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【第9回 甲南大学書評対決】 筒井康隆著 『残像に口紅を 復刻版』

10月22日(火)に開催された第9回 甲南大学書評対決(主催:甲南大学生活協同組合)で紹介された本です。

 

法学部教授 竹内 健互 先生からのおすすめ本です。

 

 

書名 : 残像に口紅を 復刻版
著者 : 筒井康隆
出版社:中央公論新社
出版年:2022年

竹内先生2冊目のおすすめ本です。50音が世界からなくなっていく世界の結末を知りたくなる、そんなプレゼンをしてくださいました。

 

以下、先生の書評です。

 

「ダザイスト」に「ハルキスト」。筒井康隆も「ツツイスト」と呼ばれる愛読者層が形成される有名な作家です。

なぜ数ある筒井先品の中から本書を選書したのか。一つには、本書の舞台が「御影」だからです。筒井はかつて御影に仕事場を持っていました。

理由はそれだけではありません。本書では、物語が進むにつれて使われる文字見(音)が一つずつ消えていく「リポグラム」という手法が採られています。冒頭から「あ」が消えます。これにより「あ」が名指す対象(例えば、「明日」や「iCommons」)はその言葉も含めて存在もろとも作中世界から忽然と消え失せます。使える言葉が減っていく中で世界からは次から次へと言葉が指し示す対象(あるいはその「イデア」)が消えていくわけです。そうした制約と仕掛けの中で物語は進みます。

「最後に残る文字」とは何か、タイトルの「残像に口紅を」とはどのような意味か。それは本書を読んでの「お楽しみ」です。

 

 

第9回 甲南大学書評対決、生協書籍部で実施中!

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【第9回 甲南大学書評対決】 ミシェル・フーコー著 『監獄の誕生 : 監視と処罰 新装版』

10月22日(火)に開催された第9回 甲南大学書評対決(主催:甲南大学生活協同組合)で紹介された本です。

 

法学部教授 竹内 健互 先生からのおすすめ本です。

 

 

書名 : 監獄の誕生 : 監視と処罰 新装版
著者 : ミシェル・フーコー
出版社:新潮社
出版年:2020年

竹内先生1冊目のおすすめ本です。学生のうちこそ背伸びして高い本を読んでみてほしいと紹介されました。

 

以下、先生の書評です。

 

学生時代こそ背伸びして「分かりにくい」本を手に取ってみましょう。本書はそんな一冊としてオススメです。

かつて刑罰は身体刑が中心でしたが、近代以降、犯罪者を「監獄」に収容して精神を矯正させる刑へとあり方が大きく変化しました。この刑罰制度の大転換は「人道主義」の成果なのでしょうか。フーコーによれば、そうではありません。「君主権的権力」から「規律権力」へという権力メカニズムの変容によるものです。建築様式としての「パノプティコン」という刑務所施設では受刑者は常に誰かに監視されているかもしれないと意識する結果、自分で自分を監視して規律を内面化するようになり、従順な個人が効率的に作り出されます。フーコーは、こうした「監獄」のシステムに、工場、軍隊、病院に代表される近代の管理システムの原型を見出しました。

本書は約半世紀前のものですが、今も現代社会を分析する視角としての有用性を失ってはいません。

 

 

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[藤棚ONLINE]知能情報学部・木原眞紀先生推薦『博士の愛した数式』

図書館報『藤棚ONLINE』
知能情報学部・木原眞紀先生より 

日々,理系離れ・特に数学離れが多いことをひしと感じる今日この頃.
1人でも多く数学に興味を持ってくれる方が増えてくれたら良いなと思ったので,この本を紹介するために筆をとりました.
私,木原の昔話や,研究者とは?という内容にも少し触れるため,長くなりますが,お付き合いいただけたらと思います.

みなさんは自分の記憶がある日を境にきっちり80分間しか持たないとしたら,どのような日々を送るでしょうか.
例えば,友人とお昼に食べたパスタ,家族と交わした会話,そして,自分が学んだこと・考えたことの全てが失われるということです.
この本は,80分しか記憶の持たない「博士」,とその「博士」の家で家政婦として働く「私」そして,「私」の10歳の息子「ルート」が,数学を通して優しく穏やかな時間を過ごす,そんな心温まる物語です.
このブログを執筆するにあたり,久しぶりに読み返してみましたが,やはり何度読んでもあたたかく,優しい気持ちになれる1冊でした.

