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新海誠著 『天気の子』

 

 

知能情報学部 4年生 Iさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : 小説天気の子
著者 : 新海誠著
出版社:KADOKAWA
出版年:2019

新海誠による小説『天気の子』は、異常気象が続く東京を舞台に、少年少女の選択と責任を描いた作品です。物語は、家出同然で東京へ向かった高校生・帆高が、天候を晴れに変える力を持つ少女・陽菜と出会うことから始まります。二人はその力を利用して「晴れ女」の仕事を始め、束の間の幸福な日々を過ごしますが、やがてその力の代償と向き合うことになります。

小説版の特徴は、帆高の視点を通して描かれる内面の独白にあります。都会での孤独や不安、自分の居場所を必死に探す姿が率直な言葉で表現されており、読者は帆高の感情に強く共感させられます。また、陽菜の明るさの裏に隠された覚悟や不安も丁寧に描かれており、単なるファンタジーではなく、現実に生きる若者の物語としての重みを感じます。

本作が印象的なのは、「世界」と「大切な人」のどちらを選ぶのかという、極めて重い問いを真正面から投げかけている点です。物語後半で帆高が下す選択は、決して正解とは言い切れないものであり、読者によって評価が分かれる部分でもあります。しかし、その選択こそが、本作を単なる感動物語では終わらせず、読む者に深い思考を促す要因となっています。

また、『天気の子』では、自然現象が人間の都合によって左右されることへの違和感や、人間の小ささも強く描かれています。天気という抗えない存在を前にしながら、それでも誰かを守ろうとする姿は、未熟でありながらも切実で、胸に迫るものがあります。

『天気の子』は、成長や恋愛を描いた青春小説であると同時に、「選択の責任」を問う物語です。読み終えた後、自分なら何を選ぶのかを考えずにはいられない、強い余韻を残す一冊だと感じました。

新海誠著 『君の名は。』

 

 

知能情報学部 4年生 Iさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : 小説君の名は。
著者 : 新海誠著
出版社:KADOKAWA
出版年:2016

新海誠による小説『君の名は。』は、身体が入れ替わるという非日常的な設定を通して、人と人とのつながりや運命の不思議さを描いた作品です。物語は、東京で暮らす男子高校生・瀧と、山深い田舎町で暮らす女子高校生・三葉が、ある日突然入れ替わるという出来事から始まります。二人は理由も分からないまま互いの生活を体験することになり、最初は混乱しながらも、スマートフォンのメモや日記を使って情報を残し合い、徐々に相手の存在を受け入れていきます。

小説版の大きな魅力は、登場人物の内面描写が非常に丁寧に描かれている点です。映画では映像や音楽によって表現されていた感情の変化が、文章によって具体的に言葉として表されており、瀧と三葉それぞれの不安や期待、戸惑いがより深く伝わってきます。特に、自分ではない誰かとして日常を過ごす中で生まれる違和感や、次第に相手を思いやる気持ちが芽生えていく過程は、小説ならではの説得力を持っています。

物語が進むにつれて、時間や記憶に関わる重大な事実が明らかになり、読者は「会いたいのに会えない」という切実な感情と向き合うことになります。それまで積み重ねられてきた何気ないやり取りが、この展開によって重みを持ち、物語全体に強い緊張感と切なさを与えています。入れ替わりという設定が、単なるファンタジーではなく、運命や選択、そして人の想いの強さを描くための重要な要素であることが印象的です。

『君の名は。』は、「名前」や「記憶」といった失われやすいものを通して、人と人がつながる意味を静かに問いかける小説です。読み終えた後には、自分自身も誰かと確かにつながっていた記憶や感情を思い返したくなる、深い余韻を残す一冊だと感じました。

 

湊かなえ著 『人間標本 』

 

 

知能情報学部 4年生 Mさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : 人間標本 
著者 : 湊かなえ著
出版社:KADOKAWA
出版年:2025

湊かなえの『人間標本』は、人間関係の中に潜む無意識の残酷さや、他者を見る視線の冷たさを、「標本」という言葉を通して描いた作品である。標本とは本来、命のないものを観察する対象だが、本作ではそれが生きた人間に向けられる。その発想自体が強い違和感を生み、人を人として扱わない態度の怖さを印象づけている。

