように思います)。
 ティール組織は、世界中の組織の中ではほんのごく一部なので、学生の皆さんが将来働く組織は、ティール組織ではない可能性の方が大きいでしょう。ただし、それを当たり前にせず、自分たちが直面している現実は多くの可能性の一部であることを意識できる一冊と思います。

[藤棚ONLINE] 経済学部・平井先生推薦本 『日本軍と日本兵―米軍報告書は語る―』

図書館報『藤棚ONLINE』
平井 健介 先生(経済学部) 推薦

 本を読んでみたいけど、どのようなジャンルの本を読もうか迷う時ってありますよね。そんな時、私は「イベント」にあやかることにしています。たとえば、旅行で札幌に行く予定があれば札幌を舞台とする本を読み、「もうすぐ敬老の日か」と思ったら「老」を題材とする本を手に取ってみるということです。普段は手にしない本を半ば強制的に読むことになるので、新鮮な気持ちになります。この「あやかる読書」の一環として、ここ数年はお盆に帰省する際に戦争物を読んでいます。8月=終戦=戦争ということですね。
 そこで、先月読んだ一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵―米軍報告書は語る―』(講談社、2014年)を紹介します。本書は、太平洋戦争を舞台に「日本陸軍とはいかなる軍隊だったのだろうか」を考えるものです。問いだけ見れば平凡ですが、本書のユニークな点は、問いに答えるための方法にあります。筆者は「もはや日本人という身内限りの自己評価だけでは限界がある」として、アメリカ軍が戦闘地域の兵士に配布した雑誌Intelligence Bulletinの記事を用いて、日本軍と交戦した、あるいは日本軍の捕虜となったアメリカ軍兵士の証言から、日本軍の実像に迫ろうとするのです。
 本書は全4章で構成されています。第1章と第2章では日本兵の特徴について書かれた記事が取り上げられ、日本兵が単なる盲目的な天皇崇拝者ではなかったことが明らかにされます。一例を挙げれば、日本兵は捕虜として丁重に扱われると「お返し」の気持ちから機密情報をべらべら喋った、戦前に欧米文化に親しんだ日本兵は捕虜になると米兵と交流しようとした、などです。
 第3章と第4章では日本軍の戦法について書かれた記事が取り上げられ、日本軍の戦法を非合理で片付けられないことが示されます。一例を挙げると、玉砕戦法は、勝利あるのみ(=降伏しない)という制約下で、①勝利のためには戦車を撃破する必要がある、②しかし、そのための兵器が実用化されていない、という2つの現状を踏まえれば、単純に「非合理的だ」と一蹴できないのです。
 本書から感じられるのは、日本軍は決して我々にとっての他者ではない、我々だって彼らになれる素質を十分備えているということだと思います。これまで、戦争に至る経緯や戦法は、軍部の精神論に基づいた非合理的な思考の結果として「他者化」される傾向にありましたが、どうやらそうではないということです。本書も含めて、近年の議論では、「ある前提の下では合理的な思考であった」、あるいは「合理的な思考の積み重ねで非合理的な決定が下された」ことが指摘されるようになってきているようです(手嶋泰伸『海軍将校たちの太平洋戦争』(吉川弘文館、2014年)、牧野信昭『経済学者たちの日米開戦』(新潮社、2018年)など)。 本書には、ここで紹介した事例以外にも読んだら知り合いに言わずにはいられない日本兵の「悲喜劇」が満載されています。戦争の悲惨話・感動話はお腹いっぱいという人には、8月にお勧めの一冊です(次は1年後ですが・・・)。

[藤棚ONLINE] 理工学部・須佐先生推薦本 『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』

図書館報『藤棚ONLINE』
須佐 元 先生(理工学部) 推薦

 「宇宙はなぜこんなにうまくできているのか」という問いを発すること、あるいはこの事実に感嘆を覚えることができれば物理学の面白さの一端を掴んだ、ということになると思います。著者は極めて優れた素粒子物理学者・宇宙論学者ですが、可能な限り平易な言葉で物理学の面白さ、もっというとこの世界の不思議な調和について述べています。

 我々の住む宇宙は人類が住むのに適したように、とても微妙に調整されています。様々な物理定数、例えばクオークの質量が少し違うだけで、この世界は似ても似つかないものになってしまいますし、宇宙が膨張する速度と「ダークエネルギー」の大きさとは不自然とも思える調整が行われ、宇宙に銀河や星、ひいては生命が誕生するのに適した環境が実現されています。そしてこの「不思議さ」は、それをよりシンプルな理論によって説明し、解消しようとする新たな研究の原動力となります。

