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[藤棚ONLINE]新図書館長・平野恭平先生(経営学部)ご挨拶

図書館報『藤棚ONLINE』
新図書館長・平野恭平先生(経営学部)ご挨拶

この4月より図書館長を拝命しました経営学部の平野恭平です。
新入生のみなさん,大学生活にもう慣れましたか?
在学生のみなさん,履修計画は大丈夫ですか?課外活動や就職活動もしっかりやっていますか?
新年度が始まり,みなさんが少しでもよいスタートを切れていると嬉しいです。

私の専門は日本経済史・経営史になります。昔のことを調べるために,図書館を利用することが多いように思います。学生として教員として,大学で生活してきた中で,図書館には色々な思い出があります。学生時代の話しになりますが,書庫で古い統計データを調べていた時,閉館少し前に電気をすべて消されてしまい,携帯電話(この時はまだガラケーです)の明かりを片手に,暗闇の書庫を恐る恐る出口まで行ったことを覚えています。また,初冬のある日,本を借りに行った際,書庫で偶々指導教員と出会い,底冷えする寒い書庫にもかかわらず,数時間にもわたって立ち話をしたことも懐かしい思い出です(図書館ではお静かに!)。

特に思い出深いものとしては,知り合いの先生の情報を頼りに,図書館の蔵書の中に,今から約80年前の学生たちが残した書き込みや落書きをみつけたことです。今も昔も図書館の本に書き込みや落書きをすることはタブーですが,当時の学生たちの感情が発露された書き込みや落書きには,私を惹き付ける魔力があったようで,夢中になって探し,読み,その意味を考えました。そのうちに研究対象として取り上げることができないかと考えるようになりましたが,これまでそのようなものを取り上げたことのなかった私には,書き込みや落書きをどのように処理してよいのか,どのように分析すればよいのか,まったくの手探りでした。

その時に,私にヒントをくれたのが図書館でした。とにかく落書きなどに関係する本はないかと検索し,色々な本を読み,今回ご紹介する2冊の本に辿り着きました。1冊は三上喜孝著『落書きに歴史をよむ』(吉川弘文館,2014年)で,もう1冊は本村凌二著『ポンペイ・グラフィティ 落書きに刻むローマ人の素顔』(中央公論社,1996年)です。この2冊は,中近世と古代,日本とイタリア,まったく違う時代と地域を扱った本ですが,共通しているのは,落書きから当時の人々の生活や心情を読み取ろうとする視点です。

時代と地域の異なる人々の落書きとその考察を読みながら,落書きも史料になるのか,こういった読み方や分析もできるのかと考えさせられました。前者の本には,「落書きは,人間の意識の最も深い部分をさらけ出すのである。文書や記録では,絶対にうかがい知ることのできない世界が,落書きにはあるのだ。これを読み解くことで,私たちは過去に生きた人々の,意識の深い部分にまで,思いを致すことができる」(229頁)とあり,後者の本では,「落書きというものの面白さは,上層民のみならず下層民の実態にふれることができるところにある。むしろ,底辺にいる民衆のあけすけな声こそがそこから聞こえてくる」(219頁)とありました。自分の専門分野とは異なる本でしたが,どうすればよいのか悩んでいる,迷っている私には,十分な手掛かりとなるものであり,研究を後押ししてくれるようにも感じました。どちらも甲南大学図書館に所蔵されていますので,興味があれば気楽な気持ちで読んでみてください。昔の人々の生活や考えや心情などが落書きから伝わってきますし,意外と今も昔もヒトとは同じものなのかと思ってしまいます。

現代社会では,情報はインターネットで容易に手に入ります。本や論文もどんどん電子化されて,スマホやタブレットやPCで読めるようになっています。便利なことはよいのですが,たまに図書館や本屋さんでお目当て以外の本にも手を伸ばしてみて,意外な本と出合うのも楽しいものです。みなさんもぜひ図書館に足を運び,色々な本に出会い,知識や感性を豊かにしてもらいたいと思います。図書館が快適な知の空間であり続けれるように取り組んでいきたいと思います。

