☆新入生向けの図書案内
子供のころから「趣味は読書」と称してきたが、最近はちょいと怪しい。
「趣味は読書」は、小学生の時、翻訳物の推理小説や冒険小説に目覚めたことを出発点とする。中学時代から大学を卒業するころまで、1日1冊とまではいわないまでも、 平均すると2日に1冊位のペースでこの種の本を読んでいた。当時は、必ず本を持ち歩き、時間があれば頁をめくり、口角泡を飛ばしてどの外国作家が面白いかを友人と議論する、立派な「おたく」であり、わが読書遍歴における全盛時代であった。
大学を卒業したころから読む本の傾向は微妙に変わった。依然として、推理小説や冒険小説を主として読んでいたが、翻訳物ではなく、日本の作家の小説が中心となってきた。大学院進学後は、研究のために、多くの翻訳調の書物や外国語の論文を読む必要があり、お楽しみの時間にも翻訳の文章と付き合うのがしんどくなったことが理由として大きいと思われる。また、勉強のための書物を読む必要が多くなったため、お楽しみのための本を読んでいる時間をあまり取れなくなり、読書量がかなり減り始めた。
三十前に就職し、教壇に立つようになったが、このころ、読書の傾向に第二の変化が起こった。つまり、推理小説や冒険小説よりも、歴史小説や時代小説、または、現代文学が読書の中心となった。要するに趣味が「おっさん化」してきたということであろう。さらに、就職後も学生時代と同じく学校で時間を過ごしているのにかかわらず、月給がもらえるようになった分に、教員として色々な仕事をする時間が多く発生し、ますます読書量が減り始めた。
四十を過ぎて、読書量の減少はさらに拍車がかかり、最近では、若いころの2日に1冊などは夢の話で、へたをすると1カ月に2冊読むか読まないかといった程度の読書量になってしまっている。これは、老眼が始まり、本を読むこと自体が以前よりも億劫になったことと、毎晩かなりの晩酌をするようになったことによる。ここ数年、あまりの読書量の減少と現在の年齢を考え、死ぬまでに、あと何冊の本を読めるのかということに怯え始めた。そのため、今まであまり本気で読んだことのない、国語の教科書に載っているような作家の、日本文学の「名作」といわれる小説に手を出しかけたが、何だか知らんがこれが「実にいける」ことが発見され、少ないながらも最近の読書の中心となっている。
五十をすぎて、読書量そのものは激減し、「趣味は読書」といえるかは怪しくなってしまったが、翻訳推理小説のおたくだった中学生が、遅ればせながら純文学にめざめた、老眼で酔っぱらいのおじさんへと変貌を遂げているのである。
甲南大学図書館報 藤棚(Vol.32 2015) より
「2.おすすめの本」カテゴリーアーカイブ
金丸義衡先生(法学部)「読書で世界旅行」–藤棚vol.32より
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本を手にするということは、知識と情報を手に入れることにつながります。森羅万象について自分の頭の中に独占することができるのです。そして(私にはまだまだ難しいですが) 言語の壁さえ乗り越えることができれば、洋の東西を問わず人類5000年の歴史の旅をすることができるのです。
ところが、読書によって著者の思考や経験を追体験しようとするときには、一つ知っておかなければならないことがあります。たとえば「ビロードのような」という表現を聞いたことがあると思いますが、『広辞苑』(第6版・岩波書店・2008年)によると「もと西洋から舶来したパイル織物の一つ。経または緯に針金を織り込み、織り上げたあと抜き取る時、輪奈を切り取って毛を立たせたもの。」とあります。たしかに、知識としてはこれで十分なのかもしれませんが、「ビロードのような手触り」と説明を受けたときに、実際にビロードに触ったことがなければ、 知識だけからではどのような手触りなのかがわかりません。つまり、読書によって知見を広めていくためには、その前提としての経験や知識が必要となるのです。
また、映像作品、場合によっては三次元映像なども容易に見ることができる現代においても、文字だけでその世界を構築しなければならない読書という体験では、想像力を働かせなければなりません。「折り重なるように積み上げられた古書の山」に埋もれる古書店の様子は、新刊本を扱う一般的な書店の様子しか知らなければ想像することは難しいでしょう。
読書によって知見を広げることは大切ですが、それと同時に様々な体験を通じて、自らも経験を重ねていくことが、読書にとっての勘所ではないかと思います。比較的自由な時間の多い大学生となった今こそ、経験と読書の双輪を上手く舵取りしていってください。
甲南大学図書館報 藤棚(Vol.32 2015) より
上島康弘先生(経済学部)「リトマス試験紙」–藤棚vol.32より
