篠原永明先生(法学部)「オルダス・ハクスリー 『すばらしい新世界』」

 当たり前のように受け入れている社会の仕組みを相対化し疑ってみることは難しいが、一度疑ってみないことにはその長所も短所も分からない。では、どうしたらよいか。歴史を学ぶ、外国の文化を学ぶというのも、既存の社会の仕組みを相対化する一つの方法であるが、小説を読む(=既に社会の仕組みを疑い、別の世界を描いた者の思考に学ぶ)という方法もある。特にディストピア小説は面白い。有名どころから1 つ推薦するとすれば、オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』であろうか。
 ハクスリーの描いた世界では、子どもは人工授精により工場で生産される。性交と生殖が切離されており、婚姻も家族もない。面倒くさい人間関係を背負い込む必要はなく、カジュアルに他人と付き合っていればよい。家族観の変化、少子化の行き着く一つの選択肢として、あり得そうな未来である。なお、村田沙耶香『消滅世界』も同様のテーマを扱っており、読み比べてみるのも面白い。
 また、ハクスリーの世界では、人間は出生前から遺伝形質等に応じ階級が決定されており、かつ、その階級の役割を担うことこそが幸福であるという徹底した刷込み教育も受けている。自動的に自分の役割が決定され、他者と比較して“よりよい生き方があるかもしれない”と悩むこともなく、“選択した結果、失敗する”というリスクを負うこともない。類似の世界は、伊藤計劃『ハーモニー』や、アニメ『PSYCHO-PASS』でも描かれているので、比較してみるとよい。対して、我々の社会においては、幸か不幸か、これらの世界よりは“自分の生き方について選択する自由”が認められており、その結果、我々は選択の結果を引き受けなければならない状態に置かれてもいる(こうした観点で、こうの史代『この世界の片隅に』を読んでみるのも面白い)。ハクスリーらの世界を覗いてみることは、自分で自分の生き方を選択することの意義、あるいは、“自分の生き方について選択する自由”を社会が一先ず承認していることの意義について考える契機にもなるだろう。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.36 2019) より