せきしろ著『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』

法学部1年 長井大和さん(「基礎演習(濱谷)」リサーチペーパーより)

 ラジオ職人について説明するとラジオ番組で募集されたお題に対してリスナーがハガキに自分の考えを書きそれを投稿する人たちのことです。
 まずラジオそのものの情報を確認していきたいと思います。私が持つラジオの歴史で最も古いイメージは昭和天皇による玉音放送だと思います。実際にラジオが日本に渡ったのは1925年のことで、1923年に発生した関東大震災で情報伝達のメディアとして必要性が認識されたからです。こう考えてみるとラジオというものは現在生きている日本人全員がラジオに触れる機会があったと言えます。しかし人々は時代が進むにつれてより多くの情報をより簡単に収集することができるテレビや携帯電話に頼るようになっていきました。そうするとラジオは日常生活に必要不可欠なものではなく、一種の娯楽という面が大きくなったと考えられます。ニュースを聞くため経済状況を知るためなどではなく、音楽を聴いたり面白い話を聞いたりしたいという思いが強くなりその延長でラジオ投稿が流行ったと私は考えるます。
 ラジオはメディアの一つとしてはどのような存在なのか?これを調べるために私は実際にラジオを聞いてみました。ラジオを聞いて一番感じたことはラジオの面白さは聞き手の知識によるものが大きいということです。このことはラジオを聴くには多少頭を使わなければならないということです。例えばパーソナリティが何かを話すとそれを頭でイメージしなければならないというわけではないけれどイメージしたほうが面白いと感じます。このことはラジオではどのような情報に対しても自分の感情考えなど私情が入ってしまうということを意味しています。これは正確な情報を伝えなければいけないという面ではメディアとしてはふさわしくないと考えられます。しかし読書などと同じで娯楽としてみれば何ら問題はないと考えられます。そうした背景が影響し情報収集のためのメディアではなくハガキ投稿を行う娯楽としての面が大きくなったと思いました。
 ハガキ投稿が流行った原因としてラジオ出演者との距離が近いということが挙げられると思います。これは現代でもTwitterなどで有名人と交流できることが人気なように当時はテレビよりもより距離が近かったのでラジオは人気があったと考えます。
 またラジオを聞くことは人間が成長していくうえでメリットデメリットを持っていると思います。メリットは文章の理解力が上がるということです。また自由で面白い発想もできるようになると思います。理由はラジオを聞くには音声だけなので頭を使う必要があるので文章の理解力が上がると思い、ハガキ投稿などを行うことでお題に対する答えを探すことが発想力を鍛えると思うからです。デメリットとしては音声だけの情報ということで視覚から得る情報を得ることができないので完璧な情報を得ることができないという点です。
 ではこのように直接対面方式ではなく何かメディアを一つ挟んだうえで交流していくことの意義や価値について考えてみると、情報の一部が欠けた状態でコミュニケーションをとることでその人の本当の姿を知ることができないと考えられます。実際に私たちが現在行っているオンライン上の授業でも同じことが感じられると思いますメリットとしてはより多くの人と交流することができるということです。   
 以上のことをまとめると、ラジオは時代と共に情報源から娯楽の一部へと変化していきそれがさらに進化した姿が現在のインタネット社会を作り上げたと考えられます。またそれらの社会にはメリットデメリットが存在するが、それらとは上手に共存していくことが必要であると思う。
 またこの本の著者はこの本に出て来る主人公なのだが、この本を書いた理由は単にラジオを知ってほしいという考であると書かれていました。
 ラジオが現代にまた私たちに与えてくれるこは、娯楽としての楽しさと端的に発信される正確な情報だと思います。

東野圭吾著『ラプラスの魔女』

法学部1年 中田朱音さん(「基礎演習(濱谷)」リサーチペーパーより)

 「ラプラスの魔女」は竹尾徹という元警察官の男性が、ある条件付きで羽原円華という十代後半の少女を護衛するように依頼される、というシーンから始まる。その条件とは、彼女について興味を持つことや、質問することは許されない、というものであった。しかし、徹は円華を護衛していく内に、円華が不思議な力を持っているのではないか、と考え始めるようになる。
 具体的には誰もが飛ばすことに失敗した紙飛行機を完璧に飛ばす事が出来たり、川に落ちた帽子の流れを完璧に予知する事が出来たり、天気を数分刻みで予知する事が出来たり、自然現象を見事に言い当てるなど、とても普通の人間には出来ないような事だった。
 そして、世間では遠く離れた2つの温泉地で、硫化水素中毒による死亡事故が発生する。警察の依頼により、地球化学の研究者である青江修介がどちらの事故も調査するが、それぞれ捜査上に怪しいと思われる人物はいても、それらの事故は、「天候上のいくつもの偶然が高確率で重なって発生した不幸な事故」としか言いようがないものであった。
 そして青江は双方の事故現場で羽原円華を目撃したため、円華に声をかけ、そこで彼女はとある人を探しているということを知る。ここで青江と出会った円華は護衛を振り切っているため、青江の元には円華の行方を追う彼女の側近たちが近づいてくる。
 青江は不思議な力を持っている彼女と彼女が探している人物が、今回の硫化水素事故に何かしらの関わりがあるのではないかと考え、調べようと彼女に関わろうとしていく。円華にこれ以上は近くな、と忠告されたものの、円華や彼女の周辺の人物、さらには円華が探している人物についての様々な調査を進めていくうちに青江は最終的にその重大な秘密を知ってしまう。
 彼女らが抱えている秘密とはどんなものなのか、今回の硫化水素事故はどのようにして起きたのか。私個人の感想としては、初めは物語の複雑に混乱してしまったが、読めば読むほどその後の展開が気になり、一気に読みたくなる作品だと感じた。また、「硫化水素」や「未来予知」がテーマとなっている本書であるが、化学が苦手であった私でも問題なく読み進めることが出来た。衝撃の結末が待っているので、様々な人に是非読んでみてほしいと思う。

