2-2. 教員オススメ」カテゴリーアーカイブ

中村典子先生(国際言語文化センター)「「多様性」の価値について考える」

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 本学の図書館で見つけて読んだ本で、非常に読みやすく、ためになった本のひとつに、日高敏雄編『生物多様性はなぜ大切か』(昭和堂, 2005年)がある。2001年に創設された京都の国立・総合地球環境学研究所が開催した2004年のフォーラム「もし生き物が減っていくと――生物多様性をどう考える」がもとになっている書物である。
 環境問題を抱える現在の地球において、「生物多様性」がもたらしうる利点は多くあるが、経済効果が大きいと予測されるもののひとつに医薬品などがある、という話に始まり、「雑食」の人間には、生物多様性が必要不可欠であり、生物多様性が減ることは、人類の生死にさえかかわる問題であることがわかりやすく解説されている。また、人間がつくりだしている「文化の多様性」に関しても多くのことを教えてくれる。エジプトのナイル川沿いのアスワン付近のワディ・クッパーニャ遺跡の例を挙げ、ある生活様式や技術が、たとえ、その時代の主流ではなくとも、目立たなくとも、次の時代に人間が生き残るきっかけとなり、その後、人間が生きていくために不可欠な様式や技術となった事例が、歴史上、少なからず存在したというのである。言い換えれば、多様な文化が共存していたことにより、人類は、環境の劇的変化があっても存続できたのであり、人類の長期的な生存に必要な条件は、<他と異なる文化を生み出すこと>、<多様性を維持すること>であるという内容で示唆に富んでいる。 さて、現在の私たちの生活様式はどうだろうか? グローバル化が推し進められるなか、世界中で同じ商品が流行し、同じようなファースト・フードで食事を済ませる傾向が強まっている。外国語教育に関しても、特に日本では、英語が重視される傾向が強まっている。また、日本人には「皆と同じである」ことを好む人がかなり多いといわれるが、それが「空気をよむ」といった表現を通じて、いわば「強制」される感もある。だが、ここで立ち止まって考える必要があるだろう。
 新入生の皆さんには、世の中の趨勢に惑わされることなく、自分が人生においてやりたいことは何か、どのような仕事に従事したいのか、また、他の人と異なる「自分の個性」を発揮できることは何か、と考える習慣を身につけてほしい。気の進まないアルバイトや仕事を断る勇気を持つことも大切だ。そうでないと、周りに流され、自分を見失ってしまうかもしれない。昨今問題になっている「過労死」の問題もこうしたことと無関係ではない。なんらかの選択に迷ったら、あえて「人と違うことを選ぶ」くらいの意気込みを持って物事に挑み、他の人と異なる視点を持つことを通じて、「多様性」の価値について考えてみてほしい。また、さまざまな分野の本を読むことにより、「多様性」の重要性を認識できるはずである。受験勉強から解放された今こそ、読書の習慣を身につけることをお勧めしたい。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.34 2017) より

