甲南人の軌跡Ⅱ/新田 恭平/甲南大学での研究生活を振り返って | 卒業生の活躍紹介サイト | 甲南大学

甲南大学での研究生活を振り返って

新田 恭平

Nitta Kyohei

兵庫県立工業技術センター 勤務

2011年 理工学部 機能分子化学科卒
2013年 自然科学研究科 化学専攻 修士課程修了
2016年 自然科学研究科 生命・機能科学専攻 博士後期課程修了

趣味・特技

旅行全般、 酒屋巡り、読書

好きな⾔葉

七転び八起き / 為せば成る

学⽣時代のクラブ・サークル

文化会アメリカ研究会

フラスコ1 個から始まった苦しくも楽しい研究生活

 2007年に入学し、2016年の博士課程修了までの9年間を甲南大学で学びました。入学当初は博士課程まで進もうとは考えておらず、漠然と修士課程まで進学した後は、大学で学んだことを活かせる研究や開発の仕事に就きたいと考えていました。

 さて、4回生での卒業研究では、高分子化学の研究室の門戸を叩きました。学生が多かったため、配属時に与えられたのは30cm幅の実験スペースと合成用のガラス器具一式だけでした。加えて、高分子とは大きい・長い、くらいしかわからないレベルで、目的物を得るために一か八かで反応を仕込んでは、合成の結果がわかるまでに3日かけていました。今思えば、もっと早くできたんじゃないかと思えるくらい時間のかかることをしていましたが、3回生までとは違って先生との距離も近く、研究生活が始まったという感覚が新鮮ですぐに熱中しました。

 そして、進学した修士課程では論文を執筆する機会を与えていただきました。このことはその後の進路を変えるきっかけになりました。苦手な英語での論文執筆は時間がかかり、その上先生からの手直しも多く、投稿しても掲載不可や修正の通知がありました。論文が採用に届きそうになった時には、分析機器が不調に陥ってデータが出せない不運もありましたが、「あと少しで終わる」と諦めずに修理して、投稿の締め切りに間に合わせました。そうした苦労の末、執筆した論文が初めて掲載された時には何とも言えない達成感がありました。

 進路選択の時には、化学メーカーからの内定と日本学術振興会からの特別研究員の内定をいただいて、就職するか博士課程に進学するかで非常に迷いました。当時の就職活動は買い手市場だったこともあり苦労して得た内定だったのです。さらに、しばらく進学した人はおらず、学位は取れるのか、修了後の職はあるのか、と不安でした。ここまで悩むなら就職すべきかもしれませんが、論文が掲載された時に大きな達成感があったことや、ここでチャレンジしないのももったいないとの思いも少なからずありました。見かねた先生に「迷ったときは困難な方を」と背中を押してもらい、「学位が取れたらすごいし、頑張ればなんとかなるだろう」と不安を押し殺して進学を決意しました。

 悩み抜いて選択した博士課程でしたが、自分の能力不足から早々に挫折してしまいました。周囲に心配されるほど、本当にもう無理だと思うことが何度かありました。研究業績を残す努力はしていましたが、単純に目標に対してアイデアやその努力が不足していたこと、物事を俯瞰できていなかったことが原因だったと思います。しかし、当時は一度でも休んでしまうと行けなくなってしまうとも感じていたので、意地でも毎日通い続けることばかり考えていました。結果的には、先生や周囲の方の支えがあったおかげで無事に(運よく)修了することができました。思い返すと、他にもいろいろと大変な研究生活でしたが不思議と後悔はなく、国際学会へ参加できたことや他大学の方と交流できたこと、そして研究室での生活など、そこでしか得られない貴重な経験がたくさんありました。そこに対しては、一度きりの人生、挑戦して良かったと胸を張って言えます。

日々の積み重ねが現在につながる

 博士2年生の終わりに民間企業への就職を決断し、学位取得後はフィルム加工の会社で働かせていただくことになりました。そして、不安半分の中、勤務地のある富士山の麓に引っ越しました。研修後の配属は開発部での製品分析を行う部署でした。仕事を通じて分析機器の扱い方だけでなく、製品が出荷されるまでの工程やそこに分析業務がどう関わっているのか、この業務の責任の大きさなど多くのことを学ばせていただきました。もちろん、仕事が思うようにできずに叱られることや力不足を痛感したことも多かったですが、職場環境に恵まれ周囲の支えもあり、3年目には任される仕事も増えていきました。そして、関わった仕事が製品の開発につながった時、感謝された時は、少しは会社の役に立てているという自覚や、やりがいを感じられるようになりました。同時に兵庫県へのUターンも考え始めていました。そんな時に以前から関心があった公設試験研究機関(公設試)での募集が兵庫県であることを知り、今のタイミングしかないと受験を決意しました。仕事や子育てと並行しながら手探りで試験勉強を始めたのですが、仕事のために勉強していたことが当日の試験で役に立ち、合格することができました。

