甲南人の軌跡Ⅱ/村田 隆志/常に独自性を大切にして | 卒業生の活躍紹介サイト | 甲南大学

常に独自性を大切にして

村田 隆志

Murata Takashi

大阪国際大学 国際教養学部 准教授

2001年 文学部 社会学科卒

趣味・特技

書、水墨画

好きな⾔葉

不求不争不辞

学⽣時代のクラブ・サークル

文化会美術部

学生時代の思い出

 中学・高校時代から歴史、特に日本史が好きで、文学部社会学科に入りました。1997年4月のことで、阪神淡路大震災で倒壊した校舎が新築された時期でした。3号館での最初の語学の授業では、まだビニールがかかったままの机や椅子を、先生の指示で自分たちで破って座り、何もかもが真新しい環境の中で学び始めたことを鮮烈に記憶しています。

 政治史や制度史よりも文化史が好きだったのですが、この分野の科目はあまり開講されておらず、模索しながら関係する本を手当たり次第に読んでいました。さまざまなジャンルの本を読んだのですが、元々絵画が好きで、文化会の美術部に入っていたこともあり、やがて美術史に関する本を多く手に取るようになりました。

 中学時代から書を学んでいたこともあって、美術部では水墨画を主に描いていましたが、指導者がいて、手を取って教えてくださるというわけではなく、水墨画はマイナーで、他の部員は誰も描いてはいない。ということで、こちらでも模索していました。

 そもそも画材の知識が乏しいので、周辺知識から学んでいこう、と大学図書館で和紙の本を読んでいたところ、甲南大学草創期には、英文学者であり和紙研究の権威でもあった、寿岳文章先生がおられたということを知りました。

 そこで寿岳先生の本を1冊ずつ読み進め、和紙への想いの強さ、すべての要素をつきつめようとなさる執念、美しい文章と美への感性に衝撃を受けました。卒業論文では、佐藤泰弘先生のご指導をいただきながら、世界でも最も強靭な紙だからこそ可能な、和紙の着物「紙子」について取り組みましたが、寿岳先生は和紙の100%を論じておられるのに、紙子だけでは1%にも満たない。昭和を代表するような碩学の生涯の成果と、一介の学部生の卒論ですから、もちろん比較にならないわけですが、あまりの差が切なかったですね。和紙の研究では100%を達成するのはとても無理だと思いましたが、同時に、対になって書画を構成する筆には研究が極めて乏しいことも理解して、大学院でさらに深めようと思い、学習院の大学院に進学することを決めました。

美術史の研究者として、キュレーターとして

 「甲南・学習院戦」で親しい関係にある学習院の大学院で、甲南出身ということで珍しがられながら博士後期課程まで学び、2006年に京都の相国寺承天閣美術館に学芸員として就職しました。相国寺は、金閣のある鹿苑寺、銀閣のある慈照寺の本山で、豊かな文化財を所蔵しているところです。近年人気の高まっている伊藤若冲の傑作《動植綵絵》を宮内庁から一括借用して開催した「若冲展」(2007年)などを手がけました。

 大学院では筆や、近代の日本画家について研究していましたので、室町時代や江戸時代の美術が中心の仕事には当初とまどいがありましたが、ここで甲南での模索の経験が大いに活きました。これまでもさまざまなジャンルの本を読んでいたので、大略については知っており、そこから深めていきやすかったのです。何が幸いするかわからないものだと思いました。学芸員は1人だけだったので禅僧の書「墨蹟」や肖像画「頂相」、仏像、茶道具などまでカバーしなければならず、本当に大変でしたが、得難い経験でした。

 その後、2010年に現在の大阪国際大学に移り、日本美術史や博物館学を教えていますが、一方で美術館での展覧会活動も積極的に続けています。このように変化の激しい時代に、過去の博物館事情だけを教えるようでは学生さんたちが気の毒ですから、常に自分の知識と経験を更新しておきたいですし、私しか研究しておらず、存在が忘れ去られそうになっている優れた作家を顕彰したい、という思いもあります。筆の研究を活かして、日本最大の製筆地、広島県安芸郡熊野町の筆の里工房で特別研究員という非常勤の学芸員を務めるとともに、日本画の研究を活かして京都・嵐山の福田美術館の顧問も務め、展覧会に参画しています。

