月別アーカイブ: 2017年4月

伊藤公一先生(経営学部)「J. クリシュナムルティ―真理に道はない―」

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 真理とは何か―なんとも青臭い問いで、すでに読み飛ばされてしまったかもしれないが、学生の間に数分間立ち止まって考えてみてもよいのではなかろうか。
 かつてインドにジドゥ・クリシュナムルティという人がいた(1986年に90歳で死去)。彼が語ったことは、例えば、J. Krishnamurti (M. Lutyens ed.), Freedom from the Known, Harper Collins Publishers, 1969(大野龍一訳『既知からの自由』コスモス・ライブラリー 2007年)に記されている。
 同書において彼は次のように述べている。真理に道はなく、それが真理の美しさである。真理は生きており、動いているため、宗教や権威やイデオロギー等いかなる他者に頼っても到達することはできない。真理は、あなた自身の実際の在り方そのもの―怒り、冷酷さ、暴力、絶望、苦しみ、悲しみ―である。自分の怒りや冷酷さ等を観察する術を知ってさえいれば、それが真理であると理解できる。又それを理解するとき、人は非常に落胆し冷笑的になり苦痛を感じるか、又は、自分の考え、感覚、行動の仕方、自分を取り巻く世界、自分自身、それらすべてに対する責任は自分以外にはないという事実に直面して、その人から他者を非難する自己憐憫が消えるかである。(Cf. ibid., p. 15, 訳書9頁参照。)
 面白いのは、上の段落で述べた以外に、希望や恐怖を通じても、言葉のスクリーンを通しても、真理を見ることはできないということが、本人が語ったことを記述した本に書かれていることである(Cf. ibid, 訳書同上頁参照)。真理は文字にすることができないらしい。ある意味、図書館の冊子で紹介するには何とも不都合な相手を選んだようだが、すでに亡くなっている彼がそのように語ったらしいということを知ることができるのは、本のおかげである。彼が一体何の事を言っているのか、ここまでの引用だけではさっぱりわからないだろうから、ぜひ自分の目で(できれば原典を)確認していただければと思う。
 このほかにも彼の本には「信じること」を全く必要としない智慧の数々が平易なことばで示されている。例えば、J. Krishnamurti, The First and Last Freedom, Harper Collins Publishers, 1975(根本宏・山口圭三郎訳『自我の終焉』篠崎書林1980年)やJ. Krishnamurti, Meeting Life, Harper Collins Publishers, 1991(大野龍一訳『生と出会う』コスモス・ライブラリー2006年)等がある。
 因みに、J. クリシュナムルティの本は書店では「精神世界」(又は「スピリチュアル」や「ニューエイジ」)という棚に配架されていることが多いようである。この状況のユーモアをご理解いただけるだろうか。
 大学生活や将来にぼんやりとした不安を感じるとき、あるいは群れることやSNSでのリア充自慢に疲れたときにじっくり一人で向き合う相手として、この人は丁度良い人物であるような気がする。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.34 2017) より

笹倉香奈先生(法学部)「犯罪を見る目」

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 犯罪報道に接するとき、どのような視点から事件を見るだろうか。自分が被害者だったらと想像するかもしれない。裁判員として事件の裁判にかかわることになったらと考える人もいるかもしれない。それでは、自分がもし加害者だったら、あるいは加害者の家族の立場に置かれたらどうなるか、考えてみたことはあるだろうか。
 鈴木伸元『加害者家族』(幻冬舎新書、2010年)は、犯罪の加害者の家族にスポットライトを当てて書かれている。
 ある日突然、自分の夫が殺人事件の加害者であることを知った女性。事件についての詳しい事情も分からず、自宅に殺到する報道機関を避けるため小学生の息子を知人宅に送り、自分は勤め先の仮眠室で寝泊まりする。自宅は荒らされ、壁には「人殺しの家」と落書きされる。いたずら電話が昼夜を問わず何度もかかる。インターネット上に個人情報を晒され「息子も抹殺しろ」という書き込みにおびえる。夫と離婚して姓を変え、息子の学校は2度転校させる。息子を預かっていた知人夫婦は、そのことが原因で夫婦間に亀裂が入り、離婚にいたる――このほかにも著名な殺人事件から窃盗事件まで、精神的にも金銭的にも追い込まれていく加害者家族のエピソードが続く。
 今まで注目されることのなかった加害者家族に着目することによって、日本の社会自体に潜む問題が暴き出される。加害者家族を追い詰める日本社会は、実はその一方で被害者やその家族にも十分なサポートをしていない。被害者家族も加害者家族も、地域や社会から好奇や偏見で見られ、排除されていく。構造には共通点がある。
 このような悲劇を生まないようにするためにはどうすればよいのか。加害者家族を責めれば、いや、加害者を責めるだけで将来的にも犯罪が繰り返されることを防ぐことはできるのだろうか。そもそも犯罪とはそもそもどのようなものなのか。なぜ起こってしまうのだろうか。その答えを4年の間に一緒に考えていこう。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.34 2017) より