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読書の効用について、説得力のある答えが見つからない。世間では本を読むと思考力が深まり、想像力が豊かになると言うが、私自身にその実感がない。論説や論文を読むほうが思考力を鍛えてくれるし、想像力は子どものころのほうが豊かだった。歴史小説はいまでもよく読むが、 SF やファンタジーはもう読めない。人気のハリポタ・シリーズも、『ハリーポッターと秘密の部屋』で断念した。
とは言え、バッグのポケットには文庫本を入れている。本屋に立ち寄ると文庫本を買ってしまい、読みはじめると次がどうなるのかを知りたくて落ちつかない。藤沢周平『用心棒日月抄』や桐野夏生『柔らかな頬』のたぐいの読み物を携行していると、電車が遅れてもいっこうに気にならない。むしろ、お礼を言いたいくらいである。
自立した人の心の動きに興味がひかれる。困難な状況で気高い人間がどう考えるのかは文字にしてもらわないと分からない。シャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』は読み返す本の一つだが、出勤途中に淀屋橋駅のベンチに座って読んでいたら講義に遅れた。目の前を忙しく行きかう人たちよりも、19世紀のイギリスで貧しい孤児院に入れられた女の子に共感するのはなぜだろう。ちなみに、ニュースでストーカー事件を目にすると、シャーロットの妹エミリーが書いた『嵐が丘』を思い出す。
最近、ジェイン・オースティン『自負と偏見』の新訳が出たので再読している。外国人は他人の気持ちにうといと言う人がいるが、これは身近な人たちを的確に描いて笑わせる。おそらく世界で一番読まれた小説だろう。私はこの本をゼミの学生にすすめるが、精神的に成長した学生からは例外なく「おもしろかった」という感想が返ってくる。著者は20 歳のときに下書きを書いたから、学生がそう感じるのは当然なのかもしれない。オースティンの本は、「大学生」にふさわしい内面をもつかを知るリトマス試験紙だと思う。
甲南大学図書館報 藤棚(Vol.32 2015) より
須佐元先生(理工学部)「乱読のすすめ」」–藤棚vol.32より
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新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。これからの新生活に心踊らせていることと思います。その中に読書の習慣をちょっとだけ入れて欲しいと思います。読書にはルールはありません。読書はまずは楽しみであり、同時に知識を得るための一つの方法です。読みたい本を読みたいだけ読んでください。みなさんの選書の助けとなるかどうかわかりませんが、私が最近気に入った本を紹介しておきます。
原発事故と科学的方法(岩波科学ライブラリー)牧野淳一郎著
この本は福島原発事故に関する対応・報道の問題を明らかにするというものです。ただ私はむしろ原発事故を題材として、理論天文学者である著者が「科学的に思考するということはどういうことか」を述べたものであると思います。手元にあるアクセス可能な情報から論理的にどのように必要な結論を導き出すのか、すなわち所謂フェルミ推定のやり方に関するお手本のような本です。このような科学的推論の方法論は理工系の学部上級生・大学院では頻繁に使われるものです。また実社会においても間違いなく武器となる能力でしょう。たとえば「神戸に理髪店は何軒あるか」とか「高校無償化には国家予算はいくらいるのか」とか「大震災の時には自分はいくらほど寄付するべきなのか」など言う問いにみなさんはどう答えるでしょうか。「Google で検索する」のでしょうか?もしWebの情報が間違っていたらどうにもなりません。キーとなる確かな情報が得られれば概算でこのような数は計算できます。その方法論の醍醐味を味わいつつ、検索するのではなく、自分で思考し物事を理解するということを学べる良書だと思います。
天切り松闇がたりシリーズ(1~5巻、集英社文庫) 浅田次郎著
うって変わってこちらは私の大好きな小説です。明治から昭和初期にかけて「目細の安吉」盗人一家の活躍を描いたものです。私は一度読んだ小説はあまり繰り返して読まない派なのですが、このシリーズだけは何度も読みます。戦前の東京の美しい習俗とそこにいた人々の「心意気」に涙すること請け合いです。昨今の日本で失われてしまった「何とも表現しようのない何か」がそこにあります。是非ご一読ください。
以上選書の助けとなるかどうかわかりませんが、とにかく自分の興味の赴くままに読書を習慣として生活の中に取り入れてもらいたいと思います。実り多き4 年間を!
