2.おすすめの本」カテゴリーアーカイブ

須佐 元先生(理工学部)「「急がばまわれ」 ―― 頭わるくなってみよう」

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 よく授業等で「先生、答を教えてください。」という質問(?)を受けることがあります。これまでの受験勉強の中では限られた問題のパターンを調べてその答を覚えるということが「賢明な」勉強法であったのかもしれません。しかしある問題に関して答を知り、それを覚えるということには実はあまり意味がありません。なぜなら現実世界の問題は、答があるのかどうかすらわからない類のものであるからです。覚えるべきなのは問題の答えがなぜそうなるのか、その原理を理解することです。そのためには眼前の問題を「ああでもない」「こうでもない」とひねくりまわしてみることが必要です。そうすると時間はかかりますが、その問題の輪郭が徐々に見えてきて、やがて本質が理解できるようになります。これが知識ではなく智慧を得るということであり、大学生活はまさに様々な智慧を蓄える時期です。問題の本質は何か、深く思考し反省するマインドを養っていただきたいと願います。

「寺田寅彦全集」―― 寺田寅彦著
 寺田寅彦は明治から昭和初期にかけて活躍した物理学者で、日本における物理学者の草分けとも言える存在です。また夏目漱石と親交があったことでも知られています。寺田の物理学における研究は極めて興味深いものですが、一方で多くの素晴らしい随筆も残しています。その中に非常に短い「科学者とあたま」という随筆があります。この随筆の中で寺田は、「科学者はあたまが良くなければならないが、同時に悪くなければならない」ということを述べています。短いですので詳細は読んでいただければ分りますが、「あたまが『良い』人は見通しが効きすぎるために、単純で一見わかりきっていると思われる問題を調べようとしない。一方であまり見通しに効かないあたまの『悪い』人はそのような単純な問題を『非効率』に調べ続けるものである」、ということが述べられています。しかし大きな発見は常識を覆すことにあり、その意味であたまの「良い」人が素通りした、つまらない(と思い込んでいた)問題の中にブレークスルーの端緒が潜んでいるものであるというのが趣旨です。
 これは科学的研究に関する話ですが、皆さんにもよく考えていただきたいと思います。試験対策でネットや先生、友達、先輩の情報を信じて答えを覚えるというのは、ある意味「賢明に」学ぶということなのでしょう。しかしそれでは決して得られない智慧が、愚直に自分の頭で考えるということによって培われていくはずです。学びにおいて、効率は確かに多くの場面で重要ですが、同時に短絡的に効率を求めるあまり、却って自分の真の能力を磨くチャンスを捨てているということを覚えておいてほしいと思います。「急がばまわれ」です。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.34 2017) より

松川恭子先生(文学部)「小説を読み、映画を楽しむ/映画を観て、小説を楽しむ」

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 よくよく考えると、映画の中には小説を原作としたものが多い。皆さんの世代は、海外の作品なら『ハリー・ポッター』シリーズを、最近の日本映画なら、人気の小説家、有川浩の小説を原作とする『阪急電車』『図書館戦争』などを思い浮かべるかもしれない。ここ数年、自分自身が鑑賞した映画の中に小説を原作としたものがあったかどうか振り返ってみると、残念ながら、全然ないという結論になった。インドのメディアを研究対象としている関係でインド映画を観る(普段は時間がないので、大体インドに調査に行く飛行機の中で鑑賞している)か、まだ幼い娘と一緒に『ファインディング・ドリー』などのアニメ映画を観に行くというのが最近の私の映画の鑑賞傾向だからだ。
大学院博士後期課程まで進み、在学年数が長かったため、学生時代の私は、そこそこの本数の映画を観たと思う。小説を原作とする映画で私が好きなものに、5歳の時に両親とともに日本からイギリスに移住した作家、カズオ・イシグロ原作の『日の名残り(he Remains of the Day)」や、スリランカからイギリス経由でカナダに移住したマイケル・オンダーチェの『イングリッシュ・ペイシェント(English Patient)』などがある。どちらの原作ともに権威あるブッカー賞を受賞し、映画の方はアカデミー賞にノミネートされ、後者は作品賞を受賞している。映画版『日の名残り』は、年老いたイギリス人執事が名門家に捧げた半生を振り返る様をアンソニー・ホプキンスが味わい深く演じ、原作の雰囲気をそのままスクリーンに再現している。また、映画版『イングリッシュ・ペイシェント』は、瀕死の重傷を負った「イギリス人の患者」をレイフ・ファインズが演じ、なぜ彼が「イギリス人の患者」と呼ばれるようになったのかが、進行中の現在と回想を交えた形で美しく描かれている。私は『日の名残り』は原作を先に読んでから映画を鑑賞し、『イングリッシュ・ペイシェント』は映画を観てから小説を読んだが、どちらも楽しい経験だった。
 幅広い世代に広く知られている作品としては、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズを挙げられるだろうか。イギリスのJ・R・R・トールキンの『指輪物語(The Lord of the Rings)』は、ホビット族の青年フロドの、強い力を秘めた指輪を破壊する旅路と冥王復活をめぐる様々な人々の戦いを描いた作品であり、原作の壮大な物語を映画でポイントを絞っていかに描けるかが課題だったが、出来上がった映画は、原作好きの私でも満足できる内容だった。
 ここに挙げた三つの作品は、原作の小説、映画のDVDとともに甲南大学図書館に所蔵されている。DVDは、視聴覚コーナーで鑑賞することができる。小説を読んでから映画を楽しむか、映画を先に観てから小説を楽しむか。それは、皆さん次第だが、このような「メディア・ミックス」的な使い方で図書館を利用するのも一つの方法だと思う。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.34 2017) より

