2.おすすめの本」カテゴリーアーカイブ

灘本明代先生(知能情報学部)「図書館を探索してみよう!」

☆新入生向けの図書案内
 新入生のみなさん、入学おめでとうございます。
 みなさん、最近本を読みましたか?子供の頃は本をたくさん読んだけど、最近は受験勉強で本を読む時間がなかったなあと言う人が多いのではないでしょうか?大学に入学して、校舎の真ん中にある立派な建物はなんだかわかりますか?そうです、図書館です。図書館にはもう行かれましたか?大学の図書館には、高校や市営の図書館と異なり、様々な専門書があります。一度図書館に行ってみて、本棚を見てみて、そして本をどれか手取ってみて下さい。これまで自分が想像していた図書館と異なり、新たな発見がいろいろとあるのではないでしょうか?
 私もそうですが、最近ネットショッピングで本を買われる人が多いのではないでしょうか?ネットショッピングでは、「この本を買った人はこんな本も買っています」とか、「あなたにお勧めの本はこれです」といった、あなた好みの本を薦めてくれる場合がほとんどかと思います。これらを自動的に推薦する技術を情報推薦、もしくは情報のパーソナライゼーションと言います。これらの機能はほしい物が見つかりやすく大変便利でね。しかしながら、ネットショッピングではこれまで興味がなかったけれど新たに興味を示しそうな物を推薦することは現在の技術では難しいのです。
 一方、図書館に行くと様々な本が並んでおります。ある程度分類された本棚の中には、これまで何となく知っていたけれどあまり興味がなかった分野の本が、あなたの興味のある本の隣にあるかもしれません。一度この興味のなかった分野の本を手に取ってみて下さい。新しい発見や新しい自分が見えてくるかもしれません。
 また、理系の人は文系の本棚を、そして文系の人は理系の本棚をというように、総合大学だからこそ出来る、分野を又いた本の交流を行ってみて下さい。これまで苦手だったと思っていた分野も易しく解説している本を見ると、意外と興味が湧いてくるかもしれませんよ。
何事にも、Let’s Challenge!! です。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.33 2016) より

若林公美先生(経営学部)「読書を会話のきっかけに」

 ☆新入生向けの図書案内
 読書というと、何となく小説を楽しむというイメージがある。時間にも、何ものにもとらわれず、異空間に瞬間移動して、どっぷりとその世界にはまる。ソファーでゴロゴロ。至福の時である。学生の頃は、塩野七海の「海の都の物語」、「コンスタンティノープルの陥落」、「レパント開戦」、「ロードス島攻防記」など、まるで海外旅行に行くような気持ちで、ヨーロッパを舞台にした本に没頭していたことを思い出す。
 本は異文化などを疑似体験の機会を与えてくれるが、人生の岐路に迷った時、相談にのって背中を押してくれる親友になったり、恋人になったり、先輩になったり、各人の希望に応じていろいろな役回りを果たしてくれる。また、知らない人との距離を縮める際にも、有用な道具になりうる。私自身は、2003 年か2004 年までの1年間、客員研究員として、オランダのティルブルグ大学に滞在した頃、随分、本に助けられた。
 オランダと一口に言っても、アムステルダム自由大学やライデン大学などと違って、ティルブルグ大学に日本人はいなかった(少なくとも私は出会わなかった)。友人は、オランダ人、ベラルーシ人、ルーマニア人、ウクライナ人、ハンガリー人の大学院生たち。彼女らとの会話は、当然、英語である。この時期は、英語に時間を割く必要性から、ペンギン・リーダーズを愛読した。
 ペンギン・リーダーズの良いところは、英語のレベルに応じて原作を書き換えて読みやすくしている点にある。そのため、厳密には原典とは異なるが、英語学習にもなり、気分転換にもなるので、細かいことにはとらわれず、「ジャケ買い」で、いろいろな作品にトライした。たとえば、「高慢と偏見」、「クリスマス・キャロル」、「緋文字」など、世界的に有名な文学作品を中心に乱読した。慣れてくると、当時、映画化されて話題になっていたTracy Chevalierの「真珠の耳飾りの少女(Girl with a Pearl Earring)」などペーパー・バックにも手を出すようになった。
 文学作品にふれることは、外国人との会話のきっかけにもなる。それは、外国文学に限らない。ロシア人から安部公房の「砂の女」や谷崎潤一郎の「細雪」(ちなみに、英語のタイトルはThe Makioka Sisters である)などを読んだと話しかけられたこともある。ニューヨークの合気道のクラスでは宮本武蔵の「五輪書」について、熱く語られたこともある。日本文学についても押さえておく必要があるなと実感した次第である。村上春樹や吉本ばななを好きな人も多い。
 どんなジャンルにしろ、読書は人との会話のきっかけを与え、各人の人生を豊かにしてくれる。まずは、図書館に足を踏み入れることからはじめてほしい。
甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.33 2016) より

