2-2. 教員オススメ」カテゴリーアーカイブ

三好大輔先生(フロンティアサイエンス学部)「「才能」ありますか?」

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 いきなり私事ですが、44 歳になりました。大学4年生、大学院修士課程2年間、博士課程3年間、博士研究員、大学教員として、皆さんが生まれる前から研究しています。最初の3年間ほどは、努力もせずに、ある程度の研究結果を出していると満足していました。非常に恥ずかしいのですが、学会などに行っても、「俺って結構才能ある」と思っていました。でも、今思い返すと、研究課題に対して、すべきことをやり切ったことはなかったように思います。でも、「これくらいで十分やろ」と自分に言い聞かせていたと思います。博士課程に進学すると、研究成果が自分の生活や将来に直接影響してくるようになります。気が付くと、同年代の研究者は、どんどん素晴らしい成果を出しています。今更ほかの道もありません。まずい!ようやく私も気が付きました。そのとき私が思ったことは、「とにかく博士課程の3年間は必死で頑張ってみよう」でした。必死で頑張ると、思い通りかどうかは別にして、結果が出ます。思い通りだと、「次は、これもうまくいくかも!」と調子に乗ります。思い通りでなければ、悔しく思いながら「次は、こうしたらうまくいくはず!」となります。頑張れば頑張るほど、すべきことが増えてくるのです。逆に、「これくらいでいいやろ」と思うと、研究(仕事、勉強、生活、、、何にでも置き換えてください)の進展や展開はありません。研究を進めるためには、一生懸命に取り組むこと、そして継続する必要があることに気が付きました。つまり、「目の前の課題に継続して必死で取り組める才能」が必要だと思うのです。「努力に勝る才能のなし」と謳われる最強の「努力する才能」は、与えられたものではなく、自らの意志で獲得できるはずです。
 前置きが長くなりましたが、上記の中年の戯言に同意できない皆さんは、次の書籍を読んでみて欲しいと思います。サミュエル・スマイルズ著、竹内均訳の「自助論」(三笠書房)です。「天は自ら助くる者を助く」で知られる不朽の名著です。格言のオンパレードのような書籍ですが、例えば、「天性の才能に恵まれていれば、勤勉がそれをさらに高めるだろう。もし恵まれていなくても、勤勉がそれに取って代わるだろう」とあります。また著者は文中で、時間が最も大切だとも述べています。例えば、「失われた富、知識、健康は取り戻せるが、時間は戻ってこない」とあります。20 歳前後の皆さんは、それだけで最も得難い財産を持っています。特に大学にいる間の時間は、その後の人生よりもとても自由度が高いものです。
さあ、どうやって過ごしますか?とりあえず、読書してみませんか。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.33 2016) より

真崎克彦先生(マネジメント創造学部)「読書のすすめ」

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 自分の馴れ親しんだ場から一歩外に出れば、そこには豊穣な未知の世界が広がっています。自分が日常接することのない世界にふれ、それについて思いを巡らせる。読書はそのような体験に皆さんを誘うでしょう。PC やスマホには、手軽に欲しい情報が手に得られるという長所がありますが、同時に、自分の好きな情報だけを容易に選別して見ることができるので、どうしてもそれだけ、自分の馴れ親しんだ世界に閉じこもりがちとなります(「島宇宙化」と呼ぶ社会学者もいます)。学生時代は時間の自由がきくので、知らない場所を訪ねるのも良いし、本を通して知らない世界にふれるのも良いでしょう。有効に時間を使って欲しいと思います。キャンパスになじむことができれば、大学はそれなりに居心地の良い場所。だからこそ外に出ることも心がけてください。
 「幸福の国」として知られるブータンについての良書を紹介します。ブータンは国民総幸福(GNH)という国是で知られてきました。ヒマラヤ山脈の尾根と渓谷が織り成す雄大な景観、豊かで美しい文化遺産と自然環境が守られてきました。人びとは文化や自然を大事に守りながら心豊かに暮らしています。そうした生活様式の維持・発展を通して、今後も人びとに幸せな暮らしを保障しようとするのが、国民総幸福です。その国是の理論的支柱とも称されるブータンの知識人、キンレイ・ドルジ著の『「幸福の国」と呼ばれて―ブータンの知性が語るGNH』(2014年、コモンズ)です。
 経済成長が起きるからこそ社会は豊かになり、われわれは幸せな生活を送れる。そのためにも、自己実現を目指してどんどん勉強し、どんどん働かないといけない。ひいては、そうした生存競争によって社会の繁栄が守られ、さらに増進されていく。われわれは往々にしてそのような思いにかられがちですが、それは本当でしょうか?ブータンでも発展・開発が進むにつれ、そうした考え方が広まり、今では経済格差や村落過疎化など、日本と同じような社会問題に悩まされるようになりました。そうした中、ブータンではあらためて、これまでの文化の継承や自然の保全を軸とした暮らしを見直そうという機運が高まっています。(この点も日本に似ています。)そうした昨今のブータン社会情勢が、同国で生まれ育ち、そこに暮らす著者の目線より等身大に伝えられます。ブータンを特別視せず、同じ課題に面する者どうし、その解決に向けて学び合えることはないか考えよう。こうした観点より『「幸福の国」と呼ばれて―ブータンの知性が語るGNH』を読んでもらえれば、皆さんも有意義な異文化体験ができると考えます。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.33 2016) より

