投稿者「図書館」のアーカイブ

[藤棚ONLINE] フロンティアサイエンス学部・三好大輔 先生推薦『La La Land』(たまにはミュージカルも)

図書館報『藤棚ONLINE』
三好大輔 先生(フロンティアサイエンス学部) 推薦

La La Land
デイミアン・チャゼル監督・脚本
ライアン・ゴズリング, エマ・ストーン[出演]

 このブログコーナーは教員がおすすめの書籍を紹介するのですが、年末に見た映画を紹介します。もちろん図書館で視聴できますよ。
 2016年に公開された米国のミュージカル映画です。ジャズピアニストの男性と女優のドラマです。二人は夢と現実との乖離に悩み、逃げ、妥協します。でも最終的にお互いの夢を叶えます。ハッピーエンドとは言えないのですが。
 恥ずかしながら映画も音楽もよくわかりません。しかし、とても印象に残る点がありました。
 一つ目は人と違うことを恐れないこと。周りに流されることなく自分を貫いてください。
 二つ目は夢をあきらめないこと。夢を叶えるには何歳でも遅くありません。皆さんは若いです。これから何でもできます。
 三つ目は大切な人に出会うこと。自分よりもその人の幸せを願えるような人です。その人のためなら自分のためよりも頑張れるような人に出会えたら人生無敵です。
 こんなおじさんでも「よし頑張るぞ!」と思えました。皆さんもこの映画とともに素晴らしい2020年をはじめませんか?

2020年はねずみ年!

 もう今年も終わりですね。大学生の皆さんは後期試験を控え、あるいはレポートや卒論で大変でしょうが、手洗いうがいを忘れずインフルエンザには注意して過ごしてもらいたいところです。
 さて、来年はねずみ年ということで、十二支が一巡します。
 そこで図書館でも暦や十二支に関する展示を行っています。

 太陰暦や太陽暦、日本の時刻制度など、読みやすくまとめていますので、ぜひ
一度 ご覧ください。
 かわいい十二支たちがわちゃわちゃしつつお待ちしております!

[藤棚ONLINE] マネジメント創造学部・杉本喜美子先生推薦本『君たちに明日はない』・『水鏡推理』・『貿易戦争の政治経済学:資本主義を再構築する』

図書館報『藤棚ONLINE』
杉本喜美子 先生(マネジメント創造学部) 推薦

 3回生の就活シーズンが始まった。自己PRや志望動機を書いたのでコメントを頂けませんか?という相談であふれる季節である。ゼミや講義で接点を持ってはいても「時間の共有」の点で圧倒的に足りていない相手に、適切なコメントができるほど人間はできていない。さらに言えば、自分自身の働くことに対する姿勢が正しいと、自信の持てることは何一つない。だからこそ、皆さんがこれからの行き先を悩んだ時、今から挙げる本が、何かしら参考になればと期待を込め、私のすべき仕事を作者陣に任せてしまおう!
 垣根涼介の『君たちに明日はない』シリーズは、会社をリストラされる人々の面接官が主人公である。リストラの経緯を通して、様々な業界/職種の人々がどんな姿勢で仕事に向かい合っていたか、そして向かい合っていくかを描いた小説で、各業界/職種の苦労と楽しみが理解できると思う。読んだのは何年も前だが、未だ印象に残っているのが、主人公自身が最初にリストラを宣告される場面である。リストラの理由は「いただく給料をわずかに超えるパフォーマンスしか常に出していないから」であった。逆に言えば、自分が働くことで会社に与える利益がいくらかを緻密に計算できているわけだ。全力で仕事をしていた自分は、単に自信と冷静さに欠けていただけだな、若くてあほだな!と反省したことを覚えている。もちろん、わずかでなく最大のパフォーマンスを出すことが職場の雰囲気をよくすることもあるだろう。だが、その計算のもとで働く人間もいること、その計算の中で自分はどのくらいの価値を持つのかということをきちんと知ろうとすることこそ大事だと思う。
 『万能鑑定士Qの事件簿』で知られる松岡圭祐の『水鏡推理』シリーズは、論理的思考力と熱意にあふれた文科省ヒラ職員が主人公で、総合職である国家公務員やその道の権力者たちの不正を暴いていく。それぞれの仕事における“優秀さ”とは何かを考えさせられる小説だ。正規/非正規や職位など、立場の違いで発生する給料の違いが、その人自身のパフォーマンスとリンクしていないことの理不尽さを改めて実感させられる。自分自身も人から見ても“あなたがそこにいていいよ”と納得できる仕事に出会えるのは、奇跡なんだろうか?
 最後は、私の教える国際経済学の分野から一つだけご紹介。ダニ・ロドリックの『貿易戦争の政治経済学:資本主義を再構築する』(もちろん訳本でお試しください。翻訳上手!)。この本の内容は読んでください。まとめるには長すぎる。ダニ・ロドリックの論文は常々、自分の研究のために読むことが多いが、ほかの論文と違い「今、世の中で何が問題か?」ということに真摯に向き合い、そのhot issuesをできる限り直ぐに(他の方に先駆けて)解決したいとはやる気持ちが伝わってくる経済学者だ。よって、ボーっと目をつむっていただけで、世の中の問題はすべて先に解決されちゃうんじゃないか、私の手を出す場所は何もなくなるんじゃないかという不安を呼び起こす。だからこそ、論文でなくこういう著書を読むと、どんなふうにhot issuesを研究題材に変換していくのか、その経路を見せてもらえる気がする。研究者としての仕事を全うするうえで、こんな本の読み方もありますよ、というご提案。みなさんそれぞれに出会ったことのない同業の尊敬者を将来見つけるんじゃないだろうか。こういう本の読み方、10年後にどうぞ!

