上島康弘先生(経済学部)「リトマス試験紙」–藤棚vol.32より

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 読書の効用について、説得力のある答えが見つからない。世間では本を読むと思考力が深まり、想像力が豊かになると言うが、私自身にその実感がない。論説や論文を読むほうが思考力を鍛えてくれるし、想像力は子どものころのほうが豊かだった。歴史小説はいまでもよく読むが、 SF やファンタジーはもう読めない。人気のハリポタ・シリーズも、『ハリーポッターと秘密の部屋』で断念した。
 とは言え、バッグのポケットには文庫本を入れている。本屋に立ち寄ると文庫本を買ってしまい、読みはじめると次がどうなるのかを知りたくて落ちつかない。藤沢周平『用心棒日月抄』桐野夏生『柔らかな頬』のたぐいの読み物を携行していると、電車が遅れてもいっこうに気にならない。むしろ、お礼を言いたいくらいである。
 自立した人の心の動きに興味がひかれる。困難な状況で気高い人間がどう考えるのかは文字にしてもらわないと分からない。シャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』は読み返す本の一つだが、出勤途中に淀屋橋駅のベンチに座って読んでいたら講義に遅れた。目の前を忙しく行きかう人たちよりも、19世紀のイギリスで貧しい孤児院に入れられた女の子に共感するのはなぜだろう。ちなみに、ニュースでストーカー事件を目にすると、シャーロットの妹エミリーが書いた『嵐が丘』を思い出す。
 最近、ジェイン・オースティン『自負と偏見』の新訳が出たので再読している。外国人は他人の気持ちにうといと言う人がいるが、これは身近な人たちを的確に描いて笑わせる。おそらく世界で一番読まれた小説だろう。私はこの本をゼミの学生にすすめるが、精神的に成長した学生からは例外なく「おもしろかった」という感想が返ってくる。著者は20 歳のときに下書きを書いたから、学生がそう感じるのは当然なのかもしれない。オースティンの本は、「大学生」にふさわしい内面をもつかを知るリトマス試験紙だと思う。
甲南大学図書館報 藤棚(Vol.32 2015) より