三好大輔先生(フロンティアサイエンス学部)「先ずは自国のことから」

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 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。晴れて入学を果たされた皆さんは、様々な期待や夢に胸を膨らませていることと思います。「将来は世界で活躍したい!」そう考えている方も多いことでしょう。私はここ数年、甲南大学の国際交流センター運営委員も務めています。エリアスタディーズというプログラムの一環として、1年生から大学院生までを連れてシンガポールを訪問し、現地の学生さん、教員・研究者などとの交流を図っています。参加者の当初の希望の多くは、「英語が話せるようになりたい」というものです。しかし、帰国後は、「もっと英語力が必要」ということ以外にも、「日本のことをもっとしっかりと紹介したい」という感想をもつ参加者が多くいます。
 私たちは、日本で生活し、日本の文化や風習、そして考え方に慣れ親しんでいます。日本では常識と思うことでも、海外の方からすると新鮮で不思議なことがたくさんあるようです。私も米国の大学で博士研究員をしていたころには、研究室の友達から、日本の歴史や文化について、よく質問された思い出があります。歴史の授業が大の苦手だった私には、日本の歴史について聞かれても、「???」となるばかりで、まともな受け答えができるはずもありません。「これはまずい!」となった私が遅ればせながら読んだ本が、司馬遼太郎著の「この国のかたち」です。
 本書は、昭和61年から著者が亡くなった平成8年までの間に連載された随筆をまとめたものです。島国日本の風土、文化、宗教、そして日本がなぜ戦争を引き起こすことになったのか、など様々なテーマについて思索し、「日本人とは何か」という著者が終生問い続けてきた問題に迫ろうとしているように思います。
 自国の歴史と、それに基づいた自分のアイデンティティについて考えて自分なりに理解することなしには、他国の人々の歴史や考え方との差異や共通点を見出すこともできません。相手を理解するには、先ずは自分を理解する必要があります。ということで、グローバル化には、「先ずは自国のことから」考えてみるほうがよいと思います。司馬遼太郎の本を片手に、国際交流センターで海外からの留学生と語り合うというのも楽しいのではないでしょうか。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.34 2017) より

中村聡一先生(マネジメント創造学部)「リベラルアーツと大学」

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 大学入学にあたって、「習慣づけ」をキーワードに、皆さんの長い学校生活の最終局面を考えてはいかがでしょうか。
 どんなひとでも、無数の「習慣」を身につけます。死ぬまで、続くと思ってください。
 大ベストセラー物語『トム・ソーヤの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』を著しアメリカ文学の礎を築いたと評される小説家マーク・トウェインは、晩年の(プラトン流対話スタイルの)著書『人間とはなにか』で、すべての生き物は産まれもった心と身体の機能と環境により得るところの習慣により動き続ける自動機械と語っています。
 それに先立ち「進化論」を提唱したチャールズ・ダーウィンは、主著『種の起源』にて、進化とは、個が世に生を受けるはるか以前の起源種にまでさかのぼり環境を生き抜くために身につけた習慣の蓄積と主張します。
 「習慣」をどう捉えるかは、人類が「文字」を初めて獲得した紀元前の古代までさかのぼり、「人間とはなにか」を考えるうえで必ず登場する主要なテーマです。
 『ニコマコス倫理学』に見られるよう、古代ギリシャ哲学者のアリストテレスは、紀元前5世紀には、すでに、「習慣」を人間の行動パターンの根幹に位置付けています。マーク・トウェインやチャール・ズダーウィンより、2000年以上も前の話です。「善く生きる」「良い習慣」を教える教育と政治を主張しました。
 「宗教」の台頭により、「哲学」の時代の主要テーマであった「良い習慣」は、中世社会では「神の導き」にその体裁を衣替えしましたが、ひとの考え方や習慣に一貫性をもたせる試みであるには違いはありません。
 西欧の中世末期に「大学」は誕生しました。古代ギリシャで発展した自然科学や哲学を積極的に取り入れたがために当時の先進文明として繁栄していたイスラム世界と、未だ未開のおもむきの西欧世界が対立した十字軍遠征を契機に、アリストテレスを中核にした膨大なギリシャ学問の文献がヨーロッパに逆輸入されました。アラビア語でしか残されていなかったそれら文献をヨーロッパ言語に翻訳し、広めるために、各地から学徒がイタリアを中心とした地中海都市に集まりました。これが、「大学」の起こりです。ルネサンスの時代が始まります。
 「ルネサンス」は「サイエンス」に発展し「産業革命」がおこり今に至りますところ、時代は変われど、「大学」が、アリストテレスの時代から続く、「本質を追求し、善い習慣を身につける環境」との理想は無くなっていないと思います。「リベラルアーツ」と呼びます。
 理想と現実には常にギャップがあり、アリストテレス本人も師プラトンの理想主義を批判するものでありますところ、大学生になられた皆さんが偉大な先達の精神を日々実感するものではないと思いますが、根底にあるものは知るべきでしょう。
 甲南大学にしても、明治維新、文明開化に伴い日本に輸入されたこれら思想が型作った当時のモダニズムの空気を具現するために、平生釟三郎先生が創立されたと思います。「世界に通用する紳士、淑女」はそういう人たちでしょう。
 「習慣に縛られる」と同時に、どういう習慣を「選択」するかは日頃の心がけに左右されます。
 なにが良い習慣で、どう身につけるか。
 簡単にできる話しでないとはいえ、考えてみることだけは、どんなひとにも平等にできるといえます。
 私は、ニューヨークのコロンビア大学を卒業していますところ、若い頃に本場の「リベラルアーツ」を体験しました。カリキュラムの根幹に、上に紹介したような「古典書を読破する必修の課程」が置かれていることを最後にお知らせいたします。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.34 2017) より