参考情報として,ポンペイの落書きについては,2022年に本村凌二著『古代ポンペイの日常生活 「落書き」でよみがえるローマ人』(祥伝社)も刊行されています。


【図書館事務室より】
 藤棚ONLINE2025年度第1号は、今年度新たに図書館長に就任されました経営学部教授・平野恭平先生よりご挨拶いただきました。図書館の本への落書きや付箋貼付は先生の仰る通りタブー(ダメ絶対!)ですが、著名人が自著にメモ書きを残した本などは、昨年本学デジタルアーカイブで公開した九鬼周造手拓本のように重要な研究資料となったりします。紹介いただいた本はどれも図書館で借りることができますので、ぜひ図書館にお寄りの際は借りて読んでみてください!
 図書館では、HPだけでなくX(Twitter)やこのブログでも情報発信していますので、定期的にチェックしてみてくださいね。学生の皆さんのご利用をお待ちしています。

[藤棚ONLINE]全学共通教育センター・平井一樹先生推薦『全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路―』

図書館報『藤棚ONLINE』
全学共通教育センター・平井一樹先生より

松本修「全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路―」(新潮文庫刊)

 大阪は「アホ」、東京は「バカ」。では、その境目、境界はどこにあるのだろうか?名古屋城?フォッサマグナ?「そんな、◯◯な!」 ― 皆さんの出身地ではどんな言葉で表現するだろうか。

 1990年1月20日、「探偵!ナイトスクープ」(朝日放送、当時はまだ大阪ローカルの番組)で、視聴者からのハガキ(!)での依頼により、その境界線を調査することとなった。私はこの番組のこの回を生で見ていたが、日本のテレビ番組史に残るすごい企画だったと思う。

 この本は、その調査の一部始終をまとめた結構ぶ厚い、そしてエネルギー溢れる熱い本なのである。著者は、番組プロデューサーの松本修氏。経緯と結果は本を読んでのお楽しみだが、調査は芸人の探偵と視聴者の協力で、何度かに分けて進んで行き、とうとう日本全国に広がっていくのである。そして、民俗学、方言論、社会言語学的にも素晴らしい発見が待ち受けている。この文庫本を、もし幸運にも入手したら、カバーの裏を見てみてほしい。私は購入してから5年間、裏があるとは、まったく気が付かなかった。これが実物の紙の本の面白さの一つだとつくづく感じた。

 日本各地には様々な方言があり、その土地が持つ歴史と市井の人々の生活が、豊かに生々しく語られる。明治以後、政府は全国の言葉を統一して「標準語」を作ろうとした。同じ日本の中で話が通じないのは、確かに困っただろう。しかし、標準語がきれいで、方言が汚いという印象操作が行われた。私は日本語教師だが、日本語教師は「標準語」という名称は決して使わない。「共通語」と呼ぶ。日本が歴史上、他国の言語を奪った反省もある。

 ある時、高校生が「海外では英語が使われているので、私は英語をもっと勉強しようと思います」と言った。学校教育ですっかり洗脳され、危険な状態だと私は思った。中国語だけでも7つほどのお互い外国語と言えるくらい違う方言がある。世界では言わずもがな。ただし、現在、世界では膨大な数の言語が失われ続けている。

 私は、生物の絶滅や環境破壊のほうが重要な問題だと思うが、その原因である人間の言語が失われ、何もかもが同じものに統一されていけば、民主主義は危機に陥る。そして、環境保護の政策は実効的に行われなくなる。さらに、コミュニケーションの阻害は、戦争へと繋がるのだ。短絡すぎる論理だと思われるだろうか。

 もちろん、英語が便利で役に立つなら、一つの道具としての使用は構わない。しかし、政府や権力者が何かを統一したり、強制する場合(特に言語)、本当に大丈夫なのかと立ち止まって考えらえる「批判的思考」を身に着けてほしい。「アホ・バカ」から話がずいぶん飛躍してしまったが、私は多様性の大切さと面白さをこの番組とこの本から学んだと思う。

OPAC:『全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路―』 松本修 著 太田出版 1993

湊かなえ著 『告白』

 

 

知能情報学部 4年生 Tさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : 告白
著者 : 湊かなえ著
出版社:双葉文庫
出版年:2010年