灘本明代先生(知能情報学部)「図書館を探索してみよう!」

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 新入生のみなさん、入学おめでとうございます。
 みなさん、最近本を読みましたか?子供の頃は本をたくさん読んだけど、最近は受験勉強で本を読む時間がなかったなあと言う人が多いのではないでしょうか?大学に入学して、校舎の真ん中にある立派な建物はなんだかわかりますか?そうです、図書館です。図書館にはもう行かれましたか?大学の図書館には、高校や市営の図書館と異なり、様々な専門書があります。一度図書館に行ってみて、本棚を見てみて、そして本をどれか手取ってみて下さい。これまで自分が想像していた図書館と異なり、新たな発見がいろいろとあるのではないでしょうか?
 私もそうですが、最近ネットショッピングで本を買われる人が多いのではないでしょうか?ネットショッピングでは、「この本を買った人はこんな本も買っています」とか、「あなたにお勧めの本はこれです」といった、あなた好みの本を薦めてくれる場合がほとんどかと思います。これらを自動的に推薦する技術を情報推薦、もしくは情報のパーソナライゼーションと言います。これらの機能はほしい物が見つかりやすく大変便利でね。しかしながら、ネットショッピングではこれまで興味がなかったけれど新たに興味を示しそうな物を推薦することは現在の技術では難しいのです。
 一方、図書館に行くと様々な本が並んでおります。ある程度分類された本棚の中には、これまで何となく知っていたけれどあまり興味がなかった分野の本が、あなたの興味のある本の隣にあるかもしれません。一度この興味のなかった分野の本を手に取ってみて下さい。新しい発見や新しい自分が見えてくるかもしれません。
 また、理系の人は文系の本棚を、そして文系の人は理系の本棚をというように、総合大学だからこそ出来る、分野を又いた本の交流を行ってみて下さい。これまで苦手だったと思っていた分野も易しく解説している本を見ると、意外と興味が湧いてくるかもしれませんよ。
何事にも、Let’s Challenge!! です。

甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.33 2016) より

若林公美先生(経営学部)「読書を会話のきっかけに」

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 読書というと、何となく小説を楽しむというイメージがある。時間にも、何ものにもとらわれず、異空間に瞬間移動して、どっぷりとその世界にはまる。ソファーでゴロゴロ。至福の時である。学生の頃は、塩野七海の「海の都の物語」、「コンスタンティノープルの陥落」、「レパント開戦」、「ロードス島攻防記」など、まるで海外旅行に行くような気持ちで、ヨーロッパを舞台にした本に没頭していたことを思い出す。
 本は異文化などを疑似体験の機会を与えてくれるが、人生の岐路に迷った時、相談にのって背中を押してくれる親友になったり、恋人になったり、先輩になったり、各人の希望に応じていろいろな役回りを果たしてくれる。また、知らない人との距離を縮める際にも、有用な道具になりうる。私自身は、2003 年か2004 年までの1年間、客員研究員として、オランダのティルブルグ大学に滞在した頃、随分、本に助けられた。
 オランダと一口に言っても、アムステルダム自由大学やライデン大学などと違って、ティルブルグ大学に日本人はいなかった(少なくとも私は出会わなかった)。友人は、オランダ人、ベラルーシ人、ルーマニア人、ウクライナ人、ハンガリー人の大学院生たち。彼女らとの会話は、当然、英語である。この時期は、英語に時間を割く必要性から、ペンギン・リーダーズを愛読した。
 ペンギン・リーダーズの良いところは、英語のレベルに応じて原作を書き換えて読みやすくしている点にある。そのため、厳密には原典とは異なるが、英語学習にもなり、気分転換にもなるので、細かいことにはとらわれず、「ジャケ買い」で、いろいろな作品にトライした。たとえば、「高慢と偏見」、「クリスマス・キャロル」、「緋文字」など、世界的に有名な文学作品を中心に乱読した。慣れてくると、当時、映画化されて話題になっていたTracy Chevalierの「真珠の耳飾りの少女(Girl with a Pearl Earring)」などペーパー・バックにも手を出すようになった。
 文学作品にふれることは、外国人との会話のきっかけにもなる。それは、外国文学に限らない。ロシア人から安部公房の「砂の女」や谷崎潤一郎の「細雪」(ちなみに、英語のタイトルはThe Makioka Sisters である)などを読んだと話しかけられたこともある。ニューヨークの合気道のクラスでは宮本武蔵の「五輪書」について、熱く語られたこともある。日本文学についても押さえておく必要があるなと実感した次第である。村上春樹や吉本ばななを好きな人も多い。
 どんなジャンルにしろ、読書は人との会話のきっかけを与え、各人の人生を豊かにしてくれる。まずは、図書館に足を踏み入れることからはじめてほしい。
甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.33 2016) より