伊藤公一先生(経営学部)「J. クリシュナムルティ―真理に道はない―」

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 真理とは何か―なんとも青臭い問いで、すでに読み飛ばされてしまったかもしれないが、学生の間に数分間立ち止まって考えてみてもよいのではなかろうか。
 かつてインドにジドゥ・クリシュナムルティという人がいた(1986年に90歳で死去)。彼が語ったことは、例えば、J. Krishnamurti (M. Lutyens ed.), Freedom from the Known, Harper Collins Publishers, 1969(大野龍一訳『既知からの自由』コスモス・ライブラリー 2007年)に記されている。
 同書において彼は次のように述べている。真理に道はなく、それが真理の美しさである。真理は生きており、動いているため、宗教や権威やイデオロギー等いかなる他者に頼っても到達することはできない。真理は、あなた自身の実際の在り方そのもの―怒り、冷酷さ、暴力、絶望、苦しみ、悲しみ―である。自分の怒りや冷酷さ等を観察する術を知ってさえいれば、それが真理であると理解できる。又それを理解するとき、人は非常に落胆し冷笑的になり苦痛を感じるか、又は、自分の考え、感覚、行動の仕方、自分を取り巻く世界、自分自身、それらすべてに対する責任は自分以外にはないという事実に直面して、その人から他者を非難する自己憐憫が消えるかである。(Cf. ibid., p. 15, 訳書9頁参照。)
 面白いのは、上の段落で述べた以外に、希望や恐怖を通じても、言葉のスクリーンを通しても、真理を見ることはできないということが、本人が語ったことを記述した本に書かれていることである(Cf. ibid, 訳書同上頁参照)。真理は文字にすることができないらしい。ある意味、図書館の冊子で紹介するには何とも不都合な相手を選んだようだが、すでに亡くなっている彼がそのように語ったらしいということを知ることができるのは、本のおかげである。彼が一体何の事を言っているのか、ここまでの引用だけではさっぱりわからないだろうから、ぜひ自分の目で(できれば原典を)確認していただければと思う。
 このほかにも彼の本には「信じること」を全く必要としない智慧の数々が平易なことばで示されている。例えば、J. Krishnamurti, The First and Last Freedom, Harper Collins Publishers, 1975(根本宏・山口圭三郎訳『自我の終焉』篠崎書林1980年)やJ. Krishnamurti, Meeting Life, Harper Collins Publishers, 1991(大野龍一訳『生と出会う』コスモス・ライブラリー2006年)等がある。
 因みに、J. クリシュナムルティの本は書店では「精神世界」(又は「スピリチュアル」や「ニューエイジ」)という棚に配架されていることが多いようである。この状況のユーモアをご理解いただけるだろうか。
 大学生活や将来にぼんやりとした不安を感じるとき、あるいは群れることやSNSでのリア充自慢に疲れたときにじっくり一人で向き合う相手として、この人は丁度良い人物であるような気がする。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.34 2017) より