[藤棚ONLINE] 理工学部・須佐先生推薦本 『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』

図書館報『藤棚ONLINE』
須佐 元 先生(理工学部) 推薦

 「宇宙はなぜこんなにうまくできているのか」という問いを発すること、あるいはこの事実に感嘆を覚えることができれば物理学の面白さの一端を掴んだ、ということになると思います。著者は極めて優れた素粒子物理学者・宇宙論学者ですが、可能な限り平易な言葉で物理学の面白さ、もっというとこの世界の不思議な調和について述べています。

 我々の住む宇宙は人類が住むのに適したように、とても微妙に調整されています。様々な物理定数、例えばクオークの質量が少し違うだけで、この世界は似ても似つかないものになってしまいますし、宇宙が膨張する速度と「ダークエネルギー」の大きさとは不自然とも思える調整が行われ、宇宙に銀河や星、ひいては生命が誕生するのに適した環境が実現されています。そしてこの「不思議さ」は、それをよりシンプルな理論によって説明し、解消しようとする新たな研究の原動力となります。

 この本では「自然科学の理論」についての考え方がそこかしこで語られています。
 自然科学の理論の本質は、複雑な自然現象の中に法則を見出しそれを説明することにあります。
 「自然界の原理や法則は、よりシンプルなほうが説得力がある。説明が複雑になればなるほど、そこには何か無理があるように思えてしまいます。」というくだりにあるように、できるだけ少ない法則によってシンプルに物事が説明できることがより良い理論の指標とされ、人はしばしばそこに美を見出し、深遠な宇宙の調和を感じることができます。
 理系の人にとってはもちろんですが、文系の学生の皆さんにとっても読みやすく親しみ易い文章で書かれている良書です。
 理論物理学や宇宙物理学について知りたいと思っている方にぜひ手にとっていただきたいと思います。

オープンキャンパス開催

 2019年8月4日、オープンキャンパスが実施されました。何千名も来場者があるこのイベント、図書館にも1000人を超える見学者が来場されました。
 3回実施された図書館見学ツアーにもたくさん集まってくださいました。写真はKONANライブラリサーティフィケイトにエントリーしている学生ボランティアによるツアーの様子。しっかり案内してくれてとても助かりました、ありがとうございました!
 本当に暑い中、たくさんのご来場ありがとうございました。
 なお、夏休み中の開館日は高校生の方も利用していただけますので、オープンキャンパス以外でも受験勉強などでぜひ利用してもらえればと思います。詳細は図書館HPをご覧ください。

