九鬼周造『「いき」の構造』

 明治生まれの哲学者に九鬼周造という人がいます。日本で、最も愛されている哲学者と言ってもよいかもしれません。ご紹介する『「いき」の構造』は、昭和5年に発行された九鬼周造の代表作です。

 九鬼周造は、東京帝国大学を卒業後、大正10年から約8年間、ヨーロッパに遊学しました。この間、ハイデガーやサルトルなど、著名な哲学者から西洋哲学を学びます。帰国後、京都帝国大学で教鞭をとるのですが、九鬼はただ西洋哲学を日本に伝えた人ではありません。ヨーロッパ滞在中に、日本人の美意識と、ヨーロッパ人の美意識に違いがあることに気付いた彼は、日本独自の美意識、「粋」や「偶然」、「日本語の押韻」などについて、西洋哲学の論理的手法を使った分析を行いました。日本人が誇りに思う日本文化を、西欧の視点から見ても納得できるものにしたことが、九鬼周造の最も大きな業績です。

 昭和5年に発行された『「いき」の構造』は、西洋哲学書に比べて、短く、やわらかで、ほんのり艶やかであることも魅力です。とはいえ、20歳前後の皆さんは、『「いき」の構造』をまだちょっと理解できないかもしれません。なぜなら、九鬼は、「粋」とは「異性的特殊性」、つまり恋愛にもとづいていると定義しているからです。しかも、愛し愛される薔薇色の恋は野暮で、茨を摘んで生きる覚悟を秘めた白茶色の恋を選ぶことが、粋だと言います。ほら、今まさに、薔薇色の恋の時代を謳歌している皆さんには、ちょっと難しいでしょう?

 ですが、「野暮は揉まれて粋になる」という言葉があるとのこと。少し背伸びをして、「粋」を学んでみませんか。注釈付の文庫版が読みやすいですし、電子書籍を無料で読むこともできますが、白茶色で装丁されたちょっと古い単行本もお勧めです。ルビもない本を、スマホを片手に、調べながら読むのが粋ではないでしょうか。それから、これからの人生、恰好をつけて粋を演じるか、あえて野暮を選択するか考えてみてはどうでしょう。十分に世間に揉まれたら、ぜひ再読してみてください。その時には、自分の選択を諦めながらも肯定し、前向きに「生き」る日本人になれているに違いありません。

 昭和16年に九鬼周造が亡くなった後、彼が所有していた書籍や原稿類は、親友の天野貞祐先生に託されました。当時、旧制甲南高校の校長でおられた天野貞祐先生は、貴重な書籍を含むその書籍群を甲南高校に寄贈されました。長い間に散逸してしまった本もありますが、そのほとんどが、現在、甲南大学図書館に「九鬼周造文庫」として保管されています。

 「九鬼周造文庫」には、書籍だけでなく、『「いき」の構造』の草稿を含む直筆原稿や研究ノート、第一高等学校時代から留学時代までの講義録ノートも含まれています。劣化を防ぐために長い間公開できなかったのですが、少しずつ電子化していたものを、2016年4月から『甲南大学デジタルアーカイブ』で公開しています。

 優雅なイメージの九鬼周造と、実直なイメージの天野貞祐先生が、第一高等学校時代からの親友であったことは、個人的には意外でしたが、「九鬼周造文庫」に遺された穏やかに笑う二人の写真や、「天野貞祐學兄に捧ぐ」と書かれた原稿などから、4歳年上の天野先生を先輩と慕う、心の通い合った友であったことを窺い知ることができました。是非一度アクセスしてみてください。