例えば,中学生や高校生の頃に学んださまざまな数学の定理があると思います.
それらの定理はかつての数学者たちが
「その主張は正しいか」「どんな時でも必ず成り立つのか」「成り立たない例はあるのだろうか」
などのことをたくさん考え,きちんと整備してきた結果,今私たちが「公式」のようにツールとして扱うことができるのです.
これらのことを調べるために,数学者たちは何日も,何週間も,何ヶ月も,時には,何年,何十年という長い時間をかけて取り組むのです.
そのような数学者にとって,すでに数学に関する基礎知識は十分にあったとしても80分しか記憶が持たないということは,考えついたアイディアを取り組んでいるそばから忘れてしまうし,仮にそのメモを残していたとしてもそこに至る過程すらも忘れてしまう,非常に致命的で恐ろしいことです.
しかし,そこでの苦労などが記されているわけではなく,記憶できなかったとしてもなお数学を愛している「博士」と「私」と「ルート」の穏やかで温かな日々だけが描かれているのです.

この本と私の出会いは,中学生の頃付き添いで行った本屋さんで母に購入してもらった日だったかと思います.
この本は,中学生の私を含め多くの数学者でない人に数学の美しさを知らせた作品であるということで,日本数学会にて出版賞を受賞しています.
中学生といえば「数学ってそもそも何の役に立つの?」,「数学の勉強って意味があるのかな?」などの疑問を少なくとも1度は抱えたことがあるのではないでしょうか.
中学生の私も例に漏れずそのうちの1人でしたが,そんな私に「数学とは,そこにあるだけでとても美しく,素敵なものである」と思わせてくれたのがこの1冊でした.

この本は,何度も読み返している作品の1つなのですが,その理由の1つとして「博士」の数学との向き合い方にあります.
「博士」は数学を愛し,数学に対して決して驕らず,謙虚で誠実な方です.
例えば,「数」は,そして「数学」は人間が発明したものではなく,「発見」したものだと「私」に話します.
なぜならば「博士」は
『数学は人間が発明したものではない。人間が生まれるずっと以前から、誰にも気づかれずそこに存在している定理を掘り起こすんだ。神の手帳にだけ記されている真理を、一行ずつ、書き写してゆくようなものだ。その手帳がどこにあって、いつ開かれているのか、誰にもわからない。』
『人間が発明したのなら、誰も苦労はしないし、数学者だって必要ない。数の誕生の過程を目にした者は一人もいない。気が付いた時には、もう既にそこにあったんだ。』
のように考えているからです.
数学を扱う研究者となった今の私(純粋数学が専門ではないので数学者というのは躊躇いますが,応用数学ということで…)にとって,「博士」のこの考え方は,恐れ多くも共感せざるをえません.

他にも,実は研究者をやっていると「その研究は何の役に立つのか」を問われることがとても多いです.
もちろん,世の中の役に立つこと,それは研究の大きな意義です.
しかし,例えば1つの数学の性質を見つけたからといって,それが世の中の役に立つとは限らないことも少なくありません.
たまに「この発見は意味がないかもしれない」と落ち込むこともあります.
そんなとき『実生活の役に立たないからこそ、数学の秩序は美しいのだ。』という「博士」の一言に救われたりします.

