高野清弘先生(法学部)「カトーの言葉をめぐって」

☆新入生向けの図書案内
 過日、私は出身校の図書館の前に立って、建物を見上げていた。図書館入り口の上部に、QUAE SIT SAPIENTIA, DISCE LEGENDOと書かれている。私にはラテン語が分からない。
分からないのは悔しい。家に帰って調べた。古代ローマの政治家カトーの言葉で、「知恵の何たるかを、読書によって知れ」という意味らしい。
 カトーという名前に反応したのだろう。私の脳裏にたちまち、H・アーレントの『精神の生活』のエピグラフが浮かんできた。カトーの「もっともさみしくないのは、一人でいる時だ」という言葉である。彼女はこの言葉を『全体主義の起源』の末尾でも引用している。私は今年3月で定年を迎えた。顧みて私の生涯は平凡な人生だった。しかし、私にも苦労はあった。特に、私のことを理解してもらいたいと思っている人に理解されていないことが分かった時、たまらないさみしさを感じた。ただ、私は大学教員として人生の大半を過ごしてきたことを幸せに思う。読書が仕事の一部なのである。一人になって本を繙く。私など足元にも及ばない先人の思想に触れて、確かにカトーのいう人間の「知恵」の深遠さにいつも驚いた。それだけではないのだ。そんなに度々のことではないが、その思想
家が本を通して、私に語りかけてくるように思うことがあった。理解しようとしているのは私なのに、その思想家が私のことをよく理解している友人に思えた。読書の至福というべきだろう。その時、私はもちろんさみしくなく、幸福であった。カトーも激務のあいま、一人になって同じような体験をしたのだろう。失意のマキアヴェッリを支えたのもこの読書であった。
 上で述べたことは、アーレント流にいえば、読書という形態での「一者の中の二者の対話」ということになるだろう。彼女によれば、この対話が考えること=思考なのである。「考えること」の大切さ、これが彼女の終生訴え続けた事柄であった。彼女の「知恵」に学ぶべきだと、痛切に思う。
甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.33 2016) より