2.おすすめの本」カテゴリーアーカイブ

池上彰著 『わかりやすさの罠 : 池上流「知る力」の鍛え方 』

 

 

知能情報学部 4年生 Yさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : わかりやすさの罠 : 池上流「知る力」の鍛え方
著者 : 池上彰

出版社:集英社
出版年:2019

『わかりやすさの罠』は、「わかりやすく伝えること」は本当に常に善なのか、という問いを真正面から投げかける一冊である。私たちは説明や発表、文章作成の場面で「わかりやすくしなければならない」と強く求められる。しかし本書は、その姿勢が思考を浅くし、重要なものを切り捨ててしまう危険性をはらんでいることを指摘する。

著者は、わかりやすさとは情報を単純化し、整理し、即座に理解できる形に変換する行為だと述べる。一見すると親切だが、その過程で本来の複雑さや曖昧さ、考える余地が失われてしまう。特に、答えが一つではない問題や、時間をかけて考える価値のあるテーマほど、「わかりやすさ」を優先することで誤解や思考停止を招きやすい。

印象的なのは、「わからなさ」には意味があるという主張である。すぐに理解できないからこそ人は考え、問いを立て、他者と議論する。本書は、わからなさを排除するのではなく、耐え、向き合うことが知的成長につながると教えてくれる。この視点は、効率や即答が重視される現代社会への強いアンチテーゼとなっている。

一方で本書は、わかりやすさそのものを否定しているわけではない。問題は、目的や文脈を無視して「わかりやすさ」だけを絶対視する態度にある。伝える側も受け取る側も、簡単に理解できたという満足感に安住せず、その裏で何が省かれているのかを意識する必要がある。

『わかりやすさの罠』は、情報が溢れる時代において、考える力を取り戻すための重要な示唆を与えてくれる一冊であり、学ぶ立場にある人だけでなく、教える・伝える立場の人にも強く薦めたい。

宇田川敦史著 『アルゴリズム・AIを疑う : 誰がブラックボックスをつくるのか 』

 

 

知能情報学部 4年生 Yさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : アルゴリズム・AIを疑う : 誰がブラックボックスをつくるのか
著者 : 宇田川敦史

出版社:集英社
出版年:2025

『アルゴリズム・AIを疑う―誰がブラックボックスをつくるのか』は、私たちの生活に深く入り込んでいるアルゴリズムやAIを「便利な技術」として受け入れるだけでよいのかを問い直す一冊である。検索結果、SNSの表示、採用選考、信用評価など、AIはすでに社会の意思決定に大きな影響を与えているが、その仕組みや判断基準は多くの場合「ブラックボックス」として不可視化されている。

本書の特徴は、AIを単なる中立的な技術としてではなく、「誰が、どのような意図や価値観で設計し、運用しているのか」という社会的・政治的な問題として捉えている点にある。アルゴリズムは客観的で公平だと思われがちだが、実際には設計者の前提、使用されるデータの偏り、企業や国家の利害が強く反映される。その結果、差別や不平等が強化されてしまう可能性があることを、本書は具体例を通して明らかにしている。

特に印象的なのは、「ブラックボックスは自然に生まれるのではなく、意図的につくられている」という指摘である。企業秘密や効率性、責任回避といった理由から、アルゴリズムの透明性は後回しにされがちだ。しかし、それによって不利益を被るのは、判断の根拠を知らされないまま評価される私たち市民である。

本書は、AIを全面的に否定するのではなく、「疑う姿勢」を持つことの重要性を強調している。仕組みを問い、説明を求め、社会全体で監視することがなければ、AIは民主主義と相容れない存在になりかねない。『アルゴリズム・AIを疑う』は、テクノロジーと社会の関係を考えるための入門書であり、AI時代を生きる私たちにとって必読の一冊である。

松岡圭祐著 『ミッキーマウスの憂鬱 』

 

 

知能情報学部 4年生 Iさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : ミッキーマウスの憂鬱
著者 : 松岡圭祐

出版社:新潮社
出版年:2008

本作は、東京ディズニーランドをモデルにした巨大テーマパークの裏側を舞台に、若者の成長と
労働の現実を描いた小説である。夢と非日常を提供するこの場所は、外から見るときらびやかで
完璧な空間に見えるが、その裏では無数の人間が厳密なルールと役割に従って働いている。その
夢を支える現実に焦点を当てる点で、きわめて現代的な意味を持つ作品である。

主人公は、新人キャストとしてテーマパークに入り、戸惑いと緊張の中で日々を過ごす。笑顔を
絶やさず、決められた動きを守り、常に「夢の世界」の一部として振る舞わなければならない。
そこでは、個人の感情よりも役割が優先される。失敗は許されず、マニュアル通りに動くことが
求められる。その環境は、ときに息苦しく、タイトルにある憂鬱を生み出すと考えられる。

しかし物語が進むにつれ、主人公は次第に、自分の仕事が誰かの楽しさや感動につながっている
ことを実感していく。子どもたちの笑顔、来園者の驚きや喜びが、厳しい労働の意味を支えるよ
うになる。松岡圭祐は、夢を虚構として切り捨てるのではなく、人が作り上げる価値あるものとし
て描いている。

この小説の優れている点は、労働の厳しさと誇りを同時に描いていることだ。テーマパークは単
なる娯楽施設ではなく、多くの人の真剣な努力の上に成り立つ場所である。主人公がその一部と
して成長していく過程は、現代の若者が社会に参加していく姿と重なる。

ミッキーマウスの憂鬱は、夢の国を舞台にしながら、きわめて現実的な働くことの意味を問いか
ける作品である。読後、読者はテーマパークを見る目だけでなく、自分自身の仕事や役割につい
ても、少し違った角度から考えるようになる作品だ。