甲南大学図書館報 藤棚(Vol.32 2015) より
吉村(八亀)裕美先生(文学部)「すてきな出会いを」」–藤棚vol.32より
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通販は便利だ。重たいものを持って帰らなくても、自宅まで届けてくれる。さらにありがたいことに、購入商品の履歴から、私が興味を持ちそうなものを類推して、「こんなものもありますよ」と、勧めてもくれる。おかげで、新製品情報も漏らさずゲットできるし、すでに購入した電化製品の消耗品も探すことなくすぐに購入できる。
本も、通販で買うことが多くなった。某通販大手では、私の著作をわざわざ取り上げて「この本があなたにお勧め」と、著者本人に推薦してくることがある。笑ってしまうが、考えようによっては、きちんと私の読書傾向を分析できている、ということの証明にもなるだろう。
最近では、ネット上での「おともだち」探しでも、同様のお勧めがあるらしい。入力したプロフィールを基に、同じような趣味の人の「紹介」が来たり、「おともだち申請」が届いたりするという。
便利なのだが、これでは何だか、人との出会いも、本との出会いも、データ分析から導き出されるよくあるパターンに押し込められてしまうような気がする。
出会いというのは、未知との遭遇であり、ドキドキ感を伴うものだったはずだ。それまでの人脈では出会うはずのない人との出会いは、戸惑いもあるが、新しい価値観へのブレークスルーになる。本との出会いも同じである。書店で、そして図書館で、ある本を探して書架まで行く。そんな時に、お目当ての本の一段上や、隣の書架に、キラッと光るタイトルの本を見つけることも少なくない。「あ、こんな本があったんだ」と、手に取るときのドキドキ感は何ものにも代え難い。
一つの出会いが人生を大きく変えることもある。そんな出会いを大学四年間の中で見つけてほしい。パターン化された出会いの枠を超え、広い範囲で人とも本ともつきあっていってほしい。すてきな出会いがあなたにありますように。
甲南大学図書館報 藤棚(Vol.32 2015) より
サイモン・シン『フェルマーの最終定理』
今年2015年は「フェルマーの最終定理」が証明されてから20年になる記念の年です。
それが何?と思った方、むしろ大多数の方がそう思われたでしょうが、この難問を証明することは人類の悲願だったのです。
サイモン・シン著,青木薫訳
『フェルマーの最終定理:ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』
412.2/Si8 図書館1階開架一般
「ピュタゴラスの定理」を覚えているでしょうか?
直角三角形の斜辺の長さをz,他の辺をx,yとした場合、「xの2乗+yの2乗=zの2乗」となる数学の定理です。
数学は「完全」を具現できる唯一の学問です。
他のあらゆる分野の学問は、仮説を裏付ける実験によって証拠を積み重ね、「科学理論」とすることはできますが、数学と同じレベルでの「証明」はできません。
たとえば、生物学。iPS細胞で作成した網膜組織の移植を世界で初めて成功させた理化学研究所の高橋先生も、「10人の研究者が培養にチャレンジしても3人くらいしかきれいに作れません」と話されています。(朝日新聞 2015.1.5朝刊)
「科学理論」では、「手に入るかぎりの証拠にもとづいて、「この理論が正しい可能性はきわめて高い」(本文48p)」と言うことしかできません。重ねて言えば、正しくない可能性のほうが高いことも多いのです。
それに比べ、数学で「=(イコール)」が使用される場合、その右側と左側は、完全に、絶対に、100%、一致すると断言できます。
これで、数学だけが「真」を語ることができる、ということをまずご理解いただけたでしょうか?
これを踏まえて、「ピュタゴラスの定理」に話を戻しましょう。
ピュタゴラスは紀元前500年前後の数学者です。「ピュタゴラスの定理」はもっと古い時代から知られていたそうですが、ピュタゴラスによって正しいと証明されて以降、「ピュタゴラスの定理」と呼ばれるようになりました。
測量や建築にとても便利な定理なので、人類史上最も活用されてきた定理の一つです。
そして、約2千年後、フランスの天才数学者ピエール・ド・フェルマーが、「ピュタゴラスの定理」が説明された本の余白に、いわゆる「フェルマーの最終定理」を書き遺しました。
「xのn乗+yのn乗=zのn乗
この方程式はnが2より大きい場合には整数解をもたない。
この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。」
以後358年間、だれもにもできなかった「フェルマーの最終定理」の証明を、1995年にイギリス人のアンドリュー・ワイルズが「谷山・志村予想」を証明することで成し遂げたのです。
・一見簡単そうに見える証明がなぜ解けなかったのか?
・フェルマーは、なぜこんな意地悪をしたのか?
・「谷山・志村予想」とは?
・そもそも数学の研究は人類の役にたっているのか?
数学が好きな方も、さっぱりわからない方でも、興味深々で読める1冊です。
むしろ、数学の分からない方が、数学の世界を垣間見れる本かもしれません。
(補足)
「フェルマーの最終定理」を証明したワイルズの論文は以下の雑誌に掲載されました。
著者:Andrew Wiles
論題:Modular Elliptic Curves and Fermat’s Last Theorem”
掲載雑誌名:Annals of Mathematics
掲載巻号:Vol. 141, No. 3 (May, 1995), pp. 443-551
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(Konno)