石田 功先生(経済学部)「人生を生きるに値するものにしてくれる読書」

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 「人生はなぜ生きるに値するかって?・・・ぼくにとってはグラウチョ・マークス(コメディアン)、ウィリー・メイズ(メジャー・リーガー)、ジュピター交響曲第2楽章、ルイ・アームストロング、スウェーデン映画、フロベールの『感情教育』、セザンヌ、サム・ウー(中華料理店)の蟹、・・・」昔、私が大学生の時に見たウディ・アレン監督・脚本・主演の米国映画『マンハッタン』での主役の独白ですが(抄訳。括弧内は私の注釈)、当時、この台詞に「人生ってその程度のものなのか」と考えさせられました。本として1冊だけ仏文学の古典『感情教育』が入っていたのにも「これを読めることが生きる値打ち?」と驚きました。フランス語教師に勧められ読んだばかりでしたが、メロドラマ展開の面白さに夢中になったものの、文学としての価値まで理解していなかったからです。それはともかく、ウディ・アレンの台詞の影響を受けたことがきっかけで、読書というのは教養を身につけるとか高邁な目的もさることながら、野球観戦、蟹グルメと同じレベルで味わうこともまた素晴らしいことなのだと考えるようになりました。その意味では、例えば、映画やライブ演奏も小説と同等だと思います。皆さんも様々なアート分野で既にお気に入り作品を持っておられるでしょう。ただ、皆さんのリストの中にもし小説が含まれていないとすれば、それはあまりにもったいないです。他のメディアの文芸作品とはまた異なる喜びを与えてくれますからね。是非、小説にも手をのばして欲しいと思います。
 最後に、大学生になられたばかりの皆さんに一冊だけお薦めするとすれば、小説ではありませんが、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』というノンフィクションです。邦題通り、我々ホモ・サピエンスの歴史を俯瞰する大作で、非常に読みやく、かつ、驚きや刺激に満ちた圧倒的知的エンターテインメントです。大学時代にこのような本をたくさん読み、物事の本質を捉える力をつけていただきたいと願います。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.34 2017) より

須佐 元先生(理工学部)「「急がばまわれ」 ―― 頭わるくなってみよう」

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 よく授業等で「先生、答を教えてください。」という質問(?)を受けることがあります。これまでの受験勉強の中では限られた問題のパターンを調べてその答を覚えるということが「賢明な」勉強法であったのかもしれません。しかしある問題に関して答を知り、それを覚えるということには実はあまり意味がありません。なぜなら現実世界の問題は、答があるのかどうかすらわからない類のものであるからです。覚えるべきなのは問題の答えがなぜそうなるのか、その原理を理解することです。そのためには眼前の問題を「ああでもない」「こうでもない」とひねくりまわしてみることが必要です。そうすると時間はかかりますが、その問題の輪郭が徐々に見えてきて、やがて本質が理解できるようになります。これが知識ではなく智慧を得るということであり、大学生活はまさに様々な智慧を蓄える時期です。問題の本質は何か、深く思考し反省するマインドを養っていただきたいと願います。

「寺田寅彦全集」―― 寺田寅彦著
 寺田寅彦は明治から昭和初期にかけて活躍した物理学者で、日本における物理学者の草分けとも言える存在です。また夏目漱石と親交があったことでも知られています。寺田の物理学における研究は極めて興味深いものですが、一方で多くの素晴らしい随筆も残しています。その中に非常に短い「科学者とあたま」という随筆があります。この随筆の中で寺田は、「科学者はあたまが良くなければならないが、同時に悪くなければならない」ということを述べています。短いですので詳細は読んでいただければ分りますが、「あたまが『良い』人は見通しが効きすぎるために、単純で一見わかりきっていると思われる問題を調べようとしない。一方であまり見通しに効かないあたまの『悪い』人はそのような単純な問題を『非効率』に調べ続けるものである」、ということが述べられています。しかし大きな発見は常識を覆すことにあり、その意味であたまの「良い」人が素通りした、つまらない(と思い込んでいた)問題の中にブレークスルーの端緒が潜んでいるものであるというのが趣旨です。
 これは科学的研究に関する話ですが、皆さんにもよく考えていただきたいと思います。試験対策でネットや先生、友達、先輩の情報を信じて答えを覚えるというのは、ある意味「賢明に」学ぶということなのでしょう。しかしそれでは決して得られない智慧が、愚直に自分の頭で考えるということによって培われていくはずです。学びにおいて、効率は確かに多くの場面で重要ですが、同時に短絡的に効率を求めるあまり、却って自分の真の能力を磨くチャンスを捨てているということを覚えておいてほしいと思います。「急がばまわれ」です。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.34 2017) より