参考:【映画】ラプラスの魔女 / 三池崇史監督 ; 八津弘幸脚本 ; 東野圭吾原作

東野圭吾著『マスカレード・ホテル』

法学部1年 中 優馬さん(「基礎演習(濱谷)」リサーチペーパーより)

 マスカレード・ホテルの紹介をしていきます。
 ホテル・コルシア東京という場所が東京で起きている次の殺人現場として予想され物語が始まり、展開していきます。次の殺人現場を予想した人が、登場人物の一人である刑事の新田浩介という人物です。映画では、木村拓哉さんが演じておられます。新田さんは、実際に犯人の確保のためにホテル・コルシア東京のフロントクラークになりすまして、潜入捜査をおこない犯人逮捕を目指していきます。
 ここで新田さんの教育係として任命されたのが、ホテル・コルシア東京で働き絶対的な信頼を置かれているホテルマンの山岸尚美という人物です。映画では、長澤まさみさんが演じておられました。山岸尚美という人物は、どんな仕事でも手を抜くことなく一生懸命な人物であります。このような行動は読者にとっても非常に勉強になるところであると考えます。人は年を取るにつれて、手を抜くことを覚えてしまいます。私自身も、今まで手を抜くことはしたことがあります。山岸尚美という人物から私は、手を抜かずに一生懸命に取り組む大切さを改めて学びました。このようなに学べることがマスカレード・ホテルの最大の魅力であります。
 もちろん刑事の新田浩介という人物からも自分が就いている職業に対してのプライドを持つことを学ぶことが出来ます。プライドを持つということは、その職業を好きでなければプライドは持てませんし、本気で目指してその職業に就けたからプライドが持てるのではないかと思います。
 これらのことは特に私たち大学生が将来目指すべきところであり、大学4年間で自分にとって適性な職業を見つけていくための必要な事柄であると私は考えます。
 法学部の学生にとって、マスカレード・ホテルという本は警察官・刑事を目指したくなると思います。少しでも目指そうとする人がいて頂けるのならば、このリサーチペーパーの一つ目は達成できたと思います。
 もう一つ達成させたいことは、先ほど述べたように本を読むことから沢山のことを学ぶことです。
 第一に、本や長い文章を読むことが苦手という人がいると思います。現に私も苦手としている部分でもあるのですが、私は今回ビブリオバトルを通じてマスカレード・ホテルという本を読み、その本を紹介するという機会を頂けました。マスカレード・ホテルという本の中では、刑事の新田浩介もホテルマンの山岸尚美も仕事内容が書かれたマニュアルのようなものを参考にして、犯人逮捕のためにそれぞれ可能性を高めていました。このような場面からどんな論文であれ読んでいけば、結果として結びつく可能性が出てくることがあると感じました。
 法学部の学生に照らし合わせてみれば裁判で分からない事柄や既に判決されたことを理解するためには、判例であったり、六法全書であったりを読むことで理解できる可能性が高まると考えました。
 このようなことを今後取り組んでいくことが積極的になれば、きっと本や論文からヒントを得ることができ、このリサーチペーパーで達成させたいもう一つの事柄である「本を読むことから沢山のことを学ぶこと」が達成できると考えています。
 最後にマスカレード・ホテルという本からは大学4年間を通じて自分の将来についての選択肢の幅が広くなるだけでなく、助言のようなものを与えてくれるのでお勧めできる本ではないかと思います。また、大学生活において様々な本や論文を読むこと・触れることの重要さを学ぶことができる本となっているため、このマスカレード・ホテルという本をきっかけにして学力の向上や自分の持つ知識を増やしていくことが出来れば良いと考えました。
 これでマスカレード・ホテルという本の紹介を終わります。