岡本綺堂著『半七捕物帳』

書名: 半七捕物帳 年代版 1~4
著者: 岡本綺堂
出版者: まどか出版  出版年: 2011.11 (初出:  1917年) 
場所: 2階中山文庫  請求記号: 913/O/1~4

今年2017年は、日本探偵小説の嚆矢『半七捕物帳』100周年です。

岡っ引きの親分「半七」が、江戸の町でおきる事件を解決する探偵小説です。派手な剣戟シーンがないので、あまり映像化はされていませんが、江戸の人情が伝わる名時代小説で、100年経っても人気が衰えることなく、現在でも新しい版が出版されています。

本学図書館にある版は、半七が活躍した化政期から幕末までの事件を年代順に並べた版です。『半七捕物帳』シリーズは全て短編なので、1冊に20編程が収録されていてお得だということもありますが、年代順、というところもポイントです。というのも、岡本綺堂の作品は、時代劇関係者が使うほど時代考証に定評があり、通して読むと江戸時代を体感できるのです。

地理や小道具はもちろんですが、特に、登場人物たちが使う言葉を楽しんでください。江戸時代、つまり明治時代に標準語が定められる前は、地域だけでなく、身分、職業、上下関係、男女、年齢などによって、多様な日本語が存在していました。加えて、自由に言葉を着せ替えできる粋な人、方言丸出しの野暮な正直者など、登場人物の個性によっても言葉が変わります。
例えば、(半七は粋で知的なキャラなので、めったに使いませんが、)有名な「てやんでぃ!」は、下町の町人が目下の人物に対してしか使いません。また、半七が目上の武士から事件を任される際には、特別なお役を引き受けるという自負を込めて「ようがす(よろしいです、承知しましたというような意味)」というような独特の敬語を使います。
岡本綺堂は、物語全体を現代の我々でも分かりやすい言葉でまとめながらも、会話ひとつで登場人物の人柄をイメージできるように仕掛け、短い物語を奥深く仕上げています。

小説を楽しみながら、歴史文化も楽しめるシリーズです。

 

斎藤毅『微積分』

  経済学部 4年生 匿名さんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名:微積分
著者:斎藤 毅
出版社:東京大学出版会
出版年:2013年

 理系学部の一回生に読んでほしい微分・積分の本だ。原則として、すべての章末問題に略解がある。他の微積分の教科書と比べて、章末問題の解説は丁寧だ。解答への道程は、初学者が理解しやすい形で記されている。一回生の微分・積分の学習において、多くの学生は実数の連続性を理解できずにつまずいてしまう。実数の連続性という概念は、高等学校の数学における極限の定義をより厳密に定義したものである。この概念に対する理解を深めておくことは、後の微分・積分の学習に役立つものだ。ぜひ読んでほしい一冊である。
 経済学部の上級生及び意欲のある一回生にも読んでほしいものだ。微分・積分の専門書を社会科学系の学生に薦めることは、意外なことだと感じる人も多いだろう。経済学部では、一回生を対象とした入門レベルの講義において微分の概念を用いる。概念といっても、数学的に厳密な定義を与えるわけではない。機械的に計算することができれば、単位の修得には何ら支障がないのである。この計算が高い学習意欲を持つ学生の好奇心を削いでしまうことは論を待たない。彼らにとってみれば、それは簡単なことだからである。知的好奇心に富んだ学生は、経済学で用いる数学を深く学んで欲しい。経済学を専攻する学生は、決して数学者になりたいわけではない。ただ、理系学部の一回生レベルの数学を学ぶことは、経済学部の学生にとって有益である。
 この本を読むために準備すべきものがある。それは中学・高校レベルの数学に係るある程度の知識である。高校の理系コースを卒業した人は、スラスラ読むことができるだろう。高校の文系コースを卒業した人は、不足する知識をいくつか補うことが必要だ。根気強く取り組めば、読み進めることができる。躊躇せず、微分・積分の世界に飛び込んでほしい。大学へ入学する前、数学が不得手だった諸君の積極的なチャレンジを期待する。いわゆる「経済数学」に関心のある人は、ぜひこの本を読んでほしい。経済学部2回生終了時までに基礎的な微分・積分の知識を習得しておけば、上級科目の理解が容易になると考えられる。社会科学系の学生が数学を厳密に学ぶことは、論理を組み立てる有益な訓練になり得る。それは、あなたが他の学生と比べて有利な立場を得ることにつながるだろう。経済学の学習に数学の学習を上乗せすることにより、さまざまな場面において、多くの学生が優位な立場に立つことを期待する。