さらに「博士」は数学の知識をあまり持っていない高校中退の「私」や10歳の「ルート」に対してもとても真摯に素直に向き合います.
例えば2人が発見したどんなに拙い数学の性質や数学への取り組み方であっても,絶対に否定したり馬鹿にすることはありません.
「博士」にとって,そして「私」と「ルート」にとって,
『博士の幸福は計算の難しさには比例しない。どんなに単純な計算であっても、その正しさを分かち合えることが、私たちの喜びとなる。』
だからこそ,「博士」は2人の主張を丁寧に聞き,どのように考えその結論に至ったかを尊敬し,賞賛します.
そしてこれは主張が正しいときにだけそのようにするわけではなく,何も答えられない・突拍子もない間違いすらも愛を注いでくれるのです.
大学の先生を含め研究者は皆,日々自身の研究について,悩み,ひたすらに真摯に,そして謙虚に研究に向き合って仕事をしていると思います.
学生さんたちの中には,先生は「怖い」「厳しい」「何を考えているのかわからない」と感じている方がもしかしたらいらっしゃるかもしれません.
ですが,安心してください.
その先生もきっと,「博士」が記憶が80分しか持たない病気になったとしてもなお数学を愛しているのと同じように,自身の研究について考えることをやめられない,自身の研究を愛している人々です.
そして,「ルート」や「私」,そして学生の皆さんのように突拍子もない間違いや答えられない,ということを散々経験してきた人々であり,かつ,それに愛を注いでくれる「博士」と同じ研究者なのですから.
疑問に感じること・気になること・困っていること・知りたいことがあったら,「ルート」や「私」のように,素直に話してみるといいかもしれません.

数学に関する難しい知識を持っていなくとも,この1冊を手にしてくださった方をきっと穏やかな気持ちにしてくれる,そして今までやってきた「数学はこんなにも美しいのだ」と教えてくれる,そんな1冊かと思います.
良ければ手に取って読んでみてください.
そして,願くば1人でも多くの方が数学に少しでも興味を持ってくれますように.

小川洋子 著
『博士の愛した数式』新潮社, 2003 2階中山文庫 913/O
文庫版  1F開架小型北 SB913/O

[藤棚ONLINE]法学部・岡森識晃先生推薦『新版 ワインの授業 フランス編』

図書館報『藤棚ONLINE』
法学部・岡森識晃先生より

 最近では、レストランやバー、そしてスーパーでも、多くのワインを見かけます。みなさんは、ワインについてどのような知識をもっているでしょうか。ワインを手にとることや飲んだことはあるけれど、どんなブドウ品種でつくられたワインなのか、どこの地域でつくられたワインなのか、どのような格付けのワインなのか、そのような情報がワインのどこに記載されているのかなど、じつのところよくわからないことが多いのではないでしょうか。

 そんな方のために、ワインの銘醸地の一つであるフランスを舞台に、ワインの知識をわかりやすく、くわしく解説したのが本書です。もちろん、上に記載したさまざまな疑問についても解説されています。知っていたら、人に話してみたくなるワインの知識が満載ですので、是非ご一読頂ければと思います。また、社会にでたときの教養の一つとして、ワインの知識を学んでみるのもおもしろいのではないかと思います。

 なお、このような知識を深め、さらに法との関係性について知りたい方は、岡森ゼミにどうぞ。同ゼミでは、さまざまなワインに関する図書を参照しながら、ワインと行政法の関係について研究しています。

杉山明日香 著
『新版 ワインの授業 フランス編』イースト・プレス , 2024
2階中山文庫 588/SU

[藤棚ONLINE]理工学部・池田茂先生推薦『夢の新エネルギー「人工光合成」とは何か』

図書館報『藤棚ONLINE』
理工学部・池田茂先生より

 太陽エネルギーと水を使ってエネルギーになる化学物質(水素など)をつくる方法を植物の光合成になぞらえて「人工光合成」といいます。かつては夢の技術と言われていましたが最近では人類が「使える」技術になる一歩手前まで研究が進んでいます。
 ご紹介する書籍では、そんな「人工光合成」について平易に分かりやすく解説されています。私の研究室に在籍している大学院生(KK)も4年生のときに最初に手に取った本、めっちゃ真面目な感想(書評)をいただいております。
 (以下KKの書評)人工光合成について化学やエネルギー、はたまたその歴史など幅広い観点からまとめられており非常に理解しやすい内容になっている。人工光合成の定義、それに利用される生物、色素、金属錯体や半導体、これからの実用化における道筋と課題に方法について網羅されている。これからの未来に人工光合成技術がどのように活躍していくか期待が高まる一冊になっている。