笹倉香奈先生(法学部)「犯罪を見る目」

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 犯罪報道に接するとき、どのような視点から事件を見るだろうか。自分が被害者だったらと想像するかもしれない。裁判員として事件の裁判にかかわることになったらと考える人もいるかもしれない。それでは、自分がもし加害者だったら、あるいは加害者の家族の立場に置かれたらどうなるか、考えてみたことはあるだろうか。
 鈴木伸元『加害者家族』(幻冬舎新書、2010年)は、犯罪の加害者の家族にスポットライトを当てて書かれている。
 ある日突然、自分の夫が殺人事件の加害者であることを知った女性。事件についての詳しい事情も分からず、自宅に殺到する報道機関を避けるため小学生の息子を知人宅に送り、自分は勤め先の仮眠室で寝泊まりする。自宅は荒らされ、壁には「人殺しの家」と落書きされる。いたずら電話が昼夜を問わず何度もかかる。インターネット上に個人情報を晒され「息子も抹殺しろ」という書き込みにおびえる。夫と離婚して姓を変え、息子の学校は2度転校させる。息子を預かっていた知人夫婦は、そのことが原因で夫婦間に亀裂が入り、離婚にいたる――このほかにも著名な殺人事件から窃盗事件まで、精神的にも金銭的にも追い込まれていく加害者家族のエピソードが続く。
 今まで注目されることのなかった加害者家族に着目することによって、日本の社会自体に潜む問題が暴き出される。加害者家族を追い詰める日本社会は、実はその一方で被害者やその家族にも十分なサポートをしていない。被害者家族も加害者家族も、地域や社会から好奇や偏見で見られ、排除されていく。構造には共通点がある。
 このような悲劇を生まないようにするためにはどうすればよいのか。加害者家族を責めれば、いや、加害者を責めるだけで将来的にも犯罪が繰り返されることを防ぐことはできるのだろうか。そもそも犯罪とはそもそもどのようなものなのか。なぜ起こってしまうのだろうか。その答えを4年の間に一緒に考えていこう。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.34 2017) より

石田 功先生(経済学部)「人生を生きるに値するものにしてくれる読書」

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 「人生はなぜ生きるに値するかって?・・・ぼくにとってはグラウチョ・マークス(コメディアン)、ウィリー・メイズ(メジャー・リーガー)、ジュピター交響曲第2楽章、ルイ・アームストロング、スウェーデン映画、フロベールの『感情教育』、セザンヌ、サム・ウー(中華料理店)の蟹、・・・」昔、私が大学生の時に見たウディ・アレン監督・脚本・主演の米国映画『マンハッタン』での主役の独白ですが(抄訳。括弧内は私の注釈)、当時、この台詞に「人生ってその程度のものなのか」と考えさせられました。本として1冊だけ仏文学の古典『感情教育』が入っていたのにも「これを読めることが生きる値打ち?」と驚きました。フランス語教師に勧められ読んだばかりでしたが、メロドラマ展開の面白さに夢中になったものの、文学としての価値まで理解していなかったからです。それはともかく、ウディ・アレンの台詞の影響を受けたことがきっかけで、読書というのは教養を身につけるとか高邁な目的もさることながら、野球観戦、蟹グルメと同じレベルで味わうこともまた素晴らしいことなのだと考えるようになりました。その意味では、例えば、映画やライブ演奏も小説と同等だと思います。皆さんも様々なアート分野で既にお気に入り作品を持っておられるでしょう。ただ、皆さんのリストの中にもし小説が含まれていないとすれば、それはあまりにもったいないです。他のメディアの文芸作品とはまた異なる喜びを与えてくれますからね。是非、小説にも手をのばして欲しいと思います。
 最後に、大学生になられたばかりの皆さんに一冊だけお薦めするとすれば、小説ではありませんが、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』というノンフィクションです。邦題通り、我々ホモ・サピエンスの歴史を俯瞰する大作で、非常に読みやく、かつ、驚きや刺激に満ちた圧倒的知的エンターテインメントです。大学時代にこのような本をたくさん読み、物事の本質を捉える力をつけていただきたいと願います。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.34 2017) より