池井戸潤著『七つの会議』

法学部1年 山本みちるさん(「基礎演習(濱谷)」リサーチペーパーより)

 今回リサーチする「七つの会議」は、グータラ社員の八角が歳下エリート課長の坂戸をパワハラで社内委員会に訴えるところから始まります。そして委員会が下した不可解な人事に一体この会社で何が起こっているのかを、事態の収拾を命じられた原島が大掛かりな会社の秘密に迫る、というのが大まかなあらすじになります。
 最初に、著者の池井戸潤氏といえば、「半沢直樹」や「下町ロケット」など数々の名作を生み出したことで知られています。作家としてのデビュー以前はコンサルタント業の傍らにビジネス書などを執筆していました。
 しかし、限られるテーマに将来の不安を感じ、作家としてデビューして元銀行員の経験を生かした作品などを世に出し始めます。この「七つの会議」は「空飛ぶタイヤ」と同じく、企業の不正について描いた著書になります。現代の社会問題であるパワハラやブラック企業の生々しさが、綿密に練られた人物設定と話の構成によって読み手にありありと伝わる作品です。
 この話の面白いところはやはり、登場人物それぞれの生まれと境遇や意図することなどが細かく描写されていることだと思います。大筋となる東京建電での不正を行った坂戸ですが、課せられたノルマを達成するために異常とも取れるコスト削減で基準値を下回るネジの納入をしていた悪役、という認識でした。しかしその実情は、社長である宮野の某策による被害者に過ぎなかったのです。坂戸は兄を見返してやりたいという対抗意識と過激なノルマが自分を追い詰め、そこを宮野らにつけ込まれ不正に手を染めてしまった弱さと救いのなさにこの物語の全てが詰まっていると考えました。話が動き出すきっかけである坂戸による八角へのパワハラですが、私はこのシーンを権力やノルマに振り回されずマイペースな働き方をする八角への嫉妬がもたらしたものであると考察しました。しかしこれは坂戸からの視点に過ぎません。では、八角から坂戸はどう見えていたでしょうか。
 まず、坂戸と八角は歳が20離れていることが書かれており私はそこに注目しました。20年前の八角といえば、ノルマを達成するために違法まがいの押し売り商売をし、その結果一人の顧客が自ら命を絶ったことが語られています。このことが原因で彼は権力から遠ざかり、誰からも期待されないように振る舞い始めました。
 しばらくして20年後の坂戸も、以前の八角と同じようにノルマのために顧客の信用を裏切る行為に手を染めはじめます。
 このことから、彼は坂戸を20年前の自分と重ね合わせており、取り返しのつかないことになる前にその過ちを正すため行動を起こしたのだと推考しました。作中で彼は何度も坂戸への怒りを吐露していますが、おそらくその怒りは過去に同じ過ちを犯した自身に向けたものでもあったと思います。
 次に、それぞれの登場人物の視点から見る東京建電の不正問題についてです。元凶である社長の宮野は子会社の東京建電をのし上げるために坂戸を利用し、万が一不正が明るみに出た場合でも自分だけは助かるよう彼に全ての責任を押し付ける算段まで立てていました。顧客の安全と信用より会社の利益を優先し、果てには部下も捨て駒にするという考えがこのような事態を引き起こしたのだと思います。営業部長である北川らも同じ考えであり、八角はこれを東京建電の体質であると発言しています。二課課長の原島は坂戸とは違い不正をはたらこうとはしませんでしたが、ノルマを達成できず組織への貢献力は芳しくありませんでした。しかし、一課課長に任命され八角から坂戸の行いを聞いてまもなくネジの発注先を切り替えた姿勢から、顧客の信頼を裏切った代わりに組織に貢献して地位を得た坂戸とは対照的な人物だと感じました。
 しばらくして組織内で不正が認知され始めた東京建電では、ヤミ改修と呼ばれるリコール隠しが指示されます。結果的に八角によってこの悪事が世間へ公表され、宮野は背任罪で起訴、東京建電は事実上の解体という処分になりこの物語は終わります。
 組織のパワハラや隠蔽体質は決してこの話だけに限ったフィクションではなく、過去に公に報じられた大手自動車企業などが例に挙げられる通り、現代の日本社会の大きな課題であると思います。「七つの会議」は、世間のこれらの重大な問題に対する関心の向上に、大いに貢献する傑作であると感じました。

参考:【映画】七つの会議 / 福澤克雄監督 ; 丑尾健太郎, 李正美脚本 ; 池井戸潤原作