 この本では「自然科学の理論」についての考え方がそこかしこで語られています。
 自然科学の理論の本質は、複雑な自然現象の中に法則を見出しそれを説明することにあります。
 「自然界の原理や法則は、よりシンプルなほうが説得力がある。説明が複雑になればなるほど、そこには何か無理があるように思えてしまいます。」というくだりにあるように、できるだけ少ない法則によってシンプルに物事が説明できることがより良い理論の指標とされ、人はしばしばそこに美を見出し、深遠な宇宙の調和を感じることができます。
 理系の人にとってはもちろんですが、文系の学生の皆さんにとっても読みやすく親しみ易い文章で書かれている良書です。
 理論物理学や宇宙物理学について知りたいと思っている方にぜひ手にとっていただきたいと思います。

[藤棚ONLINE] 文学部・川口先生推薦本 『Re:ゼロから始める異世界生活』

図書館報『藤棚ONLINE』
川口茂雄 先生(文学部) 推薦

書名:Re:ゼロから始める異世界生活
著者:長月達平
出版社:KADOKAWA
出版年:2014年~

 情報とモノがあふれているウェブ以後時代、スマホ時代。どの商品を買えばいいのか、その商品にどういった価値があるのか、なかなかわからない、と感じる人が少なくない。口コミ、ユーザーレビューに頼るか? いやいや、ユーザーレビューなんて誰が書いているかもわかったものではない。では、なにか賞を受賞したモノなら良いモノだろうと判断するか?
 日本()の小説、特に芸術的に高い価値がある小説はどれだろうか。小説の価値の基準などというものは、他の芸術ジャンルでも同様だが、やはり単純に明確ではない。
 芥川賞を受賞している小説なら特に読む値打ちがありそう、だろうか。しかし、お笑い芸人のような人やテレビコメンテーターのような人が唐突に書いたものが候補作に選ばれたり、さらには受賞したりする様子を見て、この賞の価値を疑問視する見方が強まっていると言う人もいる。他方で、紙の本が売れなくなってきているスマホ時代にはそうした話題性も大事なのだ、大目に見てあげようではないか、という(大人の?)意見もあるかもしれない。たしかに。
 しかし、そうした最近の状況を度外視しても、考えてみればずっと何十年も前から、賞をめぐっては色々あったのだ。1935年の第一回芥川賞で太宰治が受賞しなかったこと、およびそれをめぐる経緯は、よく知られたものである。当時選考委員にはあの川端康成もいた。それから1979年・80年には村上春樹が候補に挙げられ、一定の評価を受けはしたが、結局二度とも受賞を逃している。事後的に今日の観点からすればなのであまり偉そうに言ってはいけないが、ともかくも、よりによって太宰と村上春樹という相当な水準の書き手の作品価値を見定められなかったというこれらエピソードは、賞の存在意義を高めるエピソードだったとは一般にみなされていないように思われる。(他方で芸術においては、あるいは芸術に限らず、何かを受賞しなかったことをむしろ名誉とするという反骨精神的な観点も時に見出される。若くして認められ賞なりを受ける者は一つ上の世代の価値観に迎合した側面があり、したがってそうした者は真に独創的ではなく、少し時を経たのち成熟期を迎えることなく早くに創造性の枯渇にいたらざるをえない……とするような。) このようなわけなので、やはり、そもそも個々の賞にどのくらいの意義があるかどうかについても、読者・消費者は結局そのつど自分で手間をかけて、みずから読み、自分なりの考えや判断を時間をかけて練ってゆくしかないものなのだろう。
 《ライトノベル》というジャンル呼称が定着して十数年が経つ。しかしその呼称が差す範囲ははっきりしていない。SF、ファンタジー、恋愛、職業、等々が内容だと漠然と言われたりする。だが、だとすれば、過去の既存“小説”もそれらを内容としていたと言えてしまわないか。そして、《ライトノベル》が“芥川賞の対象になりうる種類の小説”とは本質的に異なるのかどうか、まだ本格的に問われたことはないように見える。《ライトノベル》は“小説”というエクリチュールのジャンルよりも格下にすぎないのか。いや、あるいはむしろ逆に、今では《ライトノベル》の側がもはや“小説”など相手にしていないのであるのかどうか。またたとえば、カズオ・イシグロの最近の仕事は《ライトノベル》的ではないのかどうか? バルザックの『あら皮』は? トーマス・マンの『トニオ・クレーガー』は? ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』は? ガルシア=マルケスの『コレラの時代の愛』は?
 『Re:ゼロから始める異世界生活』は、《ライトノベル》であるという。芥川賞の候補にならなかったし、各大学の図書館にも普通は所蔵していない(そのことで各図書館に学生の皆さんは性急に苦情を言うにはおよばない、ご存じのように、歴代の芥川賞選考委員たちでさえいつも価値判断には苦労させられてきたのであるから)。だから読む価値はない、だろうか。それは―――そう、読者が自分で読んで判断すればいい。
 ただしこの作品を判断するのは、第6巻まで読み進めてからにすることを強く推奨いたしたい。第6巻(アニメ版を見るなら第18話)こそがこの作品の核心の部分であり、最も偉大な部分であると考えられるからだ。―――そこまで読み終えた読者は、改めてこう問いたくなるかもしれない。この途方もない作品は、ラノベなのか、小説なのか、いったい何なのか、と。でももはやそのようなジャンル分け・レッテル貼り自体がもしかすると、もう一度、ここでやり直されるべきなのかもしれない。新しく。すべてを、もう一度。何度でも。そう、ゼロから。