物語を通して描かれるのは、人が他人を理解しようとする行為の危うさである。登場人物たちは、相手を思って行動しているつもりであり、明確な悪意を持っているわけではない。しかし、その善意は次第に、相手を一方的に観察し、評価し、決めつける視線へと変わっていく。そこには対等な関係はなく、「見る側」と「見られる側」という立場の差が生まれてしまう。その変化が日常の延長として描かれている点に、現実味と恐ろしさを感じた。

湊かなえ作品らしく、本作でも語りや視点によって印象が揺れ動き、正しさや善意が決して一つではないことが示されている。誰かにとっての親切が、別の誰かにとっては深い傷になるという構図が、静かな文章の中で浮かび上がる。その淡々とした描写が、かえって人間関係の冷たさを際立たせている。

特に印象に残ったのは、「理解しているつもり」になることの怖さである。相手を分かった気になった瞬間、人は相手の声に耳を傾けなくなり、自分の見たい姿だけを見るようになる。その結果、相手は一人の人間ではなく、都合よく整理された「標本」として扱われてしまう。本作は、その危うさを静かに読者へ突きつけてくる。

「人間標本」は、派手な事件や衝撃的な展開がある作品ではない。しかし、読み終えたあとに残る違和感や不安は強く、長く心に残る。他人を見る自分の視線は本当に対等なのか、善意という名のもとに誰かを傷つけていないか。本作はそうした問いを通して、人間の怖さと弱さを静かに考えさせる一作である。

カツセマサヒコ著 『明け方の若者たち』

 

 

知能情報学部 4年生 Mさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : 明け方の若者たち
著者 : カツセマサヒコ著
出版社:幻冬舎
出版年:2020

『明け方の若者たち』は、夢に向かって一直線に進む若者の姿を描いた物語ではない。むしろ、何かを目指しているはずなのに、その「何か」がはっきり見えないまま、日々を過ごしている若者たちの心情を丁寧にすくい上げた小説である。読み進めるうちに、登場人物たちの姿が特別な存在ではなく、どこにでもいる普通の若者として感じられ、自然と自分自身と重ねて読んでしまった。

作中では、音楽や恋愛、仲間との時間が描かれ、そこには確かに楽しさや高揚感がある。しかし同時に、その時間がいつか終わってしまうことを登場人物たちはどこかで理解している。そのため、楽しい場面でさえ、完全には満たされない不安や虚しさが漂っている。その感覚がとてもリアルで、若さ特有の勢いと脆さの両方が伝わってきた。

この作品が印象的なのは、若者たちの未熟さを否定しない点である。彼らは迷い、間違え、時には現実から目を背けるような選択もする。しかし作者は、それを責めるのではなく、「そうやって生きてきた時間も確かに存在している」と静かに描いているように感じた。そのため読者は、登場人物たちに対して批判よりも共感を覚える。

また、本作には分かりやすい成功や救いは用意されていない。それでも、誰かと過ごした時間や、心が動いた瞬間が決して無意味ではなかったことが、物語全体を通して伝わってくる。明け方という、夜でも朝でもない曖昧な時間帯が象徴するように、登場人物たちはまだ途中にいる存在であり、答えを出せないまま生きている。その姿が、現実を生きる私たちと重なって見えた。

『明け方の若者たち』は、「何者かになれなかったとしても、その時間や感情は確かに自分の人生の一部だった」と優しく語りかけてくる作品である。読み終えたあと、強い希望が残るわけではないが、自分の過去や今の立ち位置を少しだけ受け入れてみようと思える、静かで温かな余韻を残す一冊だと感じた。

高橋ユキ著 『つけびの村 : 噂が5人を殺したのか?』

 

 

文学部 2年生 Sさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : つけびの村 : 噂が5人を殺したのか?
著者 : 高橋ユキ著
出版社:晶文社
出版年:2019

2013年7月21日、山口県周南市金峰(みたけ)地区で起きた住民5人連続殺人事件を覚えているだろうか。「噂話をされている」「近所の住民みんなが自分の悪口を言っている」と思い込んだ男が住民5人を殺害し、被害者ら宅に放火した事件である。ニュースカメラに写された男の家には一首の川柳が。それは「戦慄の犯行予告」として世間を騒がせたが、全てが噂話に過ぎなかった。