高野清弘先生(法学部)「カトーの言葉をめぐって」

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 過日、私は出身校の図書館の前に立って、建物を見上げていた。図書館入り口の上部に、QUAE SIT SAPIENTIA, DISCE LEGENDOと書かれている。私にはラテン語が分からない。
分からないのは悔しい。家に帰って調べた。古代ローマの政治家カトーの言葉で、「知恵の何たるかを、読書によって知れ」という意味らしい。
 カトーという名前に反応したのだろう。私の脳裏にたちまち、H・アーレントの『精神の生活』のエピグラフが浮かんできた。カトーの「もっともさみしくないのは、一人でいる時だ」という言葉である。彼女はこの言葉を『全体主義の起源』の末尾でも引用している。私は今年3月で定年を迎えた。顧みて私の生涯は平凡な人生だった。しかし、私にも苦労はあった。特に、私のことを理解してもらいたいと思っている人に理解されていないことが分かった時、たまらないさみしさを感じた。ただ、私は大学教員として人生の大半を過ごしてきたことを幸せに思う。読書が仕事の一部なのである。一人になって本を繙く。私など足元にも及ばない先人の思想に触れて、確かにカトーのいう人間の「知恵」の深遠さにいつも驚いた。それだけではないのだ。そんなに度々のことではないが、その思想
家が本を通して、私に語りかけてくるように思うことがあった。理解しようとしているのは私なのに、その思想家が私のことをよく理解している友人に思えた。読書の至福というべきだろう。その時、私はもちろんさみしくなく、幸福であった。カトーも激務のあいま、一人になって同じような体験をしたのだろう。失意のマキアヴェッリを支えたのもこの読書であった。
 上で述べたことは、アーレント流にいえば、読書という形態での「一者の中の二者の対話」ということになるだろう。彼女によれば、この対話が考えること=思考なのである。「考えること」の大切さ、これが彼女の終生訴え続けた事柄であった。彼女の「知恵」に学ぶべきだと、痛切に思う。
甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.33 2016) より

春日教測先生(経済学部)「メディア・ミックス」

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「若者の活字離れ」が指摘されることがある。電子媒体を含めるなど統計の取り方によってはそうも言えないといった反論もあるが、周辺を見ると活字が苦手な学生が増加しているのも事実のようだ。そのような人々に「読書」してもらうにはどうすれば良いか。本稿では私自身のメディア・ミックス的な読書体験を紹介してみたい。
 2015 年版『情報通信白書』では、フィクションで描かれたICT 社会の未来像を展望してい
る。映画『マトリックス』ではコンピュータによって管理された仮想現実世界に生きる人々の姿が描かれ、アニメ『攻殻機動隊』では脳だけが代替不可能な存在で義体(脳機能以外の機械化)を利用して生きる人々の世界が舞台となっている。文化庁メディア芸術祭優秀賞受賞アニメ『電脳コイル』でも、ウェアラブル端末の電脳メガネでネットにつながり、電脳空間内のツールを利用する子供たちの様子を映像化している。
 こうした作品群を生み出すきっかけとして言及されるのが、ウィリアム・ギブソンの『ニューロマンサー』だ。SF 界の潮流を変えた金字塔的作品とされ、インターネット社会の隆盛を予見した内容となっている。また、脳と体の分離というテーマは養老孟司『唯脳論』でも扱われており、情報化社会とは社会が脳の機能に近づくことを意味していると喝破している。ショートショートの名手、星新一の『声の網』では、個人情報を預かる情報銀行が登場し、「ここが人びとの脳の出張所なのだ」との位置付けがなされている。
 映画やアニメを先に視聴し後日書籍に触れたケースでは、言葉だけでは伝わらない映像の迫力に圧倒されもしたが、反面、映像化しにくい部分の描写や一定の再生速度では見落としがちな説明で理解が深まった部分もあり、補完的に作用したとの感想を持っている。主題の表現方法として各種メディアには一長一短があり、「活字」の持つ力も依然として強力である。きっかけは何でも良い。比較的時間のある大学生の間に、「活字」の持つ魅力に気づいてもらえれば
幸甚である。
甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.33 2016) より

須佐元先生(理工学部物理学科)「自らの頭で考える」

☆新入生向けの図書案内 
新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。これからの新生活に心踊らせていることと思います。本学に入学してくれた皆さんには、本学での学びを通して自らの頭で思考するとはどういうことかということに関し、自分なりの手ごたえを持ってほしいと思います。
現代は情報が氾濫し、また他人の意見が垂れ流されています。これらを無批判に受け入れるのではなく、自分の頭でよく考え、本当に分かっていることはなにか、またそもそも自分が考えている枠組みは正しいのだろうかなど、深く思考し反省するマインドを養っていただきたいと願います。そのような観点から、みなさんの選書の一助とすべく、一冊の本を推薦いたします。

