パウル・クリストフ編 『マリー・アントワネットとマリア・テレジア秘密の往復書簡』

 

 

文学部 2年生 Sさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : マリー・アントワネットとマリア・テレジア秘密の往復書簡
著者 : パウル・クリストフ編 ; 藤川芳朗訳
出版社:岩波書店
出版年:2002

1770年4月21日、オーストリアの女帝マリア・テレジアの娘マリー・アントワネットは14歳と5ヶ月あまりという若さで、フランスに輿入れするためにウィーンを出発しヴェルサイユに向かった。この婚姻の成立によってフランスとオーストリアの同盟の強化という生涯の目的を達成したマリア・テレジアであったが、フランス国王ルイ15世からマリーを孫の妃にという申し込みがあってから大慌てで皇女をフランス王太子妃に、そして未来の王妃としてふさわしい女性に育てようとその教育に全力を注いだ。というのもそれまではまだ教育らしい教育がなされておらず、人間形成の面でも一人前とはいいがたかったからである。しかし、たいした教育の成果を見せることなくマリーはフランスへと旅立ってしまう。マリアは何かできることはないかと手紙によって娘を啓発し、警告を与え、助言し、指示を出し、全力で諭すことにし、これはマリアが亡くなるまで続いた。本書はそのやりとりの現存している部分を往復形式で表している。

本章を通じて最も感じたのは「オーストリア女帝マリア・テレジアとフランス王(王太子)妃マリー・アントワネット」ではなく「母と娘」という関係性が強いということである。マリアからの手紙は娘への忠告や提案が大半を占める内容ではあるが、最後の一行には必ず「あなたの幸せを心から祈っています」という趣旨の愛のことばを綴っている。それに対してマリーは反抗したり言い訳をしたりという箇所がみられ、一国を背負う立場の人間同士のやりとりというよりかは単純に母と娘という関係の結びつきのほうが強かったのではないかと考えさせられる。

マリアは娘の輿入れから亡くなるまでの間、毎月欠かさず手紙を書いていた。第三者の目から見ると親心が働き過ぎたということがわかるのだが、娘のマリーにとっては「毎回説教ばかりの手紙」としかとらえていなかったのかもしれない。自由が好きで活発だったマリーの心に母マリアからのメッセージが届くことはなかったのかもしれない。

オーストリア女帝とフランス革命に消えた王妃の親子としての往復書簡である。