[藤棚ONLINE] 文学部・川口先生推薦本 『Re:ゼロから始める異世界生活』

図書館報『藤棚ONLINE』
川口茂雄 先生(文学部) 推薦

書名:Re:ゼロから始める異世界生活
著者:長月達平
出版社:KADOKAWA
出版年:2014年~

 情報とモノがあふれているウェブ以後時代、スマホ時代。どの商品を買えばいいのか、その商品にどういった価値があるのか、なかなかわからない、と感じる人が少なくない。口コミ、ユーザーレビューに頼るか? いやいや、ユーザーレビューなんて誰が書いているかもわかったものではない。では、なにか賞を受賞したモノなら良いモノだろうと判断するか?
 日本()の小説、特に芸術的に高い価値がある小説はどれだろうか。小説の価値の基準などというものは、他の芸術ジャンルでも同様だが、やはり単純に明確ではない。
 芥川賞を受賞している小説なら特に読む値打ちがありそう、だろうか。しかし、お笑い芸人のような人やテレビコメンテーターのような人が唐突に書いたものが候補作に選ばれたり、さらには受賞したりする様子を見て、この賞の価値を疑問視する見方が強まっていると言う人もいる。他方で、紙の本が売れなくなってきているスマホ時代にはそうした話題性も大事なのだ、大目に見てあげようではないか、という(大人の?)意見もあるかもしれない。たしかに。
 しかし、そうした最近の状況を度外視しても、考えてみればずっと何十年も前から、賞をめぐっては色々あったのだ。1935年の第一回芥川賞で太宰治が受賞しなかったこと、およびそれをめぐる経緯は、よく知られたものである。当時選考委員にはあの川端康成もいた。それから1979年・80年には村上春樹が候補に挙げられ、一定の評価を受けはしたが、結局二度とも受賞を逃している。事後的に今日の観点からすればなのであまり偉そうに言ってはいけないが、ともかくも、よりによって太宰と村上春樹という相当な水準の書き手の作品価値を見定められなかったというこれらエピソードは、賞の存在意義を高めるエピソードだったとは一般にみなされていないように思われる。(他方で芸術においては、あるいは芸術に限らず、何かを受賞しなかったことをむしろ名誉とするという反骨精神的な観点も時に見出される。若くして認められ賞なりを受ける者は一つ上の世代の価値観に迎合した側面があり、したがってそうした者は真に独創的ではなく、少し時を経たのち成熟期を迎えることなく早くに創造性の枯渇にいたらざるをえない……とするような。) このようなわけなので、やはり、そもそも個々の賞にどのくらいの意義があるかどうかについても、読者・消費者は結局そのつど自分で手間をかけて、みずから読み、自分なりの考えや判断を時間をかけて練ってゆくしかないものなのだろう。
 《ライトノベル》というジャンル呼称が定着して十数年が経つ。しかしその呼称が差す範囲ははっきりしていない。SF、ファンタジー、恋愛、職業、等々が内容だと漠然と言われたりする。だが、だとすれば、過去の既存“小説”もそれらを内容としていたと言えてしまわないか。そして、《ライトノベル》が“芥川賞の対象になりうる種類の小説”とは本質的に異なるのかどうか、まだ本格的に問われたことはないように見える。《ライトノベル》は“小説”というエクリチュールのジャンルよりも格下にすぎないのか。いや、あるいはむしろ逆に、今では《ライトノベル》の側がもはや“小説”など相手にしていないのであるのかどうか。またたとえば、カズオ・イシグロの最近の仕事は《ライトノベル》的ではないのかどうか? バルザックの『あら皮』は? トーマス・マンの『トニオ・クレーガー』は? ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』は? ガルシア=マルケスの『コレラの時代の愛』は?
 『Re:ゼロから始める異世界生活』は、《ライトノベル》であるという。芥川賞の候補にならなかったし、各大学の図書館にも普通は所蔵していない(そのことで各図書館に学生の皆さんは性急に苦情を言うにはおよばない、ご存じのように、歴代の芥川賞選考委員たちでさえいつも価値判断には苦労させられてきたのであるから)。だから読む価値はない、だろうか。それは―――そう、読者が自分で読んで判断すればいい。
 ただしこの作品を判断するのは、第6巻まで読み進めてからにすることを強く推奨いたしたい。第6巻(アニメ版を見るなら第18話)こそがこの作品の核心の部分であり、最も偉大な部分であると考えられるからだ。―――そこまで読み終えた読者は、改めてこう問いたくなるかもしれない。この途方もない作品は、ラノベなのか、小説なのか、いったい何なのか、と。でももはやそのようなジャンル分け・レッテル貼り自体がもしかすると、もう一度、ここでやり直されるべきなのかもしれない。新しく。すべてを、もう一度。何度でも。そう、ゼロから。