 現在は兵庫県に採用され、県立工業技術センターに勤務しています。公設試は各都道府県に設置されており、中小企業や地場産業のための「技術の駆け込み寺」として、ものづくりの支援をする機関です。つまり、研究業務に従事し、培った技術ノウハウや研究成果を企業のものづくりに役立てることで企業の活性化、ひいては地域社会の活性化につなげていくことが仕事です。着任してからは感染症の流行などの影響で業務が滞ることもありますが、平常時は毎日企業からの技術相談や試験依頼があり、その一部を対応させていただいています。民間企業時代は公設試を利用する立場であったため、相談に来られる企業側の気持ちもわかるつもりです。そのため、中小企業の方々にとって少しでも有益な情報・結果を提供し貢献することが、今の目標であり、日々の業務で心掛けていることです。今の自分には研究を行うアイデアもなく、対応できる業務の範囲も狭く限られていますが、今後の業務を通じて、お役に立てるように研鑽に励んでいきたいです。

 こうして振り返ると、異なる業界での仕事においても、大学院や民間企業で経験したことが、回りまわって活きる場面も多く、何事も経験して良かったと思います。それと同時に、力不足を痛感し、あの時やっておけば良かったと思える場面もあります。そして、周囲の方からの多くのサポートやご縁があったからこそ、今の自分があるということを実感することもあります。日々の積み重ねの大切さを改めて感じています。

実りある学生生活と次のステージのために

 折角なので、大学院進学を見据えている方にいくつかアドバイスをさせていただきます。大学院生活を振り返ると、途中で諦めてしまわないために、修士課程、特に博士課程では明確な目標や相当の覚悟をもって邁進すること、そして自分に合った研究環境を見つけることも大切ではないかと思います。

 私の場合は奨学金の返還免除を目標としていました。大学院に進学することを親は想定しておらず、私自身も経済的負担をかけたくなかったので、修士課程では自分で学費を何とかしなければならない状況でした。給付型奨学金は外れてしまっていたので貸与型奨学金を借りましたが、学業成績が良いと返還免除になることを知り、「これは頑張れば学費もかからず、業績も残せるし、就職活動でもアピールすることができる」と思い、これを目標にすることで、授業や日々の研究にいっそう熱心に取り組めました。その甲斐あってか、奨学金の返還の一部免除を受けることができ、また、博士課程進学の際には運よく日本学術振興会から研究奨励金をいただくことができたため、ひとまず学費の心配をせずに博士課程に踏み込めました。明確な目標や覚悟が足らずに進んだ博士課程でしたが、辛かった時や不安な時は自分のこれまでの成功体験などが励みとなり頑張り抜くことができました。

 そのため、進学を検討するのであれば、何のために進学するのか、自分の中での目標を明確にして勉強・研究に一生懸命に取り組み、たくさん挑戦して1つでも業績、成功体験を残してほしいと思います。それがモチベーションの維持や行き詰まった時に自分を支える励みになると思っていますし、運が良ければ学費の工面につながることになるかもしれません。

 もう1つ大切だと思うのは、自分に合った研究環境です。興味のある研究内容や友人とのつながりを考えて選択するのもいいかもしれません。けれども、研究室の中から多くの学生を見てきて、研究室の雰囲気や教育方針、周囲の人との相性などの環境が、その後の進路を拓くのに一番重要なんじゃないかと思いました。私の場合は、研究室に足を運び、先生や院生に研究内容だけでなく雰囲気などをヒアリングして、「卒業研究にちゃんと取り組めて、大学院ではいろんな経験もできて充実した研究生活になりそう」と思った研究室を選びました。これは学部問わず、卒業研究を選択されるみなさんにおすすめしたいことです。

 大学院での話に偏ってしまいましたが、最後に、大学では貴重な経験がたくさんできます。勉強、アルバイト、クラブ活動、ボランティア、趣味、何でもいいので、目標をもってチャレンジしてください。または熱中できる何かを探してください。社会に出て、いつか何かに行き詰まり悩んだ時にこそ、その時の経験が活きる時がくるはずです。みなさんの有意義な学生生活、その後の未来を応援しています。

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