よしもとばなな著 『ハゴロモ 』

 

 

知能情報学部 4年生 Iさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : ハゴロモ
著者 : よしもとばなな

出版社:新潮社
出版年:2006

ハゴロモは、現実と幻想、生と死の間を静かに漂う物語である。よしもとばななの小説には一貫
して「この世界にうまくなじめない人々」が登場するが、本作もまた、どこか現実から少し浮い
た存在たちが、互いに寄り添いながら生きる姿を描いている。物語は大きな事件や劇的な展開に
頼らず、登場人物の内面の動きや関係性の微妙な変化によって進んでいく。その穏やかな語り口
が、かえって読者の感情を深く揺らす。

タイトルの「ハゴロモ」は、天女がこの世と異界を行き来するための羽衣を連想させる。それはこの作品に登場する人々の在り方を象徴しているようにも見える。彼らは皆、喪失や孤独を抱えながらも、この世界と完全には結びつかず、どこか別の場所に心の拠り所を持っている。その距離感こそが、現代人の心情をよく映している。現実に適応することが苦しく、しかし誰かとつながらずにはいられないというその矛盾がやさしく描かれている。

よしもとばななの文章は、感情を説明するのではなく、読者に感じさせることを重視している。簡潔で透明感のある文体によって、悲しみや愛しさが直接心に流れ込んでくる。登場人物の心の痛みは決して大げさに描かれないが、その静けさがかえって深い共感を生む。読者は物語を追ううちに、自分自身の過去の記憶や失ったものと向き合うことになるだろう。

ハゴロモは癒しの物語であると同時に、喪失を抱えたまま生きていくことの肯定でもある。すべてが回復するわけではないが、それでも人は人とつながることで少しずつ前に進める。その静かな希望が、読後に長く余韻として残る一冊である。

太宰治著 『走れメロス』

 

 

知能情報学部 3年生 Nさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : 走れメロス
著者 : 太宰治著

出版社:新潮社
出版年:1940

『走れメロス』は、友情と信頼を主題としながら、人間の弱さと強さを鋭く描いた太宰治の代表作である。暴君ディオニスに死刑を宣告されたメロスが、妹の結婚式を理由に三日の猶予を得る代わりに、親友セリヌンティウスを人質として差し出すという物語は、極限状況における人間の選択と心理を鮮明に浮かび上がらせている。

本作で特に注目すべき点は、メロスが決して理想的な英雄として描かれていないことである。彼は道中で疲労し、諦めや自己正当化に心を支配され、信頼を裏切る可能性を何度も意識する。その姿は、人間が極限に置かれたときに見せる弱さを率直に表している。しかし最終的にメロスは走ることをやめない。疑念を抱えながらも前へ進む姿は、信頼に応えようとする意志の強さを象徴している。

一方で、セリヌンティウスの存在は物語の精神的支柱となっている。彼は一切の疑念を口にせず、沈黙のまま処刑台に立つ。その姿は、信頼とは相手を監視したり証明を求めたりするものではなく、相手に委ねる覚悟であることを示している。セリヌンティウスの無言の信頼こそが、メロスを再び立ち上がらせる最大の力となったのである。

さらに注目すべきは、王ディオニスの変化である。人を信じることで裏切られてきた彼は、他者を信用できず孤独に支配者として生きてきた。しかし二人の友情を目の当たりにし、その価値を認めることで改心する。この結末は、人は信頼によって変わり得る存在であるという希望を示している。

『走れメロス』は、友情の美しさを描いた作品であると同時に、信頼することの危うさと尊さを問いかける作品である。現代社会においても、人間関係の本質を考える上で強い意味を持つ、普遍性の高い文学作品だと言える。

瀬尾まいこ著 『そして、バトンは渡された』

 

 

知能情報学部 3年生 Nさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : そして、バトンは渡された
著者 : 瀬尾まいこ著

出版社:文藝春秋
出版年:2018

『そして、バトンは渡された』は、「家族とは何か」という普遍的な問いを、血縁という枠組みを超えて描いた小説である。主人公の森宮優子は、幼くして実母を亡くし、その後も父や義理の親との別れと出会いを繰り返しながら成長していく。一見すると不安定で不幸な家庭環境に思えるが、物語を通して浮かび上がるのは、常に誰かが優子を思い、次の人へと彼女を託してきたという事実である。この「バトン」という比喩が、本作の中心的なテーマとなっている。

本作の大きな特徴は、登場する親たちが決して理想化されていない点にある。経済的に余裕がなく、生活に苦労する場面や、不器用で感情をうまく表現できない姿も描かれる。しかし、それでも彼らは優子の幸せを第一に考え、自分なりの方法で愛情を注いでいる。完璧ではないからこそ、その行動一つ一つに現実味があり、読者は登場人物を身近な存在として感じることができる。血のつながりではなく、日々の選択と責任ある行動こそが「親であること」を成立させているのだと強く感じさせられる。

また、主人公である優子の価値観も印象的である。彼女は自身の生い立ちを不幸として語らず、むしろ多くの人から受け取ってきた善意や思いやりを自然に受け止めている。その姿勢は、環境そのものよりも、それをどう捉えるかが人生を大きく左右することを示している。人は欠けているものに目を向けがちだが、本作は「すでに受け取っているもの」に気づくことの大切さを静かに教えてくれる。

現代社会では、核家族化や多様な家庭形態の広がりにより、「家族の正解」が見えにくくなっている。本作はその中で、家族とは制度や血縁ではなく、思いを受け渡す関係性そのものだと提示している。温かさと現実性を併せ持つこの作品は、家族観を再考する上で大きな示唆を与える一冊である。