甲南人の軌跡Ⅲ/安達健太/これも一局、それも一局 | 卒業生の活躍紹介サイト | 甲南大学

これも一局、それも一局

安達 健太

Adachi Kenta

山口大学大学院 創成科学研究科 准教授

1998年 理学部応用化学科卒/ 2000年 自然科学研究科 化学専攻修士課程修了

趣味・特技

読書 (最近積読ばかりです)

好きな⾔葉

真面目に不真面目

学⽣時代のクラブ・サークル

人間万事塞翁が馬

 1994年4月1日、甲南大学理学部化学科に入学しました。入学宣誓式当日は、穏やかな陽気だったと記憶しています。正直に書きますと、「甲南大学」は、第一志望の大学ではありませんでした。しかし私は浪人するという決断ができず、「神戸」・「東灘」・「岡本」というハイソな雰囲気が良いという他愛もない理由で「甲南大学」への入学を決めました。
 そんな軽い動機からの大学生活スタートということもあり、4月は、高校まで大好きだったはずの化学の講義を受けてもうわの空でした。その当時大学キャンパス内で一番高い建物だった2号館の窓辺から、眼下に広がる東灘の街並みを眺めては、「このまま仮面浪人しようか」と考えていました。後ろ向きな思考にとらわれていたのだと思います。大学生活を前向きに考えられるようになってきたのは、ゴールデンウィーク明けだったと思います。私の中に『ちょっと気になる講義』ができたのです。その講義は「化学」ではなく、「論理学」・「倫理学」・「心理学」・「哲学」でした。高校の授業とはまったく違う、まさに大学の講義でした。とても難しい内容でしたが、自分自身の視野の狭さ・考えの浅さを客観的に知り、自分を取り戻すきっかけとなった思い出深い講義です。(専門の「化学」の講義ではなかったというのが重要なポイントだと思っています 。)
 当時の理学部学生は、広域副専攻科目(他大学でいう共通教育科目)として「リベラル・アーツコース」を選択する必要がありました。リベラル・アーツとは、古代ギリシャに起源を持ち、自由七科(文法、修辞、論理、算術、幾何、天文、音楽)にちなむ名称です。近年、各教育機関は、データサイエ
ンスの基礎的リテラシーを高めるべく文部科学省が推進するSTEAM(スティーム)教育(Science:科学、Technology:技術、Engineering:工学、Art:リベラル・アーツ、Mathematics:数学の頭文字を組み合わせた教育概念)を実践しています。中でも創造力豊かな人材育成に必要とされているリベラル・アーツ教育の重要性は高まりつつあります。
 今から約30年前に、共通教育カリキュラムとしてリベラル・アーツに関する多くの講義科目を開講している総合大学は、決して多くはなかったはずです。もし甲南大学ではなく、他大学に入学していたら、理系の私が「論理学」・「倫理学」・「心理学」・「哲学」について学ぶ機会は、おそらくなかったでしょう。『数理論理学』・『メタ倫理学』・『ジョハリの窓』・『自我と非我』について真剣に考えることもなかったかもしれません。化学とはまったく関係ないこれらの講義・項目ですが、企業、そして大学などの多様な主体・分野が連携するプラットフォームを構築し活動を展開していくうえで、とても役に立っています。
 人生の中で、何が災いして何が幸いするかは本当にわかりません。

生きてるだけで丸儲け

 1995年1月17日早朝の激震により、神戸の街並みは破壊されました。この時を境に私の人生観は大きく変わりました。

 未曽有の震災により一変した大学生活でしたが、良い友人・仲間・先輩・後輩・先生に恵まれ、乗り越えることができました。甲南大学が持つ伝統・校風も、背中を押してくれた気がします。大学卒業後、化学に関する専門性を身につけたいと考え、甲南大学大学院自然科学研究科に進学、修士課程を修了した後、当時西宮市に本社・研究所があった松村石油研究所(現:MORESCO[本社・研究所:神戸])に入社しました。再び正直に書きますと、「松村石油研究所」は、第一志望の企業ではありませんでした。当時は「超就職氷河期」のド真ん中で、新卒求人倍率も1 倍を割り込む状況でした。就職しない知人(今でいうフリーランス?)も周りにチラホラいましたが、私にそのような選択肢・勇気はありませんでした。入社後、すぐに研究部に配属され、新規商品開発のプロジェクト構成員として機能性材料の基礎研究などに従事しました。

