トニ・モリスン著 大社淑子訳 『青い眼がほしい 』

 

法学部 3年生Sさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 :  青い眼がほしい
著者 :  トニ・モリスン著  大社淑子訳
出版社:早川書房
出版年:2001年

二〇一九年八月五日、偉大な作家が逝去した。トニ・モリスン、享年八十八歳。本作品は、アメリカの黒人作家として初のノーベル文学賞を受賞した著者のデビュー作。強烈な人種差別の描写、主人公のピコーらが辿る悲惨な運命は読んでいて苦しくなるほどである。しかし、我々は目を背けてはいけない。著者の、黒人の、ピコーラの叫びを。

「秘密にしていたけれど、一九四一年の秋、マリーゴールドはぜんぜん咲かなかった。」この一行から始まる冒頭ニページで、黒人の少女ピコーラになにがあったのかが語られる。それはあまりにも辛く、残酷な話である。二ページ目の最後には、「本当に、これ以上語ることは何もない」「とりあえず“どういうふうに”を語ることにしよう。」とある。読者はそのショッキングな出来事の顛末を見届ける義務を負う。本を閉じることは許されないと本気で思わされる。

内容について特徴的な点は、差別するものと差別されるもの、被害者と加害者という単純な二元論だけで物語が描かれないことである。ピコーラは、父親にひどい仕打ちを受ける。(実際は、このような軽い言葉で表せるものではない。)この部分だけに注目すれば、父親は加害者である。しかし著者は、父親もまた差別の被害者であるという描写を決して怠らない。差別を受け、生まれた絶望が被害者を加害者へと変容させ、さらなる絶望を生む過程をしっかりと描く。そして、差別が絶望しか生まないことを我々に突きつける。

黒人への差別を書いた作品である、と言うのは簡単である。その表現は間違っていないが、作品の中には、差別や暴力、更には希望も詰まっている。それらは当時の、そして現代の黒人が普遍的に持っていたものである。その当たり前のことを文学に落とし込んだ作品である、と言ったほうが些か正確に思える。この作品は文学であり、歴史でもあると作者が叫んでいるように感じた。偉大な作家がこの世を去ってしまった今、その叫びを我々は受け止め、伝えていかなければならない。