「愛美は死にました。しかし事故ではありません。このクラスの生徒に殺されたのです。」中学校内で娘を亡くした教師が、ホームルームでクラスメイトたちに告白するところから物語は幕を開ける。教師は娘を殺した生徒A,Bとした。この二人が協力して娘を殺したことを知った教師は、エイズ感染者である夫の血液を牛乳に混ぜて二人に飲ませることで制裁を下し、教室を去った。教師の告白をきっかけにクラスメイトは二人をいじめるようになっていく。のちに牛乳は教師の夫によりすり替えられ、二人がエイズを発症することはなかったが、教師の復讐はこれで終わりではなかった。

この物語では、登場人物が交代で語りてを担い、それぞれの告白をしていく。教師の校内での事件の真相の告白から始まり、教師が去った後の教室の異様さを語る学級委員長、家庭内で起きた事件の経緯と、弟に制裁を下した教師への怒りについて語るBの姉、Aと共に教師の娘を殺し、その裁きを受け精神が追いつめられる様子や、日常的に母親から理想を押し付けられていたことに対する苦悩について語るB、母親への歪んだ愛を抱き、母親の気を引きたいがために教師の娘を殺害したことを誇らしげに語るA…。別々の視点から事件の一連について語られることで、その真相が浮き彫りになっていく。

端的で分かりやすい説明、展開の速さ、構成の見事さにより、読者のページをめくる手は止まらず、そのスピードは次第に速くなっていくに違いない。登場人物の狂気さには目を背けてしまいたいが、その登場人物ひとりひとりにもしっかりとした行動原理があり、読者の同情を誘う顔もある。人間も少しの思い込みやタイミングの違いで、一歩間違えれば異常と化すことが感じられる。物語の終わり方も衝撃的で、ある意味では救われ、ある意味では救われないといった印象を持った。生まれ育った家庭環境や、教師の下した制裁から生み出される人々の狂気、恐怖を、ぜひ味わっていただきたい。

角田光代著 『八日目の蟬』

 

 

知能情報学部 4年生 Tさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : 八日目の蟬
著者 : 角田光代著
出版社:中公文庫
出版年:2011年

希和子は浮気相手とその妻が出かけた自宅に忍び込んだ。部屋で泣く赤ん坊を抱き上げようとした際に、赤ん坊が希和子に向って笑いかけた。希和子は夫婦の間に生まれた赤ん坊を見るだけのつもりだったが、気づくと赤ん坊を抱えて逃亡していた。希和子は赤ん坊に薫と名付け、友人の家や老女の家、宗教施設のエンジェルハウスなど、生活の場を転々としながら薫を育てる。小豆島での生活を最後に、希和子が誘拐犯として薫と引き離されるところで逃亡劇は幕を閉じる。大人になった薫こと恵理菜は、エンジェルハウスでかつて共に過ごした千草の接近をきっかけに、希和子や自分の親、そして自分自身について、見つめ直すこととなる。

逃亡生活の最中、希和子の目に入る様々な媒体から自分に捜索の手がどこまで伸びてきているのかを知る際の焦燥や、薫の授乳やおむつ替え、発熱からくる子育てをした経験のない希和子にとっての困惑や不安など、その心情描写はあまりにもリアルで、まるで読者も希和子と共に逃亡していると錯覚させられる。そのため、逃亡劇としてのドキドキハラハラとした感覚が読者をまとう。また、エンジェルハウスでは外部からの情報が遮断され、希和子と薫は女性のみの集団生活を強いられるため、そのカルトチックでミステリアスな空気感に、読者も不安にかられるだろう。物語後半では、希和子や実の母を通して、薫が子供に対する愛情について考え、葛藤する姿が描かれる。浮気相手の子供を育てる、それは倫理的には問題があるのかもしれないが、生命の運命として、種の保存として子供を育てるのは本能、むしろ必然ではないのか。生まれてくる子供は、美しい世界をその目で見る、それを果たす義務が自分にはあるのではないか、あなたも考えさせられるだろう。

このように、一つの物語の中で様々な感情に出会い、思考させられるのも、本作の魅力の一つであるかもしれない。ぜひ手にとって、筆者の生命に対する美しさの考え方や、登場人物たちに対するいとおしさを感じてほしい。

西岡壱誠著 『頭がいい人は○○が違う : 偏差値35から東大に合格してわかった』

 

 

