馬場大治先生(経営学部)「読書遍歴」–藤棚vol.32より

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 子供のころから「趣味は読書」と称してきたが、最近はちょいと怪しい。
 「趣味は読書」は、小学生の時、翻訳物の推理小説や冒険小説に目覚めたことを出発点とする。中学時代から大学を卒業するころまで、1日1冊とまではいわないまでも、 平均すると2日に1冊位のペースでこの種の本を読んでいた。当時は、必ず本を持ち歩き、時間があれば頁をめくり、口角泡を飛ばしてどの外国作家が面白いかを友人と議論する、立派な「おたく」であり、わが読書遍歴における全盛時代であった。
 大学を卒業したころから読む本の傾向は微妙に変わった。依然として、推理小説や冒険小説を主として読んでいたが、翻訳物ではなく、日本の作家の小説が中心となってきた。大学院進学後は、研究のために、多くの翻訳調の書物や外国語の論文を読む必要があり、お楽しみの時間にも翻訳の文章と付き合うのがしんどくなったことが理由として大きいと思われる。また、勉強のための書物を読む必要が多くなったため、お楽しみのための本を読んでいる時間をあまり取れなくなり、読書量がかなり減り始めた。
 三十前に就職し、教壇に立つようになったが、このころ、読書の傾向に第二の変化が起こった。つまり、推理小説や冒険小説よりも、歴史小説や時代小説、または、現代文学が読書の中心となった。要するに趣味が「おっさん化」してきたということであろう。さらに、就職後も学生時代と同じく学校で時間を過ごしているのにかかわらず、月給がもらえるようになった分に、教員として色々な仕事をする時間が多く発生し、ますます読書量が減り始めた。
 四十を過ぎて、読書量の減少はさらに拍車がかかり、最近では、若いころの2日に1冊などは夢の話で、へたをすると1カ月に2冊読むか読まないかといった程度の読書量になってしまっている。これは、老眼が始まり、本を読むこと自体が以前よりも億劫になったことと、毎晩かなりの晩酌をするようになったことによる。ここ数年、あまりの読書量の減少と現在の年齢を考え、死ぬまでに、あと何冊の本を読めるのかということに怯え始めた。そのため、今まであまり本気で読んだことのない、国語の教科書に載っているような作家の、日本文学の「名作」といわれる小説に手を出しかけたが、何だか知らんがこれが「実にいける」ことが発見され、少ないながらも最近の読書の中心となっている。
 五十をすぎて、読書量そのものは激減し、「趣味は読書」といえるかは怪しくなってしまったが、翻訳推理小説のおたくだった中学生が、遅ればせながら純文学にめざめた、老眼で酔っぱらいのおじさんへと変貌を遂げているのである。
甲南大学図書館報 藤棚(Vol.32 2015) より