 美術館には、必ずしも展覧会のテーマを専門とする学芸員がいるとは限りません。このような場合に、外部の専門家に依頼をして展覧会に協力してもらいます。欧米では「ゲストキュレーター」と呼ばれる立場です。私はゲストキュレーターとして「筆の美」(2009年、五島美術館・筆の里工房)、「丹波と芋銭」(2015年、丹波市立植野記念美術館)「寄贈50周年記念長谷川コレクション展」(山形美術館、2018年)などを手がけてきました。

 自分で企画した展覧会を持ち込み、開催館を募ることもあります。神戸出身の私にとって、研究活動をスタートした甲南大学も立地していることで地理的にもご縁がある神戸新聞社の企画「没後50年松林桂月」(2013年、山口県立美術館ほか)「明治の金メダリスト大橋翠石」(2020年、岐阜県美術館)などを開催してきました。みなさんにも、いつかどこかで私の展覧会をご覧いただけたら、嬉しいですね。

大学生活の中で、独自性の確立を

 私の入学当時は文学部に歴史文化学科がまだなく、社会学科の中で「現代文化コース・歴史文化コース」に分かれていました。私は歴史学の方を学ぶつもりでしたが、1・2回生のときには、社会学の科目も相当に学びました。そのとき「社会学とは、普通の人ならば特に気にもかけないようなことにも意義を見出し、視点を設定して研究を深めていく学問分野だ」という講義があり、大変興味深く思いました。

 私が主に研究しているのは筆ですが、これを専門にしているのは、中国に1人、日本には私だけです。書も、画も、東洋の近代以前の史料も、ほぼすべて筆で書かれているのですが、その研究は行われてこなかったのです。特に、日本の筆は1890年頃に大きな技術革新があり、その前後で大きく表現が変化するのですが。シンセサイザーやエレキギターが使われるようになる前と後の音楽が大きく違っているように、筆の違いで書画も変化しています。

 絵画の研究でも同じです。私が特に研究対象としているのは、明治以降、昭和戦前までの画家です。書画や煎茶の達人として「風流界の覇王」とさえ呼ばれた山本竹雲、日本人夫婦として初めて中国を訪れて学び、帰国後一世を風靡した安田老山、万博で金牌を連続獲得した日本一の虎の画家である大橋翠石、多様な活動で現代水墨画の父と仰がれる小室翠雲、最後の南画家、松林桂月ですが、これらの画家も、私以外に研究している人はほとんどいません。それぞれに極めて重要な存在なのですが。大切だが、ほぼ研究されていないことは、しばしばあるのです。

 寿岳文章先生も、和紙を学術的に研究するという問題意識がまだなかった時代に、1人でそのことに気づいて研究を深められた方です。蓄積がない、欠落しているところを、自分の力で補っていくのは、参考にできる情報が少ないため、極めて難しいことです。けれど、それだけにやりがいのあることでもあります。よく知られた研究課題の小さな問題点を、まるで重箱の隅をつ080つくように深く研究することも1つの方法ですが、独自の視点を見出して、大きなテーマに取り組むことの大切さを、私は甲南で学んだと実感しています。

 私は現在、非常勤講師として、甲南大学でも「博物館概論」「博物館情報・メディア論」などを教えていますが、以前よりも学生さんたちの個性が画一化してきているように思われることは少し残念です。創造性や感性を育むような課題を出しても、同じようなものになってしまいがちなのです。常に独自性のある視点を大切にし、他の人にはできないことの追求を、大学生活の中で行ってほしいと思います。どのような分野に進むにせよ、それこそがいずれみなさんの、何よりの武器になるはずですから。

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