 海外出張における1つのエピソードについて書きたいと思います。現地の研究所にて行われる技術・営業ミーティングに、商品開発における技術系研究者として出席しました。相手側から参加した技術系研究者は4名。いただいた名刺には全員PhD(Doctor of Philosophy =博士号)の文字がありました。ミーティングが始まり私が商品技術に関する説明を始めると、相手研究者から手が挙がり「あなたは、PhD(博士号)を持っているのか?」との質問。「私は博士(Doctor)ではなく、修士(Master)だ」と答えると、相手は目を丸くして無言のまま。以降、相手側の技術系研究者が私の話を真面目に聞くことはありませんでした。…というより、露骨に完全無視されました(笑)。博士号を持っていないと言った私を“自称研究者”(素人)と認識したのでしょう。研究者が博士号を持っていないなんて海外ではありえないことですから…。今となっては笑えるエピソードですが、その当時の私にとっては、ハンマーで後頭部を叩かれたような衝撃でした。また同時に「必ずや博士号を取り、世界で通用する“プロの研究者”になる」と固く決意した瞬間でもあったと思います。

 『鉄は熱いうちに打て』ということで、すぐに博士号取得の準備に取りかかりました。修士課程時にお世話になった茶山健二先生からのすすめもあり、2003年に大阪大学大学院理学研究科の博士後期課程へ会社に在職したまま進学しました。渡會仁先生(現大阪大学名誉教授)のご指導の下、2006年に博士(理学)を取得することができました。その後、2009年に会社を退社して、山口大学大学院理工学研究科(当時)の教員として着任しました。

 研究者として、そして大学教員として「何をすべきか」・「何ができるか」を常に考えています。私にできるのは、自然の謎を解き明かすべく研究に没頭する姿を学生に示し、「化学」という媒体を通して学問の大切さと面白さを若い学生に伝えることのようです。正解はありません。世の中には答えのないことばかりです。先ず隗より始めよ。

 『人間生まれてきた時は裸。死ぬ時にパンツ1つはいてたら勝ちやないか』

新たな 一局を、 人生を歩いている

 『例外無き法則は無し・法則無き例外は無し』。これは博士後期課程在籍時に池田重良先生(大阪大学名誉教授・故人)からいただいたフレーズです。「大量の実験データの中に埋もれた法則性を見つけ出し、それを利用しながら新しい概念を構築しなければいけない。しかし、必ず存在する例外を例外として受け入れる柔軟性が研究者には必要だ。」とも諭していただきました。このフレーズはとても万能で、単に研究だけでなく、人生にも当てはめることができます。

 『集団の中に何かしらの共通点【友人・仲間】を見出し、さらに、さまざまな状況・場面において、その共通点が成立する法則性【価値観・知性】を構築しながら、日々織りなされていくもの』、これを人生というのでしょう。その法則には、必ず「例外」が存在するのです。ここでいう「例外」とは、人生観を変えた出来事とか、後年「恩師」・「師匠」と呼ぶ人だったりするのでしょう。大学生活の中で、「あの経験があったから、あの人と出会えたから、今の私がいる」と思えるような出来事・人にたくさん触れ合ってください。人生における「例外」をありのまま、柔軟に受け入れてほしいと思います。皆さんの人生はより豊かになります。

 大学教員になって、はや10年が過ぎました。私の研究室からも多くの学生たちが学びを終えて、社会に巣立っていきました。卒業していく研究室の学生にいつも手渡すメッセージがあります。「知ることは楽しい。学ぶことは楽しい。」私が体験してきたこの純粋な感動を伝えたいという思いからです。そのメッセージを皆さんにも送ります。この先の人生に幸多からんことを祈って…。

 「これも一局」

 この言葉、将棋や囲碁の対局後の感想戦(対局者同士が内容を検討する)の中でよく使われる。1つの局面で考えられる手が複数ある場合、実戦ではこの手を指したが、別の手だったらどうだっただろうか? とお互いに検討する。そこで「これも一局」となる。要するに「どちらの手を選んでもよい。それぞれが一局の勝負になっただろう」というような意味である。なんと清々しい言葉だろうか。

 今、自分の胸に手を当てて大学生活を振り返ってもらいたい。気心の知れた友人、定期試験勉強、アルバイト、研究室配属、研究室生活…良いことも悪いこともたくさんあったはず。まさに「これも一局」である。

 これからの人生でも同じことだと思う。なぜなら“人生は選択の連続”だから。遠い未来の自分が今のこの時代を振り返る時が必ず来る。その時、「これも一局」と清々しく自分自身を評せるか? そのための努力を決して惜しんではいけない。

 あなたは今、新たな一局を、人生を歩いている。

発行日:2023年3月30日

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