[藤棚ONLINE] 村嶋館長推薦本 『ノモレ』

図書館報『藤棚ONLINE』
図書館長 村嶋貴之 先生(フロンティアサイエンス学部) 推薦

甲南大学OPACリンク

書名:ノモレ
著者:国分拓
出版社:新潮社
出版年:2018年
配置場所:図書館1階開架一般 369.68//2002

 「息子たちよ、ノモレを探してくれ。」これはこの本の帯に書かれている一文である。ノモレとは仲間であり、100年前に逸れた仲間の末裔を探して欲しいという曽祖父たちの願いを表している。
 著者の国分拓は、これまでに大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞しているNHKのディレクターである。本書はNHKスペシャルのための取材を元に書かれたノンフィクションであり、ペルー・アマゾンの集落の若き村長である主人公ロメウが、「100年前にゴム農園での搾取から逃れようとして森に消えてしまったノモレの末裔が、今もイゾラド(文明と未接触の先住民)と化して生きている」と信じ、ノモレを探し、接触を試みる顛末を記録にとどめたものである。
 最近になって未確認のイゾラドと思われる部族の目撃情報が増え、ロメウの部族であるイネ族が襲われるという事件が起こったため、そのイゾラドがノモレではないかと信じるロメウが粘り強く接触を試み、信頼関係を築く。こうして始まった、ロメウがノモレと信じるイゾラドとイネ族の2年に渡る交流のエピソードは感動的であるが、食料の支援が困難になったことなどから少しずつ齟齬が生じ始める。最終的に、イネ族の居留地に人が少なくなった隙にイゾラドが集落を襲い、イネ族は避難民となってしまう。それでもロメウはノモレとの邂逅を信じ、こうした活動を続ける。
 著者の緻密な観察眼を通して、文明と触れたことのない種族の反応が色彩や音まで感じられそうな筆致で表現されているあたりはノンフィクションの名手としての面目躍如たるものがある。また、ロメウの過去の経験に基づく独白に続いて、次の章でその過去の経験が述べられるといった構成で、時間が前後して語られる部分が複数あり、ノンフィクションとしては全容の把握に多少の引っ掛かりを感じるが、それが読み手の好奇心を刺激して、この「ロメウの物語」に躍動感を与え、命を吹き込んでおり、映像制作に携わる著者ならではの、カットバックの手法が生きた作品である。
 本書が問いかけるのは「イゾラドと文明は未接触のままで共存できるのか」という命題であるが、私が読後に最も強く感じたのは、高度に文明化された我々と自然と共存しているイゾラドの、どちらが幸せなのかという疑問であった。 いずれにしても、ロメウは今日もイゾラドを絶滅から守るための活動を続けている。ノモレに会えると信じて。  

 

【図書館事務室より】
 令和元年度より、図書館報『藤棚ONLINE』を始めました。『藤棚』はこれまで冊子で発行しておりましたが、より多くの方に閲覧いただくために、今後は図書館ブログを利用し、オンラインで発行します。
  『藤棚ONLINE』 では、図書館長や図書館委員の先生方によるおすすめ本の紹介や、本や図書館にまつわるエッセイなどを定期的に公開します。トップバッターの村嶋館長に続いて、各学部の先生方が執筆されますので、折々にご訪問ください。