高野清弘先生(法学部)「カトーの言葉をめぐって」

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 過日、私は出身校の図書館の前に立って、建物を見上げていた。図書館入り口の上部に、QUAE SIT SAPIENTIA, DISCE LEGENDOと書かれている。私にはラテン語が分からない。
分からないのは悔しい。家に帰って調べた。古代ローマの政治家カトーの言葉で、「知恵の何たるかを、読書によって知れ」という意味らしい。
 カトーという名前に反応したのだろう。私の脳裏にたちまち、H・アーレントの『精神の生活』のエピグラフが浮かんできた。カトーの「もっともさみしくないのは、一人でいる時だ」という言葉である。彼女はこの言葉を『全体主義の起源』の末尾でも引用している。私は今年3月で定年を迎えた。顧みて私の生涯は平凡な人生だった。しかし、私にも苦労はあった。特に、私のことを理解してもらいたいと思っている人に理解されていないことが分かった時、たまらないさみしさを感じた。ただ、私は大学教員として人生の大半を過ごしてきたことを幸せに思う。読書が仕事の一部なのである。一人になって本を繙く。私など足元にも及ばない先人の思想に触れて、確かにカトーのいう人間の「知恵」の深遠さにいつも驚いた。それだけではないのだ。そんなに度々のことではないが、その思想
家が本を通して、私に語りかけてくるように思うことがあった。理解しようとしているのは私なのに、その思想家が私のことをよく理解している友人に思えた。読書の至福というべきだろう。その時、私はもちろんさみしくなく、幸福であった。カトーも激務のあいま、一人になって同じような体験をしたのだろう。失意のマキアヴェッリを支えたのもこの読書であった。
 上で述べたことは、アーレント流にいえば、読書という形態での「一者の中の二者の対話」ということになるだろう。彼女によれば、この対話が考えること=思考なのである。「考えること」の大切さ、これが彼女の終生訴え続けた事柄であった。彼女の「知恵」に学ぶべきだと、痛切に思う。
甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.33 2016) より

春日教測先生(経済学部)「メディア・ミックス」

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「若者の活字離れ」が指摘されることがある。電子媒体を含めるなど統計の取り方によってはそうも言えないといった反論もあるが、周辺を見ると活字が苦手な学生が増加しているのも事実のようだ。そのような人々に「読書」してもらうにはどうすれば良いか。本稿では私自身のメディア・ミックス的な読書体験を紹介してみたい。
 2015 年版『情報通信白書』では、フィクションで描かれたICT 社会の未来像を展望してい
る。映画『マトリックス』ではコンピュータによって管理された仮想現実世界に生きる人々の姿が描かれ、アニメ『攻殻機動隊』では脳だけが代替不可能な存在で義体(脳機能以外の機械化)を利用して生きる人々の世界が舞台となっている。文化庁メディア芸術祭優秀賞受賞アニメ『電脳コイル』でも、ウェアラブル端末の電脳メガネでネットにつながり、電脳空間内のツールを利用する子供たちの様子を映像化している。
 こうした作品群を生み出すきっかけとして言及されるのが、ウィリアム・ギブソンの『ニューロマンサー』だ。SF 界の潮流を変えた金字塔的作品とされ、インターネット社会の隆盛を予見した内容となっている。また、脳と体の分離というテーマは養老孟司『唯脳論』でも扱われており、情報化社会とは社会が脳の機能に近づくことを意味していると喝破している。ショートショートの名手、星新一の『声の網』では、個人情報を預かる情報銀行が登場し、「ここが人びとの脳の出張所なのだ」との位置付けがなされている。
 映画やアニメを先に視聴し後日書籍に触れたケースでは、言葉だけでは伝わらない映像の迫力に圧倒されもしたが、反面、映像化しにくい部分の描写や一定の再生速度では見落としがちな説明で理解が深まった部分もあり、補完的に作用したとの感想を持っている。主題の表現方法として各種メディアには一長一短があり、「活字」の持つ力も依然として強力である。きっかけは何でも良い。比較的時間のある大学生の間に、「活字」の持つ魅力に気づいてもらえれば
幸甚である。
甲南大学図書館報「藤棚」(Vol.33 2016) より