光化学協会編 井上晴夫監修
「人工光合成」とは何か講談社ブルーバックス , 2016
ISBN: 978-4-06-257980-3

[藤棚ONLINE] 文学部・ファヨル入江容子先生推薦, エルザ・ドルラン著『人種の母胎―性と植民地問題からみるフランスにおけるナシオンの系譜』

図書館報『藤棚ONLINE』 (特別寄稿)
文学部・ファヨル入江 容子先生より

 7月に入りましたが、雨降りの日々、みなさんいかがお過ごしでしょうか。曇り空に憂鬱な気分になっている方もいらっしゃるかもしれません。こんなときは、図書館に足を運び、読書に耽ってみてはどうでしょうか。運が良ければ、心に晴れ間が射すかもしれません。ある書物との奇跡的な出会いが、これまで見ていた「世界」をまるっきり変えてくれることもあるからです。雲の切れ間から日の光が差し込むように、視界が開け、暗く閉ざされた世界が、実はさまざまな色彩に満ちた多様な世界だったことに気づかされることになるのです。そのような転換、目の覚めるような出来事が読書経験には秘められています。

 今回、ご紹介するのは、私にそのような気づきをもたらし、翻訳に至った書物、フランスの哲学者エルザ・ドルラン〔Elsa Dorlin:1974-〕『人種の母胎――性と植民地問題からみるフランスにおけるナシオンの系譜』(人文書院、2024年)です。
著者のドルラン氏はフランス国立トゥールーズ・ジャン・ジョレス大学教授として、現代政治哲学を講じ、性(セックス)/ジェンダー/セクシュアリティ、「人種」および階級の交差的課題、身体論、暴力論を主な研究領域として、精力的に執筆・研究活動を続けています。
本書では、17・18世紀におけるフランスを中心としたヨーロッパの医学文献・資料を丹念に読み解くことにより、現代に続く性差別および人種差別を正当化する支配原理の淵源に鋭く切り込んでいます。
 女性の身体は、いかにして、病理化、つまり「病」に苛まれる身体として規定されることを通じ、その劣等性が徴づけられ、男女間のヒエラルキーが正当化されるに至ったのか。さらには、女性間の身体もまた「病」によって、ブルジョワあるいは貴族階級の白人女性と、客体化された例外的女性たち(庶民階級の女性、農村女性、女性同性愛者、黒人女性、先住民女性)として区別されるに至ったのか。また、このような「女性」の身体と同様の問題設定において、植民地における「原住民」およびアフリカ大陸から強制移送されたアフリカ人の身体は、どのように病理化されたのか、また、この医療的操作よって、「健康」である「白人」の優位性が徴づけられ、「人種」をめぐる権力関係がいかに正当化されていったのか。これらの問いに応答しつつ、植民地が、「フランス国民(ナシオン)」を胚胎するための「実験場」であったということが明らかにされていきます。

『人種の母胎』

エルザ ドルラン 〔Elsa Dorlin〕 著,ファヨル入江 容子
人種の母胎 ― 性と植民地問題からみるフランスにおけるナシオンの系譜
人文書院, 2024/06
ISBN: 9784409041277
原書タイトル:La Matrice de la race. Généalogie sexuelle et coloniale de la Nation française, Édition la découverte

 甲南大学で本年5月に行われた翻訳刊行記念講演会では、「性」と「人種」はそれぞれ別個のカテゴリーをなしているわけではなく、前者が後者の「モデル」を提供しているというよりは、分かち難く、より複雑に結びついていることが強調されていました。原著出版から現在まで、人種差別と性差別をめぐる状況はあまり変わったとはいえないとおっしゃっていたことも印象的でした。
 ドルラン氏は、岡本キャンパスを散策の折には、なんぼーくんと記念写真を撮るなど、彼女の研究内容からは全く想像がつきませんが、日本の「かわいい」ものがお好きなようでした。なお、KAWAIIは国際語です。講演会後に、討論者を務めてくださった鵜飼哲先生(一橋大学名誉教授)と三人で訪れた元町のバーでは、おすすめした灘のお酒――中でもすっきりとした飲み心地のもの――をとても気に入ってくださり、たった1日半という短いご滞在でしたが、神戸を満喫されたようでした。また甲南大学に来てくださるといいですね。