「科学にすがるな!」――宇宙と死をめぐる特別授業  佐藤文隆、艸場 よしみ著
 この本は大変面白い設定の本です。科学に関してそれほど深く勉強したことのないある女性(著者、艸場 よしみさん)が、死とは何だろうかという問いを突き詰めて考えていきます。その中で科学の先端では「死ぬこと・生きること」をどのように考えるのだろうかという疑問を持ち、まさに「科学にすがる」ように理論物理学の大御所である佐藤文隆氏に教えを乞うというところから始まります。佐藤先生は先ごろ退官されましたが、本学でも教鞭をとられた先生で、独特の世界観と科学に対する深い知識・洞察で知られる方です。本の中のやり取りの中で、艸場さんはしばしば佐藤先生に叱られます。ほとんどの人が陥りやすい「科学万能」の世界観は厳しく戒められ、逆にその限界を説くことによって科学的思考の価値が際立ちます。またこの本はその硬い内容にもかかわらず、お二人の
やり取りを中心に構成されているため、とても分かりやすく面白く読めてしまいます。
理工系のみならず文系の学生の諸君にもぜひご一読をお勧めいたします。

 一冊の本を推薦させていただきましたが、本来読書とは自由なもので、楽しみでもあります。図書館で様々な本を手に取って読んでみてください。ネットサーフィンにはない濃密で知的な世界が広がっていることを感じるはずです。
ぜひ読書を習慣として有意義な学生生活を送ってください。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.33 2016) より

松川恭子先生(文学部)「インド系作家の小説は面白い」

☆新入生向けの図書案内
 最近では小説を読む時間がほとんど取れないが、小学生の頃の私は、かなりの読書好きだった。学校の図書館に入り浸っては、『少年少女世界文学全集』(講談社)を全巻読破するのを目標にしていた。小学校3 年生あたりからその習慣が始まったと記憶している。その頃の私について「学校の行き帰りも本を読みながら歩いていたよ」と幼馴染は証言する。この小文を書くにあたって、この全集にはどんな作品が収録されていたのだろう、と思い確認してみると、アメリカ編に「若草物語」「トム・ソーヤーの冒険」等が、イギリス編に「宝島」「フランダースの犬」等が収録されていた。その他、フランス編、ドイツ編など、ヨーロッパが中心で、他地域の文学といえば、「古事記」他が収録された日本編以外には、「アラビアンナイト」等が収められた東洋編しかなかった。とても「世界文学」とはいえないラインナップである。この全集が出版された1960 年代は、欧米中心で文学作品が考えられていたということなのだろう。
  この中で、私が研究対象としているインドの作品は、東洋編の「ラーマーヤナ」しかない。だが、インドは、近年、多くの素晴らしい作家を輩出している。現代的な世界文学全集を編集するとしたら、アフリカ、中南米諸国の作家と並んで、インド系作家の作品がいくつも入るだろう(インド国籍ではなく、イギリスやアメリカの国籍を持つ作家もいるので、「インド系」という言葉を使う)。彼らの多くが英語で小説を書き、世界中に読者を獲得している。彼らの小説を読んで、私がインドについて知ることは多い。とにかくインド系作家の小説は面白い。インド人は移民として世界各地に出ていっていることもあり、中にはインドを越えた領域を舞台とするスケール感の大きい作品もある。まだ日本語訳されていない作品も多く、私はインド系作家の小説を英語で読むことが多いのだが、今回、日本語で読めるお勧め作品を2つ挙げておきたい。一つは映画『スラムドッグ・ミリオネア』の原作、『ぼくと1 ルピーの神様』(ヴィカス・スワラップ著、2006 年、ランダムハウス講談社)である。主人公がクイズ番組に出場するという物語の軸は同じだが、インドに生きる人々の姿が丹念に描かれており、各エピソードが胸を打つ。著者は在大阪インド総領事を務めたこともある。そしてもう一つ、『ガラスの宮殿』(アミタヴ・ゴーシュ著、2007 年、新潮社)を挙げておく。こちらはインド移民の貧しい少年とビルマ王朝に仕える侍女の少女の出会いから始まる、ビルマ(ミャンマー)とインドを舞
台とした壮大な歴史小説である。
 活字離れと言われつつ、特定のジャンルの本は読まれているとも聞く。大学生には自由な時間が多い。アルバイトに精を出すのもよいが、読書の幅を広げるには絶好のチャンスだと思う。これまで読む機会がなかったような様々な作品にぜひチャレンジしていってほしい。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.33 2016) より