小塩隆士『公共経済学』

  経済学部 4年生 匿名さんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名:公共経済学
著者:小塩隆士
出版社:東洋経済新報社
出版年:2016年

 昨今、財政赤字に関する議論は各所において盛んである。我が国の財政事情を考えれば、自然なことだ。私たちの身近なところには、さまざまな情報が飛び交っている。信憑性の高いものもあれば、そうでないものもある。専門家の発言から論理の矛盾を見つけることは、一般の人々にとって至難の業だ。尤もらしいデータを目の当たりにした私たちは、それをなんとなく信じてしまう。多くの人にとっては、仕方のないことだろう。一般の人々の中で特に意欲のある人たちに読んでほしい一冊として、この本を推薦する。この本を読み終えた後、あなたは財政赤字に関する経済学的な理論を獲得したことに気付くだろう。これは、経済学部上級コースに向けたテキストであるから、経済学の知識を全く持たない読者は、それ相応の覚悟をもって臨むことが必要だ。経済学の門外漢である読者のために、いくつかの重要な経済学の理論を説明するページが設けられている。このページの解説は、非常に親切なものだった。読者の好奇心と学習意欲を維持するための素晴らしい解説である。経済学のテキストは、紙面の都合上記述内容を絞り込むことが多い。それゆえ、巷に出回るそれの大半は独習に不適である。一般の人々がそれに関する疑問を専門家に尋ねることは、極めて難しい。この本を読むとき、その点を心配する必要はない。読者が自力で理解できるように、この本は設計されている。興味を持って一度チャレンジしてほしいものだ。
 情報の非対称性を説明した第8章は、特に読んでほしいところである。医療保険と社会保険のあり方に関する記述は圧巻だ。比較的平易なグラフと数式を用いて、現行制度の概要並びにその課題について説明している。詳しい内容はぜひあなたの目で確かめて欲しい。著者の説明が明快であることに驚くだろう。学部中級レベルの経済学を理解した人は、難なく読み進めることができるはずだ。この本の記述を1行ずつていねいにかみ砕き、知識を自分のものにして欲しい。経済学の応用に関心のある人は、一読することを薦める。

湊かなえ『少女』

  文学部 4年生 水口正義さんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名:少女
著者:湊かなえ
出版社:双葉社
出版年:2012年

 「人が死ぬところを見てみたい。」これが、由紀の願いだった。異常なまでのその強い願望は、読者を驚愕させる。
 由紀はどこにでもいるような、普通の女子高生である。毎日真面目に学校に通い、勉強もよくできる。高校生といえば年代的に、身の回りに楽しいことがいくらでもあり、いつも何かに没頭しているようなイメージを抱く。しかし、彼女の生きる原動力となっているのは、誰かの死を見ること、ただそれだけである。
 一般の人の感覚からすれば、その原動力は誤ったものとして解されるが、由紀は人を殺そうとするわけでもなければ、だれかを操って殺させようとすることもない。死ぬところは見たい、でも直接手を下すようなことはしたくない。その葛藤がずっと続く。
 ある日、由紀の憎き人物が電車にはねられるが、彼女はその場に居合わせなかった。後でその事実を知った時、何を思っただろうか。ここでの心理描写は全く無い。不謹慎ではあるが、嫌いな人物がこの世から消えたなら、少なからず嬉しく思うだろう。しかし、由紀はこう思ったはずだ。「なんで私の前で死んでくれないの!」と。死ぬ人は誰でもよかったはずだが、この時ばかりは、殺したいぐらいの人が死んだのだから、それが見られず悔しくて仕方がなかったのではないだろうか。そんな狂気とも思える考えが、読み進めるうちに読者の頭の中に浮かぶようになる。
 ただし、この小説は由紀が人の死を見ることができるかどうか、に焦点化しているのではない。唯一無二の友人である敦子に助けられ、子供と触れ合い、自分が死にそうになった過去のトラウマとも闘いながら、人の死と対峙する様子が描かれているのである。途中までは、一人の若者の邪念のようなものがただ曝されているように感じられるかもしれないが、「人が死ぬところを見てみたい。」から始まる、ある女子高生の少し変わった夏休みの一遍である。