岡田元浩先生(経済学部)「大学時代の読書」

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 私は今でこそ経済学部の教員であるが、大学学部時代は文学部生だった。読書好きだが、他にさしたる取得も関心も無かった私は、大学生でなければできないことをやっておこうと考え、手当り次第に本を読んだ。文芸批評家の小林秀雄が学生時代に10冊以上もの本を同時に読んでいたとの話に刺戟され、自分もこれを実践してみようと思ったのだ。まず起床したら朝食前に1冊、食後の通学前に1冊、通学途中の電車内で1冊、講義時間の合間に2~3冊、帰宅途中の電車内で1冊、夕食前に1冊、夕食後・就寝前に2~3冊といった具合に。ジャンルも、カントやヘーゲルの哲学書のドイツ語原典から、まったくの専門外でちんぷんかんぷんの理工学書、さらにはここで言えない怪しげな本に至るまで、さまざま。読み方もいろいろ。川端康成の『伊豆の踊子』や太宰治の『ヴィヨンの妻』などの小説は、筆致の美しさに魅了され、全文を写本したほどだが、数百ページに及ぶ書物を1時間程度で飛ばし読みしたこともある。
 かれこれ30 年前にもなるこうした経験を振り返ってみて、その後の自分にどう役立ったのか、正直よくわからない。多様な分野の本を読んだが、お世辞にも今の私は幅広い知識・教養の持ち主だとはいえない。当時読んだ数多の書物の内容も、そのほとんどが記憶から失われてしまった。ただ、日々の雑事に追われ、読書の大半がビジネスとしての自己の研究上のものに限定されてしまった現在、30年前の読書体験は、やはり当時想い抱いたように「暇な(unoccupied)」大学時代でなければできないことだった。そして、バイトや就活に翻弄され、大学生にとって最大の、そして不可欠な特権であるべき「閑」(周知のように、ギリシャ語によれば scholar とは「閑人」のことである)さえも奪われている昨今の大学生を見るにつけ、自分は佳き時代と境遇の下に生まれ育ったと感じずにいられないのである。
甲南大学図書館報 藤棚(Vol.30 2013) より