松川恭子先生(文学部)「小説を読み、映画を楽しむ/映画を観て、小説を楽しむ」

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 よくよく考えると、映画の中には小説を原作としたものが多い。皆さんの世代は、海外の作品なら『ハリー・ポッター』シリーズを、最近の日本映画なら、人気の小説家、有川浩の小説を原作とする『阪急電車』『図書館戦争』などを思い浮かべるかもしれない。ここ数年、自分自身が鑑賞した映画の中に小説を原作としたものがあったかどうか振り返ってみると、残念ながら、全然ないという結論になった。インドのメディアを研究対象としている関係でインド映画を観る(普段は時間がないので、大体インドに調査に行く飛行機の中で鑑賞している)か、まだ幼い娘と一緒に『ファインディング・ドリー』などのアニメ映画を観に行くというのが最近の私の映画の鑑賞傾向だからだ。
大学院博士後期課程まで進み、在学年数が長かったため、学生時代の私は、そこそこの本数の映画を観たと思う。小説を原作とする映画で私が好きなものに、5歳の時に両親とともに日本からイギリスに移住した作家、カズオ・イシグロ原作の『日の名残り(he Remains of the Day)」や、スリランカからイギリス経由でカナダに移住したマイケル・オンダーチェの『イングリッシュ・ペイシェント(English Patient)』などがある。どちらの原作ともに権威あるブッカー賞を受賞し、映画の方はアカデミー賞にノミネートされ、後者は作品賞を受賞している。映画版『日の名残り』は、年老いたイギリス人執事が名門家に捧げた半生を振り返る様をアンソニー・ホプキンスが味わい深く演じ、原作の雰囲気をそのままスクリーンに再現している。また、映画版『イングリッシュ・ペイシェント』は、瀕死の重傷を負った「イギリス人の患者」をレイフ・ファインズが演じ、なぜ彼が「イギリス人の患者」と呼ばれるようになったのかが、進行中の現在と回想を交えた形で美しく描かれている。私は『日の名残り』は原作を先に読んでから映画を鑑賞し、『イングリッシュ・ペイシェント』は映画を観てから小説を読んだが、どちらも楽しい経験だった。
 幅広い世代に広く知られている作品としては、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズを挙げられるだろうか。イギリスのJ・R・R・トールキンの『指輪物語(The Lord of the Rings)』は、ホビット族の青年フロドの、強い力を秘めた指輪を破壊する旅路と冥王復活をめぐる様々な人々の戦いを描いた作品であり、原作の壮大な物語を映画でポイントを絞っていかに描けるかが課題だったが、出来上がった映画は、原作好きの私でも満足できる内容だった。
 ここに挙げた三つの作品は、原作の小説、映画のDVDとともに甲南大学図書館に所蔵されている。DVDは、視聴覚コーナーで鑑賞することができる。小説を読んでから映画を楽しむか、映画を先に観てから小説を楽しむか。それは、皆さん次第だが、このような「メディア・ミックス」的な使い方で図書館を利用するのも一つの方法だと思う。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.34 2017) より

2016KONAN ライブラリ サーティフィケイト授与式!

 3月23日、2016年度のKONAN ライブラリ サーティフィケイトの2級・3級取得者を対象とした授与式を実施しました。今年は2級3名、3級9名で昨年より若干増加。今後も1級取得目指して継続的に頑張ってほしいところです。

そして!2016年度は初めての1級取得者が出ました!
3月25日の卒業式で、学長から認定書が手渡されました。

写真は1級取得者、2016年度文学部卒業生の水口さん。いい笑顔です。

KONAN ライブラリ サーティフィケイトはエントリー者を随時募集中!4月以降も順調にエントリーが増えてきております。読書好きな学生さんはぜひ図書館2階ヘルプデスクでお申込みください!