知能情報学部 4年生 Kさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : 頭がいい人は○○が違う : 偏差値35から東大に合格してわかった 
著者 : 西岡壱誠著
出版社:日経BP
出版年:2023年

多くの人がよく「私は頭が悪いから…」と言うが、これには、「頭のよさとは先天的なものである」という前提が見え隠れしていると考えられる。つまり、後天的に「頭をよくする」なんてことは無理と考えているのであろう。高校まで勉強がまったくできなかった筆者は、偏差値35から2浪して東大に合格している。つまり、「頭のよさ」はある程度自分の意思と努力で作れると考えられる。また、筆者は「頭がいい人とそれ以外のひとでは、何が違うのだろう?」という問いに対する答えを自分なりに出すために執筆している。

そもそも、「頭がいい」というのは、頭の使い方、つまり、思考法が優れているとも言える。頭がいいとされる人間の頭の使い方として、課題や目標を分解する、頻繁になぜかと問う、調べればわかることはすぐに調べる、自分の弱みをよく探す、合格体験記を熟読する、丸暗記を避けるなどがある。つまり、「分からない」という状態を嫌う傾向にあるといえるだろう。

思考を変えるためには、まずは行動から見直すとよい。ルールを守る、上手に手を抜き仕組みを活用して頑張りすぎない、スケジュールを立てずにやることリストを作る、「小テストの満点」にこだわる、最新ツールを試す、努力の限界を見極めて早い段階であきらめるなどの行動に変化させるとよいだろう。「心」を変えることもまた、思考と行動を劇的に変える。素直な心を持つことで、情報の吸収が早くなる。新しい情報を吸収することで、「行動」も変わりやすくなる。

このように、頭がいいとされる人間の思考や行動、心をマネすることで、後天的に「頭をよくする」ことができる可能性が見込まれる。全てを同時にマネするのは難しいと考えられるので、まずは自分がマネしやすい部分から順にマネするとよいのではないだろうか。

最後に、筆者の問いに対する答えは、「自責思考」なのか「他責思考」なのかという違いだ。頭のいい人は自責思考である傾向にある。

細田高広著 『コンセプトの教科書 : あたらしい価値のつくりかた』

 

 

知能情報学部 4年生 Kさんからのおすすめ本です。(KONAN ライブラリ サーティフィケイト)

書名 : コンセプトの教科書 : あたらしい価値のつくりかた
著者 : 細田高広著
出版社:ダイヤモンド社
出版年:2023年

本書籍は、コンセプトを「つくる」ために書かれた。どのように発想し、構想を膨らませ、言語に落とし込むのか。最初の一手から仕上げまでの一連の流れひとつの体系にまとめられている。「コンセプト」という単語は、「全体を貫く新しい観点」と説明する辞書が多い。ビジネスシーンでのコンセプトの構成は、判断基準になること、一貫性を与えること、対価の理由になることの3つと言える。

また、最初の一手で重要なこととして、コンセプトメイキングがある。「新しい意味の創造」を意味し、コンセプトメイキングは問いからはじまるが、意味のある問いでなければ意味がない。意味のある問いから意味のあるコンセプトが生まれるからだ。

問いの良し悪しは「自由度」(問いが誘発する答えの幅)と「インパクト」(答えることで生まれる社会や生活への影響力)で決まる。良い問いは受け手の発想に自由を与え、決定的な答えを導く。設計には、顧客目線で設計する「インサイト型ストーリー」と、未来目線で設計する「ビジョン型ストーリー」の2種類がある。「インサイト型ストーリー」は、顧客を救済するもので、4つのC(Customer:顧客、Competitor:競合、Company:会社、Concept:コンセプト)から構成される。

コンセプトの設計ができたならば、1行化(ワンフレーズ化)しなければならない。ここではまず、3点整理法を用いて意味を整理する。次に、目的か役割かに応じて情報を削ぎ落し、最後に2単語ルールに則って言葉を磨き上げる。コンセプトに役立つ10の構文も存在するので、それを用いるとより良いコンセプトに仕上がるだろう。

ここまで到達すれば、試作品を作成すると良い。製品の開発コンセプトであれば、1枚の紙にまとめる、マーケティングコンセプトであれば、1文にまとめることが効果的だ。

このように、この本はコンセプトのつくり方を最初から最後まで懇切丁寧にまとめられている。