参考:【映画】マスカレード・ホテル / 鈴木雅之監督 ; 岡田道尚脚本 ; 東野圭吾原作

[藤棚ONLINE]文学部・友田義行 先生推薦『アンパンマンの遺書』

図書館報『藤棚ONLINE』
文学部・友田義行先生 推薦

 コロナ禍の下、「自粛警察」という言葉を耳にするようになりました。営業を続けるお店や、県外からの来訪者を探し出し、休業や自宅待機などを要請するそうです。報酬のない「ボランティア」活動であり、正義の心で動いておられるのかもしれません。
 悪をくじき、弱きを助ける、正義の味方。ヒーローはいつの世もあこがれの存在です。アンパンマンが最初に出会ったヒーローだった方も多いのではないでしょうか。ウルトラマンや仮面ライダー、鉄腕アトムなどに比べると、アンパンマンはずいぶんとしょぼいヒーローです。困った人に自分の顔を食べさせたり、水に濡れてふやけてしまったり。すぐに顔を失い、力が出なくなって、悪者にぶっ飛ばされてしまいます。ジャムおじさんに新しい顔を焼いてもらわないと、ろくに活躍できないヒーロー。
 本書はアンパンマンの作者・やなせたかしの自伝です。著者が76歳のときに遺書(?)として発行されました。ご紹介するのは手に入れやすい文庫版で、著者94歳の挨拶文が追記されています。
 読んで意外だったのは、アンパンマンの話が終盤に少し登場するだけということ。著者は大人相手の漫画家を目指していましたが、手塚治虫ら輝かしい活躍を見せた同時代の漫画家たちとは違い、絵本作家として幼児の間で人気を得ました。むしろ日陰に生きてきたのだと、自らの半生を捉えています。顔のないアンパンマンは、無名性の象徴でもあるのです。たしかに、アンパンマンがアニメ化されたのは1988年で、著者はすでに70歳近くでした。この翌年、手塚治虫が亡くなっています。アンパンマンと鉄腕アトムはすれ違いました。
 「なんのために生まれて なにをして生きるのか わからないままおわる そんなのはいやだ!」、「ぼくらはみんな生きている 生きているからかなしいんだ」、どちらもやなせたかしの作詞です。彼はアニメーターや絵本作家である前に、詩人でした。
 アンパンマンの原型となった絵本『あんぱんまん』のあとがきに、著者はこう書いています。「ほんとうの正義というのは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです」。他人を傷付けるばかりの正義が横行する世界を、顔の欠けたアンパンマンはどう見つめているでしょうか。

本日Sotaくんが着任!

 アンドロイドの頼もしい助手、Sotaくんが本日よりヘルプデスクに着任しました!
 写真はSotaくんと、Sotaくんの顔認識プログラムを設定している、開発者の甲南大学大学院修士課程・自然科学研究科知能情報学専攻の菊地智也さん。彼は学部生のときから熱心に開発を続けており、図書館職員にヒアリングしつつ、アンドロイドのアンさんを次々アップデートしてくれています。
 今回Sotaくんを配置したのは、アンさんだけでは一次対応として図書館職員側が即座に対応できない点と、なかなかインパクトのある見た目で話しかけにくい(ちょっと恥ずかしいという人も)という図書館側の問題提起に対応するため。
 顔認識プログラムにより、前に人が立つと、自動でコミカルな動きと滑らかな発声で出迎えてくれます。これがものすごくかわいいので、自由に来学可能になったらぜひ見に来てほしいところです。

 さて、まだまだ社会情勢はコロナウイルスの影響が大きく、油断できない状況です。甲南大学もキャンパスの立ち入り制限が継続されています。
 学生の皆さんには、手洗いうがいなど自衛に努めながら、図書館の郵送貸出サービスも活用して読書を進めるなど、有意義な時間を過ごしていただければと思います。
 質問等はメールでも受け付けていますので、わからないことがあれば図書館HPのお問い合わせからご質問ください。

高石 恭子 (文学部)『自我体験とは何か : 私が「私」に出会うということ』

 

<教員自著紹介>

本書は、人がその成長の途上で<私>という主体を発見し、自分自身と対峙する瞬間の主観的体験を指す「自我体験」について、臨床心理学を専門とする筆者が行った40年近い研究の集大成として出版されたものです。子どもから大人まで様々な世代の人の<私>との出会いの事例が収録され、大部ですが読みやすい専門書です。「私とは誰か」の問いに興味のある学生のみなさんにお勧めの1冊です。

◆関連するテーマの本
渡辺恒夫・高石恭子(編著)『<私>という謎―自我体験の心理学』新曜社 2004年
渡辺恒夫・高石恭子(訳)『子どもの自我体験―ヨーロッパ人における自伝的記憶』ドルフ・コーンスタム著 金子書房 2016年

『自我体験とは何か : 私が「私」に出会うということ』
■ 高石恭子著 ,  創元社 , 2020年3月
■ 請求記号 143//2116
■ 配架場所  図書館   1F 教員著作
■ 著者所属  高石 恭子 (文学部)