本書はノンフィクションライターである高橋ユキが、ネットとマスコミによって拡散された噂話を一つずつ裏付けしながら事件の真相解明に挑む新時代の調査ノンフィクションである。住民数12人の小さな集落で起きた本事件。著者がその閉ざされた空間を切り開いていく。

狭く閉ざされた集落の中の風習、文化、そして噂話。私はどこかで「異質」に囲われた空間の存在をこの集落に期待していたのかもしれない。しかしいい意味でそれは裏切られた。本書で描かれているのは日本のどこにでもある田舎の日常なのである。「郷」「コープの寄り合い」「秋祭り」といったこの集落独自のものは存在するが、土俗因習や地縁血縁の呪縛、痴情のもつれなど直接事件に関係していそうなものは一向に出てこない。では住民自体はどうか。この点については猛烈な違和感があった。登場人物各々に少しずつ奇妙さ、そして不気味さを感じるのだ。そこに著者の体験描写が加わることでより一層の違和感を抱く。このうまく言葉では表現できない感情をぜひ味わっていただきたいと思う。

特に印象深かったのは「コープの寄り合い」である。被害者の友人で、自らも事件当時金峰地区に住んでいた元住民による証言でこの集まりの存在が明らかになる。この場で何が話されていたのか、誰が参加していたのか、どこでこの集まりが開催されていたのか。これらが明らかになったとき、この集落住民たちに抱いていた違和感に合点がいくだろう。

事件を再現した序盤部分によって、一気に本書に引き込まれていく。「この集落にはどんなに恐ろしい風習があるのか」「何か悪い部分があったのか」など大きな期待を抱くだろう。これらに加えて、次第に明らかになる「人間」の違和感についても考えてもらいたい一冊である。

パウル・クリストフ編 『マリー・アントワネットとマリア・テレジア秘密の往復書簡』

 

 

文学部 2年生 Sさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : マリー・アントワネットとマリア・テレジア秘密の往復書簡
著者 : パウル・クリストフ編 ; 藤川芳朗訳
出版社:岩波書店
出版年:2002

1770年4月21日、オーストリアの女帝マリア・テレジアの娘マリー・アントワネットは14歳と5ヶ月あまりという若さで、フランスに輿入れするためにウィーンを出発しヴェルサイユに向かった。この婚姻の成立によってフランスとオーストリアの同盟の強化という生涯の目的を達成したマリア・テレジアであったが、フランス国王ルイ15世からマリーを孫の妃にという申し込みがあってから大慌てで皇女をフランス王太子妃に、そして未来の王妃としてふさわしい女性に育てようとその教育に全力を注いだ。というのもそれまではまだ教育らしい教育がなされておらず、人間形成の面でも一人前とはいいがたかったからである。しかし、たいした教育の成果を見せることなくマリーはフランスへと旅立ってしまう。マリアは何かできることはないかと手紙によって娘を啓発し、警告を与え、助言し、指示を出し、全力で諭すことにし、これはマリアが亡くなるまで続いた。本書はそのやりとりの現存している部分を往復形式で表している。

本章を通じて最も感じたのは「オーストリア女帝マリア・テレジアとフランス王(王太子)妃マリー・アントワネット」ではなく「母と娘」という関係性が強いということである。マリアからの手紙は娘への忠告や提案が大半を占める内容ではあるが、最後の一行には必ず「あなたの幸せを心から祈っています」という趣旨の愛のことばを綴っている。それに対してマリーは反抗したり言い訳をしたりという箇所がみられ、一国を背負う立場の人間同士のやりとりというよりかは単純に母と娘という関係の結びつきのほうが強かったのではないかと考えさせられる。

マリアは娘の輿入れから亡くなるまでの間、毎月欠かさず手紙を書いていた。第三者の目から見ると親心が働き過ぎたということがわかるのだが、娘のマリーにとっては「毎回説教ばかりの手紙」としかとらえていなかったのかもしれない。自由が好きで活発だったマリーの心に母マリアからのメッセージが届くことはなかったのかもしれない。

オーストリア女帝とフランス革命に消えた王妃の親子としての往復書簡である。